第14話 ネクタイの意味

 

「えぇっと……その……。無くなったのは宗佐のネクタイだから、って事だよな?」

「そうかもしれないってだけです。……多分、そうなのかなって」


 確証は無いのだろう珊瑚が言葉尻を弱める。

 チラと周囲に視線をやるのはあまり聞かれたくない会話だからか。困惑を隠しきれない気まずそうな表情をしている。

 だが今の俺には、珊瑚がこんな表情をしている理由も、ましてや「宗佐のネクタイだから」という言葉の意味も分からない。


 きっと今の俺は、疑問符だらけの、随分と間の抜けた顔をしていることだろう。


「仮にジンクスを信じて宗佐のネクタイが欲しくて盗んだとしても、交換しなきゃ意味がないだろ?」


 蒼坂高校のジンクスはあくまで『ネクタイとリボンを交換した男女』と限定されている。片思いをしている相手の装飾品を手に入れたとしても意味など無い。

 わざわざ珊瑚からネクタイを盗んで所有して、そこに一体何の意味があるのか。


 そう俺が尋ねれば、珊瑚がわざとらしく肩を竦めた。


「健吾先輩は恋心を分かってませんねぇ」


 やれやれと言いたげな表情で、それどころか溜息交じりに首を横に振る。

 その態度の生意気な事と言ったらない。先程ほんの少しだけ見せた繊細な色があっという間に消え失せているではないか。

「心配して損した」という呟きはぐっと飲みこんで、小突いてやろうかと手を伸ばす。それを察したのか、珊瑚がひょいと数歩下がった。反射神経の良い奴だ。


「好きに言えよ。ネクタイを盗むような恋心なんて分かりたくもない」

「それもそうですね。とにかく、意味なんて無くたって盗るんです。欲しいというより、誰かが持っているのが気に入らない、ってところでしょうか」

「持ってるのが気に入らないって、そんな、だってただ兄妹で交換しただけだろ」


 宗佐と珊瑚がネクタイとリボンを交換したのは、ジンクスにまつわるような恋愛めいたものではない。たんに兄妹間の仲が良いからだ。

 さすがに芝浦兄妹のような男女間はいないかもしれないが、探せば姉妹間でリボンを交換している者は居るかもしれない。たとえば姉妹で他校に通っていれば、交換すれば二種類のリボンが手に入るのだ。

 女子生徒の中には交換こそしないが揃いのリボンを着けている者だっている。


 珊瑚が着けていた宗佐のネクタイはあくまでそれらと同じ。

 ジンクスには該当しない。宗佐だってジンクスを知ったうえで、珊瑚と交換したとあっけらかんと話していたじゃないか。


 だから……と言いかけた俺の言葉が止まる。

 自分のリボンを手に取り見下ろす珊瑚の表情が、先程の……いや、先程よりも切なそうに見えたのだ。

 眉尻を下げて目を細めた、苦しいと言いたげな表情。それでも胸の内を押し隠すように笑おうとし、それがまた悲壮感を増す。

 だが次の瞬間、俺の視線に気付くと珊瑚はすぐさま表情を戻してしまった。

 いつも通りの少し小生意気な後輩の顔だ。先程一瞬見せた苦しそうな色は無い。


「妹、どうした……?」


 何かあったのか尋ねようとする俺の言葉に、珊瑚の「先輩の妹じゃありません!」という声が被さった。

 いつもの返しだ。声も、表情も、いつも通り。むしろ普段より少し声が大きい。

 俺に言い返したことが楽しいのか笑っている。……それとも、笑っているように見せているのか。


「そんなの言われなくたって、誰だって……ネクタイを盗んだ人だってきっと分かってますよ。ネクタイを持ってたところでどうしようもないって……。だって、兄妹間で交換しただけですから」


 当然でしょ? と珊瑚が軽い口調で告げてくる。それに対して俺はなんと答えて良いのか分からず、ただ話を聞くだけしかできなかった。

 いつもの流れであれば「そうだな」と肯定しただろう。もしくは、それでも嬉々として交換し自慢する兄妹仲を相変わらずだと感じたかもしれない。


 だが今だけは肯定してはいけない気がする。

 ジンクスには当てはまらない。ネクタイを持っていても意味など無い。そう訴える珊瑚の話を俺まで肯定してしまったら、何かを傷つけてしまいそうな気がしてならない。

 だけど何を傷つけるのだろうか。


「おい、妹……」

「だから健吾先輩の妹じゃありません。……私は、宗にぃの妹です!」


 いつもの返しだけでは終わらず、珊瑚が宗佐の妹だと主張する。

 次いで彼女は僅かに言い淀んだ後、ぎこちなく笑った。無理に取り繕おうとしている痛々しい笑顔だ。

 自分のリボンを手にする珊瑚の指が僅かに揺らいだ気がする。心なしか、リボンを掴む手に力が入ったように見えた。


「……だから、妹だから……ネクタイを持っていたって、盗んだって、意味なんて無いんですよ」


 そう小さく呟き、珊瑚は「失礼します」と一言残して足早に去っていった。



 ◆◆◆



 先程の珊瑚の様子は宗佐に話しても良いものか……。

 さんざん悩んだ挙げ句、俺は職員室から戻ってきた宗佐に対し「遅かったな」とだけ返した。


 嘘をつく気はない。言わないだけだ。

 珊瑚もそれを望んでいるような気がする。


 そうして宗佐とは他愛もない雑談をし、各々家へと帰る。

 珊瑚の様子が気になりはしたが、かといって俺には探る術も、ましてや彼女を案じてやる術もない。もちろん連絡先も知らない。


『友達の妹』と『兄の友達』なのだから、仕方のないことだ。

 ……でも。


「……駄目だ、どうにも気になる」


 一瞬見せた珊瑚の表情が脳裏に焼きついて離れない。

 そして彼女があれほどに「ネクタイには意味はない」と言い張る理由は……。

 だが考えたところで明確な答えは得られず、なんとも言えないもどかしさを感じながら家のドアを開けた。毎日開け閉めしているはずの扉が、今日に限っては重く感じられる。


 そんな俺を出迎えたのは……、


「兄ちゃんおかえり! 母さんが兄ちゃんとお風呂に入れって!」

「兄ちゃん! お風呂で水鉄砲の撃ち合いしよう!」


 と、扉も閉まらぬ内に喚くように玄関に飛び出してくるパンツ一丁の小学生男児二人と、


「お願い健吾君……、週に一度、週に一度でいいからゆっくりお風呂に浸からせてぇ……」


 と、疲労いっぱいの声で居間に続く扉から顔を覗かせる義姉だった。



 一瞬見せた珊瑚の切なげな表情が忘れられない。

 ……だが、大家族に生まれた身には悩む時間は与えられないらしい。




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