第16話 ネクタイに関する勇気と嫉妬

 

「宗にぃ見て、ねぇ、どう?」


 手早くネクタイに着け直した珊瑚が、宗佐に見せつけるように胸を張る。

 宗佐と珊瑚は兄妹ではあるが血は繋がっていない。だというのに、こうやって得意げに誇るとよく似ている。さすが兄妹だ。

 思わず俺が拍手を贈れば、月見までもが「ネクタイ似合ってるね」と珊瑚を褒めだした。気分を良くした珊瑚がその場でクルリと回る。


「2回も宗にぃのネクタイを入手したということは、これはもう恋人を超えて夫婦ですね! 恋人の証であるネクタイは、二本目になると夫婦の証になるんです!」

「はいはい、そうだな」

「ネクタイが増えるほど愛が増していく気がします。これは三本、四本と毎日のように宗にぃからネクタイを貰って、日々愛を深めていくのも悪くありませんね」

「芝浦家がネクタイで破産するぞ」


 相変わらずブラコンぶりを見せてくる珊瑚を軽くいなせば、適当に流されたことが不服なのか珊瑚が膨れっ面で睨んできた。

 次いで宗佐へと向き直るのは、改めて宗佐にネクタイ姿を褒めてもらいたいからだろう。対して、宗佐もまた珊瑚のブラコンぶりに負けぬシスコンぶりを見せ、「よく似合ってる」と褒めだした。


「リボンも可愛かったけど、やっぱり珊瑚はネクタイの方が良いな。俺の、俺だけの、ネクタイが似合ってる。やっぱり珊瑚には、俺の、ネクタイじゃないと」

「宗にぃ、そんなに私のことを……」

「他の奴のネクタイなんて認めるものか。たとえ石油王のネクタイだろうと俺は断じて認めない!」

「また石油王が出て来た」


 いつもの調子で訴える宗佐に、珊瑚が呆れたと肩を竦める。

 そんなやりとりの中、「珊瑚ちゃん」と月見が珊瑚を呼んだ。


「前に着けてたネクタイ、無くしちゃったの?」

「そうなんです。でも宗にぃがくれたんで、もう大丈夫です!」

「そっか、よかったね。……だけど、最初に芝浦君があげたネクタイはどこにいったんだろう」


 月見が考えを巡らせ首を傾げた。

 他の男のネクタイならばまだしも、紛失したのは宗佐のネクタイ。密かに――だいぶ分かりやすいが当人的には密かに――宗佐に思いを寄せる月見にとっては憧れの代物。行方が気になるのだろう。

 とりわけ、二本のネクタイ両方を珊瑚に渡してしまった今、宗佐はネクタイを持っていないのだ。ジンクスを信じない俺には今一つピンとこないが、月見の胸には惜しむような切なさがあるのかもしれない。


「宗佐、ネクタイはいつ買うんだ? 前にネクタイを買い直した奴から聞いたんだけど、注文して一週間は掛かるらしいな。式典前には余裕持って買っておけよ」

「え、そんなに掛かるの? 刺繍があるからかな」


 蒼坂高校のネクタイとリボンには所有者のイニシャルが刺繍されている。

 それゆえ購入も手間が掛かり、購入申請から手元に届くまで一週間ほど要するという。

 俺の話を聞き、宗佐が明日にでもと決めた。

 忘れっぽいこいつの事だ、式典当日に「ネクタイ買うの忘れてた!」と叫ぶ羽目になる可能性は高い。それならば今日中に親に話し、明日注文と急いだ方が良いだろう。


 そしてネクタイもリボンも購入の際は二つセットとなっている。

 つまり購入後に紛失した一本が見つかった場合、所有するネクタイは三本になる。

 それを話せば、宗佐があっけらかんと笑った。


「三本は多いけど、まぁ無いより多い方が良いんじゃないか?」


 なんともこいつらしい考えだ。

 それを聞いた月見が上擦った声で宗佐を呼んだ。心なしか表情は強ばり、胸元で手を強く握っている。緊張しているのだろう。


「あの、芝浦君……。もしも、なんだけど、もし無くなっちゃったネクタイが見つかったら、私……その、ネクタイが欲しいな……って」


 月見の声は上擦りたどたどしく、消えそうなほど弱々しい。必死で言葉を紡いでいるのが分かる。

 むしろ月見本人が今すぐにでも逃げ出してしまいそうなほど緊張している。


 それでもはっきりと「ネクタイが欲しい」と告げた。


 宗佐がきょとんと目を丸くさせ、「えっ……?」と間の抜けた声をあげる。聞き損ねたか、もしくは聞こえたが理解出来ていないのか。

 それを聞いた途端、月見が顔を真っ赤にさせて「あのね!」と声をあげた。


「さ、珊瑚ちゃんがネクタイを着けてるのを見て、可愛いなって思ったの! それで、私も、私もネクタイ着けたいなって思って。でも、ほら、一本だけって買えないでしょ。それで……!」

