第15話 二本目のネクタイ

 

 翌日、俺はいつも通り朝早く登校。

 ……はかなわず、時間ギリギリの登校になった。


 鳴り響くチャイムをBGMに廊下を駆け抜け、教室に入ろうとする先生の姿を見つけ「待ってください!」と声を掛ける。

 こちらを振り向いて苦笑する先生の横を擦り抜け、教室に飛び込んだ。セーフだ。かなりギリギリではあったが。


「どうした敷島、お前が遅刻ギリギリなんて珍しいな」

「す、すみません、これ、には、理由がっ……理由があって……」

「いや良い、無理するな。説明しなくて良いから席に着け」


 先生に促され、ゼェゼェと荒い息を吐きながらも自分の机へと向かう。

 途中で掛けられる「お疲れ」だの「ナイス滑り込み」だのという言葉には軽く手を振って返しておく。今の俺には朝の挨拶を告げる余裕も無いのだ。

 そうして机へと到着すれば、既に着席していた宗佐がわざとらしく首を横に振って溜息を吐いた。


「まったく、遅刻ギリギリなんて情けないな。学生として弛んでるぞ」


 珍しく立場が逆転したからか言いたい放題だ。顔がニヤニヤとしているのがなんとも腹立たしい。教室に飛び込んで息を荒らげる俺の姿がよっぽど面白いのだろう。

 ひとまず宗佐は一発頭を叩いて黙らせ、椅子に座ると同時に上着を脱いで己を扇ぐ。

 暑い。全力で走ったおかげで汗を掻いているし、まだホームルームの最中だっていうのに疲れた。体育終わりだってこんなに疲労は感じない。


「疲れた、帰りたい。……いや、帰っても疲れるだけか。どこか静かな場所で誰にも邪魔されずにゆっくり過ごしたい……」

「青春真っ盛りの高校生とは思えない願望だな。で、なんでこんなにギリギリになったんだ?」

「聞いてくれるか」


 茶化しはしたが労う気持ちもあるのか、教科書でハタハタと扇いでくる宗佐に対し、俺は疲労感たっぷりに今朝からの事を話した。


 ……と言っても深い理由はない。

 たんに小学生男児二人が揃いも揃って水筒を忘れ、しかも唯一届けられるのが俺のみだったというだけだ。家を出て全力で走って小学校に向かい、水筒を届け、高校まで走る。

 我ながら見事な走りだった。それを疲労交じりに語れば、話相手の宗佐どころか、周囲から労いの拍手があがった。まったく嬉しくない。



 ◆◆◆



「なるほど、それで物凄い速さで駆け込んでくる健吾先輩の姿が窓から見えたんですね」


 なるほど、と言いたげに話すのは、今日も今日とて窓辺に現れた珊瑚。

 真新しい制服の胸元には、蒼坂高校指定のリボンが飾られている。それが気にはなるものの、それよりも今朝の走りを見られていたことに俺は表情をひきつらせた。

「見てたのか……」と震える声で尋ねれば、珊瑚がこれでもかと表情を明るくさせて「ばっちり見てました!」と元気よく答えてくれた。曰く、彼女の教室は三階にあり、窓から全力疾走で駆け込む俺の姿が見えていたのだという。


「華麗な走りでしたよ。門が閉まる直前に駆け込み、そのまま減速することなく昇降口へと真っすぐに向かう速さとか、見事としか言えませんでした。階段を飛び降りた瞬間は私も友達も拍手したぐらいです」

「……もうやめてくれ」


 両手で顔を覆い、そこらへんで勘弁してくれと降参の声をあげる。

 まさか見られていたなんて。それも、なぜか友人と一緒に眺めていたというではないか。恥の上塗りである。


 この際なので「門を抜けたことで油断して減速すると遅刻するんだ」と得意げに語る宗佐は無視しておく。その話を嬉しそうに聞き、それどころか「芝浦君は物知りだね」と褒める月見も一緒に無視した方が良さそうだ。

