第29話 犯人は……
向かったのは技術室。――やはりベルマーク部の部室は技術室だった。俺はあのあと更に三度ほど「知ってたけどな」と言ったのだが、たぶん墓穴を掘っていたと思う――
技術室の手前で足を止め、階段の陰に身を寄せて周囲の様子を伺う。珊瑚だけが技術室の中に入り、すぐさま戻ってきた。
「どうだった?」
「まだネクタイはありました。誰か来た様子もなさそうです」
「そうか、間に合ったんだな」
良かった、と安堵の息を吐き、ひとまず階段の陰に隠れて次の展開を待つ。想定外のアクシデントはあったが、どうやら手遅れにはならなかったようだ。
珊瑚も俺の隣にちょこんと腰を下ろし、走ったことで荒れた呼吸を整えている。胸に手を当てて少しばかり苦しそうだ。
……しまった。急くことばかり考えて、あまり彼女を気遣わずに走ってしまった。
こういうところが駄目なんだな、と己の気の回らなさを悔やむ。
「悪い。もうちょっと合わせて走れば良かったな」
「健吾先輩よりも若いから大丈夫です!」
「一歳差だろ。まぁ減らず口が叩けるなら……ん?」
ふと廊下を歩く人の中に見知った姿を見つけ、話の最中だが言葉を止めた。
あれは……。早瀬だ。宗佐に助けられ、そして毎日手作り菓子を持ってきている一年女子。
様子を窺っていると彼女は技術室を通りすぎ、廊下の先へと消えていった。たまたま通りがかったのだろうか。
……と、考えていたのだが、再び戻ってきた。
心なしか足取りは遅く、周囲を窺い、そして別の生徒が来ると急ぐようにその場を離れる。かと思えばまた戻ってきて、技術室前で歩く速度を落とす。
技術室に入りたいが、入る姿を見られたくない。なんとか誰もいないタイミングを見計らいたい、といった様子だ。
「怪しいな」
「というか怪しさしかないですよね」
訝し気に俺が呟けば、珊瑚が淡々と返してきた。
あっさりとしたその声色から察するに、ネクタイを盗んだ犯人は早瀬だと考えているのだろう。
現に早瀬は今もちらちらと技術室の中を窺っており、あれを怪しむなという方が無理な話だ。
……もっとも、階段の一角に陣取り、二人揃って技術室を凝視している俺と珊瑚も相当怪しいだろうけど。
むしろ怪しさは俺達の方が勝っているかもしれない。だが今はそれを気にしている場合ではない。
「随分と慎重だな。さっさと入れば良いのに」
「私のネクタイがあるか確認してるんじゃないですか? 一度盗まれてるんだから、私がネクタイを持ち歩いてると思ってるのかも」
「なるほど、確かにそれはあるな」
「でもご安心ください。そう考えるかもしれないと、畳んだ制服の上にネクタイを置いておきました。多分、扉の窓からも見つけられるはずです」
得意げに珊瑚が語る。身を潜めていなければ胸を張っていただろう。
それに対して俺も音さえ出せないが拍手を送っておいた。
ネクタイを囮にする作戦と言い、部活を利用する判断力と言い、そしてネクタイを見せつける機転と言い、短時間でよく考えたものだ。
別件に巻き込まれて作戦が狂い掛けていたというのに、動じる様子もなかった。
「さすが妹」
「健吾先輩の妹じゃありませんが、もっと褒めてくれてもいいんですよ?」
誉めればさっそく調子に乗り出す。
この状況下でも調子に乗れる。これもまた肝が据わっていて頼りがいがあると言えるか。立派なものだ。
……それとも、慣れてしまっているのだろうか。
以前に珊瑚は宗佐の事を『小学生の頃からやたらとモテていた』と言っていた。となれば、この手の騒動も当時から起こっていたのだろう。
たとえば、何度も宗佐絡みの騒動に巻き込まれて、誰にも頼れず、一人で乗り越えて、その果てに多少の事態は動じずこなせるようになったのかもしれない。
「……なぁ、妹。もしかしてお前、今までもこんなこと」
「健吾先輩! あの子ドアに手を掛けて……入りました!」
俺の問いかけに、被さるように珊瑚が小声で訴えてくる。
慌てて視線をやれば、技術室に入っていく早瀬の後ろ姿が見えた。するりと擦り抜けるように入り、すぐさま扉を閉めてしまう。
見落としかねない速さではないか。――というか、事実俺は見落としかけていた。危なかった……――
「行きましょう!」
「あ、あぁ、そうだな!」
珊瑚に急かされ、すぐさま技術室へと向かう。
そうして勢いよく扉を開ければ、机に向かっていた早瀬が見て分かるほどに大きく肩を揺らし、こちらを振り返ると驚愕の表情を浮かべた。
その手にあるのは……、
ネクタイだ。蒼坂高校指定の、チェック柄のネクタイ。
誰のかなど確認する必要はないだろう。
制服を着ている早瀬が、畳まれた制服に手を掛けている。
それだけで『自分のものではない』と分かる。そのうえ本人は指定のリボンを着けているのだ。手にしているネクタイが他人のものなのは一目瞭然。
本人もそれが分かり言い逃れ出来ないと察したのか、気まずそうに「これは……」と呟いた。
次いで俺の背後に珊瑚の姿を見つけると、青ざめ困惑していた表情を一転させてきつく睨みつけてきた。
敵意とさえ言える眼光だ。年上の男である俺でさえ一瞬怯んでしまう。
だが怯みっぱなしでいて良いわけがない。いざという時に庇うため珊瑚を背に隠すように一歩踏み出れば、早瀬が小さく悲鳴をあげた。
俺が前に出てきたことで、珊瑚に対する敵意よりも恐怖が勝ったのだろう。睨みつけていた顔を青ざめさせ、視線を泳がせて逃げ道を探す。
その姿だけを見れば、窮地に陥った哀れな少女そのものだ。
詰め寄ろうとしているのが体格の良い俺なこともあり、事情を知らぬ者が通りがかったら早瀬を助けに飛び込んできておかしくない。
……それは分かるんだけど。
「……ちょっと怯えすぎじゃないか? 俺も同年代に比べれば多少威圧感があるのは自覚してるし、体格もあって怖がられるのも分かってる。でもそこまで怯えなくても良いよな。俺だって結構傷付くんだ」
「仕方ありませんよ。健吾先輩に詰め寄られたら一年女子は誰だって震え上がって逃げ出します!」
「妹、背後から打つのはやめろ」
背に庇ってやったというのに容赦なく心を抉ってくる。
睨みつけてやりたいところだがそれをぐっと押さえ、ひとまず目の前の問題解決である。
ネクタイを盗む現場を俺達に見られた早瀬は、怯えの表情を浮かべて逃げ道を探し、焦りのあまりか手にしていたネクタイをぎゅっと強く握りしめた。
ネクタイは布製だ。握りしめられたところで何があるわけでもない。せいぜい寄れて皺になる程度。
だけど……、
「あっ……」
と小さな声が背後から聞こえた。
まるでネクタイごと己の心を握りしめられたかのような、細く、切なく、苦しげな声。
握られたネクタイを取り戻そうと考えたのか、珊瑚が俺の背から出ようと一歩前に出る。
それが早瀬を追い詰めたのか、もしくは対象を俺から珊瑚へと変えたのか、怯えをはらんでいた顔に再び敵意が宿る。次いで苛立ちを露わに「なんであんたなのよ!」と怒鳴るように声を荒らげた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます