第7話 敷島家の事情

 

 珊瑚を待たせまいと急ぐ宗佐につられて、俺も一緒に学校を出る。

 といってもさすがに二人の買い物にまで着いていく気はなく、スーパーへと向かう宗佐達とは途中で分かれ、俺はそのまま帰路についた。

 ……正直なところ、宗佐達の買い物に着いていきたい気持ちはあった。

 むしろ荷物持ちとして芝浦家まで行ったって良い。遠回りできるなら大歓迎だ。


「だけどスーパーに行ったって知られたら、それはそれで面倒な事になるからなぁ……」


 溜息交じりに呟き、鍵を開けて玄関の扉を開ける。

「ただいま」と声を掛ければ、奥から人の気配がして……、


「健吾兄ちゃんだ! 」

「兄ちゃん、お風呂あくよ!!」


 と、パンツ一丁の小学生男児が二人、目の前を走り抜けていった。

 向かった先には台所がある。おおかた風呂上がりのアイスを狙っているのだろう。

 間髪を入れず聞こえてくるのは「ちゃんと髪乾かしなさい!」といういかにも母親らしい叱咤の声。そして台所からも「夕飯食べられなくなるでしょ!」と声が聞こえてくる。

 もちろんそんな日常的なお小言で小学生男児二人が静まるわけがなく、喧しい声はいまだ続いている。うるさいなんて表現は生温い、これはもはや騒音である。

 そんな騒音の中、溜息交じりに鞄を放って玄関にあがれば、台所からひょいと母さんが顔を出してきた。


「あら、健吾いたの? あんたいつ帰ってきてたのよ。帰ってきたならちゃんと『ただいま』ぐらい言ったらどうなの」

「言ったよ。言ったけど掻き消された」

「そうなの。それじゃ、双子の髪拭いてあげて」


 よろしく、と面倒な仕事を押し付けて母さんが台所へと引っ込んでいく。

 思わず俺が「げぇ」と呻けば、今度は風呂場から「よろしくねー」と若い女性の声が聞こえてきた。おまけにアイスを手にした小学生男児が騒ぎながら目の前を駆け抜けていく。


 あれを捕まえて髪を拭くのか……。


 もちろん大人しく捕まえられるわけがなく、なおかつ大人しく拭かれているわけがない。片方を拭いている最中に片方が逃げ、それを追いかけようと暴れて……。

 髪を拭き終わる頃にはこちらが汗をかいているほどの重労働。「いっそ坊主にしてしまえ」と何度呟いたことか。

 想像しただけで疲労が溜まる。どうして学校から帰ってから更に疲れなくてはいけないのか。

 だが俺に拒否権はない。これこそ、俺が帰宅を渋る『敷島家の家庭の事情』だ。

 それでもせめてと、


「ちゃんと『おかえり』ぐらい言ったらどうなんだ」


 と恨みを籠った声色で先程の母さんの言葉を真似してやれば、「はいはい、おかえり」という適当にも程がある声が返ってきた。



 狭いとは言わないが豪邸とも言えない一軒家に、大人が四人、高校生一人と中学生一人、小学生が二人に赤ん坊が一人。

 やたらと人が多くやかましいこの光景を見て、親戚の集まりと思う者もいるかもしれない。

 だがこれは俺の家では普通の光景である。どれだけ騒がしかろうが日常でしかない。


 ……そう、敷島家は世間で言う大家族というやつだ。


 俺は四人兄弟の三番手。二番目の兄は成人して家を出ており、今この家にいるのは長兄と俺と中学生の弟、それと俺達の両親。そして俺にとっては義姉になる長兄の奥さんと、甥の双子と赤ん坊。

 総勢九人が一軒の家で暮らしているのだ、騒々しくなるのも仕方ないだろう。

 そのうえ、俺を含めて兄弟甥もれなく男児ときた。これで静けさを期待しろというのが無理な話。


 俺が休みの日にいつまでも寝ている宗佐を羨んだのはこういう理由からである。

 敷島家に生まれて昼まで熟睡なんて夢のまた夢。小学生男児双子に叩き起こされるか、赤ん坊の泣き声で起こされるか。運よく妨害されず眠れたとしても、代償として朝食と昼食は誰かの胃に収められてしまう。

 むしろ、昼過ぎまで放置されていたら家族に何があったんじゃないかと心配して起きそうだ。

 そう双子の片方を捕まえて髪を拭いてやりながら思う。


「なんだよ兄ちゃん、溜息なんかついて」

「そりゃ学校終わって帰ってきたと思ったら休む間もなくお前達の世話なんだから、溜息だって吐きたくなる。宗佐達とスーパーに行って時間稼ぎしてくりゃ良かった」

「スーパー行ってたら、お米とおむつ頼まれたぞ。さっき母ちゃんと婆ちゃんが『誰かに頼めないかしら』って話してたから」

「あー真っすぐ帰ってきてよかった」


 前言撤回、直帰万歳。

 というか、まだ米は分かる。ただでさえ大家族、それも男だらけ、となれば米の消費スピードは尋常ではない。

 俺も消費する一人として、買ってこいと言われれば何キロだって担いで買ってくる覚悟だ。働かざるもの食うべからず。

 だがおむつはさすがに……。

 もちろん必要なものと分かっている。だが思春期真っ盛りの男子高校生にとって、制服でスーパーに寄っておむつを買って帰るのは中々に高難易度ミッションだ。

 友人に見られたら、と想像すると何とも言えない気持ちになる。


 そう呻くようにぼやけば、双子の片割れが興味無さそうに「ふぅん」とだけ返してきた。

 この繊細な気持ちは小学生男児には分かるまい。


 ……あと、


「それなら、着替えれば買ってきてくれるのよねぇ」


 と、扉の隙間から顔を覗かせる義姉と、「ついでにお米もよろしくねぇ」と続けて顔を覗かせ着替えのシャツはためかせる母親には、けっして分かるまい。


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