「あ、そ、そっか! そうなんだ! 月見さんならネクタイも似合うと思うよ!」


 真っ赤になって早口で誤魔化す月見に、対して宗佐もまた早口気味に返す。

 おおかた、月見はアプローチしたが恥ずかしさが勝り誤魔化し、そして宗佐は一瞬抱いた期待に己で恥じているのだろう。二人とも乾いた笑いと白々しさで、早々と別の話題に切り替えてしまう。


 なんともどかしいことか。

 といっても、この程度のもどかしさは多々ある事だ。月見も宗佐も、あと一歩のアプローチと積極性があれば……というやりとりを今日まで何度も繰り返している。

 またやってる、と俺が心の中で呟き、肩を竦めた。

 珊瑚はいまだ窓辺に張り付き、月見と宗佐のやりとりをふてくされて見ている。じっとりとした目つきを見るに随分と不満なようだ。

 珊瑚からしてみれば、自分をダシにされたようなもの。ブラコン妹が不満を抱くのも仕方ない。


 ……もっとも、不満を抱いているのは珊瑚だけではない。


「今のやりとり聞いたか? 月見さんの健気なアプローチを受けておいてあの態度。芝浦の存在が憎い……!」

「あぁ、なんて月見さんは奥ゆかしいのだろうか……。なぜ芝浦なんだ、芝浦のどこが良いんだ……。確かにあいつはわりと顔も良いし性格はマジで良い奴だけど……くそ……!」


 と、男達の恨み辛みが聞こえてくる。

 言わずもがな月見を慕う男達だ。甘酸っぱい宗佐と月見のやりとりに男達が呪詛を囁き始め、それに加えて、宗佐を慕う女子生徒達も月見のアプローチに焦りを抱いてこちらを見てくる。


 嫉妬と憎悪と焦りが教室内で入り交じる。


 ここまでを含めていつもの教室と言えるだろうか。今更すぎて考える気にもならない。

 ただ、珊瑚がより不満そうな表情をしているのが気になるところだ。

 ダシにされたうえ憎悪やら嫉妬やらを目の当たりにしているのだから、ブラコン妹としても後輩としても胸中は複雑どころではないだろう。彼女の中で先輩の威厳がガラガラと音立てて崩れている気配がする。


「妹、これはその……。今は目も当てられない状況だけど、俺達も根はもっと真面目なんだ。タイミングさえ合えば立派な先輩の姿を見せてやれるからな」

「タイミングですか」

「あぁ、タイミングが大事だ。具体的に言うなら、俺が『今だ』と連絡して五分以内に教室に来てくれれば先輩の威厳を見せられる。ただ十分過ぎると今の惨状になってる可能性が高い」

「健吾先輩のフォローも色々と厳しいものを感じさせます」

「……うん、俺もそう思う」


 むしろフォローという名の墓穴を掘った気がする。


 そんな会話をしていると、宗佐が何かを決意したと言いたげに月見に向き直った。

「つ、つきみしゃっ……月見さん!」と盛大に噛むあたり、何か大事なことを言おうとしているのだろう。情けないが決意は伝わる。


「あ、あの、さっきの話なんだけど、月見さんならネクタイも似合うと思うよ!」

「本当? 嬉しい。それなら、もし芝浦君のネクタイが見つかったら、そのときは私に……」

「もちろんあげるよ!」


 キラキラと輝かんばかりの笑顔で宗佐が即答すれば、月見が顔を真っ赤にさせて嬉しそうに頷いた。

 その光景はまさに青春そのもので……、


 そして次の瞬間、宗佐は嫉妬を爆発させた男達に担がれ運ばれていった。

 無言で。流れるようにスムーズに。


 うん、あれは俺も仕方ないと思う。

 宗佐も頑張ったし月見も頑張った。そして二人が頑張れば頑張る分だけ男達が嫉妬し限界を迎えるのだから、この爆発は必然とも言える。


「しかし今回はすごかったな。いつもの前口上や怒号が無いあたり本気度が窺える」

「……宗にぃの馬鹿」


 宗佐達が出て行った教室の扉をのんびりと眺めていれば、窓辺にいた珊瑚がポツリと呟いた。

 次いで踵を返すとさっさと窓辺から去っていってしまう。別れの言葉もないあたり、不満どころか怒りに近いのかもしれない。

 俺には見慣れたクラスメイト達のやりとりでしかないが、珊瑚にとってみれば兄との会話を知らない生徒達に邪魔されたわけだ。それも目の前で話相手の宗佐を担ぎ攫われたのだから、愚痴の一つや二つも言いたくなるのだろう。


「馬鹿で厄介な兄を持って、あいつも苦労するな」


 小さくなっていく珊瑚の背中を労いながら見送る。

 そうして校舎の中へと入っていくまで見届け、今度は月見へと視線をやった。

 彼女は顔を赤くさせて立ち尽くしている。表情どころか全身から幸せオーラが出ており、夢見心地とはきっと今の月見のような状況を言うのだろう。


 これを正気に戻さないといけないのか。

 誰か俺を労ってくれないだろうか……。


 そんな事を考え、いまだ呆然とする月見を呼びつつ、彼女の目の前ではたはたと手を振った。

 ちなみに月見はぴくりともしない。

 ……これは時間が掛かりそうだ。


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