第9話 兄妹のネクタイ
宗佐の登場に、月見が慌てて少し上擦った声で朝の挨拶を告げる。それに返す宗佐もはにかんでおり、見ているとなんとも甘酸っぱい。……を通り越して見ていられない。
更に宗佐と月見のやりとりを見て、いつの間にやら人数の増えた教室内に嫉妬の空気が漂い始める。男子生徒の恨みのこもった呪詛のような呟きは聞くに堪えない。
頼むから俺抜きで勝手にやってくれ。
そう心の中で言い捨て、次いで俺は窓の外へと視線をやった。
「石油王だろうと認めないってさ。ブラコン兄貴を持つと大変だな、妹」
「先輩の妹じゃありません! でも宗にぃを兄に持って大変なことは否めませんね!」
やれやれと言いたげに珊瑚が肩を竦めて首を横に振る。
随分と大袈裟な態度だ。
露骨な彼女のアピールに『妹に世話されている兄』と想われかねないと宗佐が弁解をはかる。月見が居るからなおのこと必死で、「いつも迷惑掛けてるわけじゃないから!」と訴えてくる。
そんな宗佐をスルーして、俺はいまだ疲労アピールする珊瑚に向き直った。
「そういえば、なんで今日も外にいるんだ? 他の一年も登校してるみたいだし、今日は変則授業じゃないだろ」
宗佐と一緒に登校してきたのなら、そのまま一緒に校舎に入ればいいのに。
そう俺が話せば、珊瑚はよりいっそう大袈裟に溜息をついた。対して宗佐が慌てだす。なんと真逆な反応で分かりやすい。
「お母さんから、宗にぃが進路調査を提出ボックスに入れるまで見届けて、って頼まれてるんです」
「なにが『いつも迷惑掛けてるわけじゃないから!』だ。今まさに妹に迷惑かけてるじゃねぇか」
「進路調査、今日締め切りなんですよね? それなのに宗にぃってばずっと出してなくて。いつ聞いても『あ、忘れた』とか『明日出すから平気だよ』とか言って笑うんですよ」
「心の底から言う、本当にご苦労さん。お互い兄弟問題では苦労するな。……ところで、そのネクタイなんだけど」
そういえば、と思い出してチラと珊瑚の胸元に視線をやる。
白いシャツと紺色のベスト、胸元に飾られているのはチェック柄のネクタイ。裾に刺繍されているイニシャルは……。
『S・S』だ。
「それ、宗佐のか?」
「ネクタイですか?」
俺の問いに、珊瑚がひょいと自分の胸元にあるネクタイを手に乗せた。
俺達の話を聞いていたのか、月見が途端にそわそわと落ち着きを無くす。彼女以外にも数人の女子生徒が耳を澄ませてこちらを窺っているのが分かる。
そんななんとも言えない空気の中、珊瑚があっさりと「そうですよ」と答えた。
次いで得意顔で胸を張るのは、きっと月見を含めた女子生徒達の羨望の視線に気付いたのだろう。
「当然じゃないですか。私は宗にぃと七割方一つ屋根の下で暮らす、唯一無二の存在なんですから!」
「はいはい、そうだな。そういえばいつも思うんだが、なんで七割なんだ?」
「私、隣にあるおばあちゃんの家で主に生活してるんです。おばぁちゃんの住む旧芝浦邸と宗にぃとお母さんが暮らす新芝浦邸を行き来してるんで、まぁ概ね七割かなって」
「そういうところ律儀に言うんだな」
「ネクタイを所有している者の余裕ってやつですね。七割だろうと、誰よりそばに居て共に暮らす存在なのは事実。もちろんジンクスがあるのも知ってますよ。つまりこれは恋人の証です!」
珊瑚が更に得意げになって断言する。
その話に、俺は思わず「へぇ」と興味深そうに彼女と宗佐を交互に見た。
もちろんだが宗佐も蒼坂高校のジンクスを知っている。
以前に雑談交じりに話をして、その際に浮かれた口調で「なんか青春って感じだよなぁ」と言っていた。――その頃すでに宗佐は女子生徒達から想われていて、そのうえでのこの発言ときた。一発殴りたくなり拳を握ったのも覚えている――
つまり宗佐はジンクスを知ったうえで、その行為が恋人同士特有のものだと理解したうえで、珊瑚にネクタイをやったということだ。そのうえリボンとの交換までしたというではないか。
そこまでするか? と俺が宗佐に視線を向ける。
月見も同じことを考えたのだろう「リボンまで……」と呟きながら宗佐を見ている。困惑と焦りを綯い交ぜにした、悲痛そうな顔だ。
そんな俺達の視線を一身に受け、それでも宗佐はあっけらかんと笑ったまま、
「可愛い妹に言われたら交換するに決まってるだろ。むしろ妹のリボンを俺が守るって考えたら兄冥利に尽きる! 珊瑚のリボンは石油王ではなく俺の手にあるのだ!!」
と、なぜか誇らしげに答えた。
つまり、珊瑚に強請られ、そして兄の使命感のもと交換したということだ。
月見が小さく安堵の息を吐く。それどころか背後で聞き耳を立てていたクラスメイト達までもが、良かった良かったと言いたげに各々の作業に戻っていった。
なかには「芝浦はやっぱり芝浦だな」だの「奴が鈍感で助かってるが一発殴りたい」だのといった声が聞こえてくる。全く持って同感だ。
「シスコンとブラコンで交換か。まぁ末永く兄妹仲が良いってことでご利益はあるんじゃないか?」
「兄妹で交換って素敵だね。私一人っ子だから羨ましいな」
俺が結論付ければ、月見が宗佐達の仲の良さを褒める。片思いをしている月見に褒められて宗佐も満更でも無さそうだ。
そんなやりとりの中、珊瑚はいまだ自分のネクタイを見下ろしており、俺の視線に気付くとはたと顔を上げた。その顔が一瞬いつもと違って見えたのは気のせいだろうか。
苦しげな、悲しげな、それでいてどこか諦めさえ感じさせる表情……。
「どうした、妹?」
「い、いえ。なんでもありません。それより宗にぃ、可愛い妹をいつまで窓辺で待たせるの! 早く進路調査のプリントを提出してよ!」
そろそろ教室に行きたい! と珊瑚が喚く。もっともな意見だ。
それを聞き、宗佐が慌てて鞄を漁り……「玄関に忘れて来た!!」と悲鳴をあげた。
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