 これに言及しても疲労しかしないのは、去年一年で十分すぎるほどに思い知らされた。


 だからこそ宗佐と月見は無視して珊瑚に向き直れば、俺の遅刻ギリギリ話が面白かったのか、彼女は悪戯っぽく笑いながら「走る姿、格好良かったですよ」と褒めてくる。

 仮にこれが体育の授業の話であれば、俺も純粋に褒め言葉として受け取れただろうに。


「そりゃどうも、次は声援も頼むな」

「ペンライトとうちわで応援してあげます。ファンサービスしてくださいね」

「そんな余裕あるか」


 俺の返しに、珊瑚が楽しそうに笑う。その表情はいつも通りの小生意気な後輩だ。昨日一瞬だけ見せた切なげな色はない。

 だが彼女の胸元にあるのはリボンだ。ネクタイはまだ見つかってないのだろうか。

 意外とあっさりと「鞄にしまってました」と言ってきそうな気もするが、それを尋ねるのは躊躇われる。

 そんな俺の胸中など知りもしないのだろう、宗佐が「そうだ」と声をあげ次いで己の鞄を漁りだした。


 取り出したのは……ネクタイだ。


 先程まで意地悪くニヤニヤと笑っていた珊瑚がピクリと肩を揺らし、小さく「あっ……」と声をあげた。

 微かなその声に、一瞬だけ見せた悲痛そうな表情に、彼女のネクタイはいまだ見つかっていないのだと察する。


「珊瑚、ネクタイ失くしたって言ってたよな。これあげるよ」


 ほら、と宗佐が鞄から取り出したネクタイを珊瑚へと差し出した。

 きっと常に鞄にしまいこんでいたものだろう。よれているあたり扱いのぞんざいさが垣間見えるが、本人は「汚れてはいないから!」と主張している。

 それを見た珊瑚が、僅かに躊躇いの色を見せた。


「でも、そうしたら宗にぃのネクタイが無くなっちゃうよ」

「式典の時だけ返してくれれば良いよ。それに、いざとなったらリボンを着けて式典に出る! 女子のネクタイが許されてるんだ、男だってリボンで式典に出ても問題はない!」


 宗佐が意気込んで訴える。

 確かに、式典でもネクタイを着けたままの女子生徒はいる。女子はリボン・男子はネクタイと言われているが、あくまで推奨されている程度。異性の装飾を着けていても咎められる事はない。

 だから宗佐の言い分は尤もで、男がリボンを着けて式典に出ても言及される謂れはない。

 ……謂れはないけど。


「お前、さすがにそれは……」


 男としてどうなのか。

 そう俺が尋ねるも、宗佐は自分の発言を撤回することなく、むしろ胸を張ってきた。


「こういうのは堂々としてれば良いんだ。もしもリボンを着けた俺に先生が何か言ってきても、逆にこう尋ね返してやれば良い」


 リボンを着けている己を想像しているのか、宗佐が得意げに胸を張ったまま胸元に手を添えた。まるで演説でもしているかのような堂々とした態度だ。

 そうしてさも当然と言いたげな表情でゆっくりと口を開いた。


「『ファッショナブルな俺に何か質問でも?』と、そう答えてやれば先生はきっと何も言わなくなるはずだ」

「……そうだな、とりあえず何も言えなくはなるだろうな」

「むしろ着こなして流行の最先端を狙う方向でいきたい。そういうわけだから、このネクタイは珊瑚が持ってなよ」


 はい、と宗佐が手にしていたネクタイを珊瑚に渡す。

 冗談めかした話をしたのも、珊瑚が気を使わないためだろう。「新しいのを買い直すから」と真っ当なフォローも入れている。

 こういう時、宗佐はやたらと気が回る。馬鹿な事を言って笑い飛ばし、相手が気負わないようにするのだ。さり気無く、自然体に。苦笑と軽い感謝の言葉で受け取れるように。


 そんな宗佐のさり気無い優しさに気付いたのか、珊瑚も嬉しそうに笑い、差し出されるネクタイへと手を伸ばした。

「ありがとう、宗にぃ」という彼女の声はこれでもかと嬉しそうで、さっそくと言いたげにいそいそと胸元からリボンを外した。


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