第6話 無自覚女たらし

 

 宗佐は老若男女問わず親切で、困っている人を見つけると躊躇いなく声を掛けて手伝いや助けに入る。

 重い教材を運んでいる生徒を見つければすぐさま駆け寄って持ってやり、車の鍵を落としたと困惑する教師が居れば一緒に探してやる。

 校内に限らず外でも同様。休日に共に出かけた際、「ちょっと待っててくれ」と一言残して他人の助けに向かう宗佐を何度見た事か。

 俺だって気付けば人の助けはする。だが行こうと考えた瞬間、迷惑にならないかという躊躇いやどう声を掛けるべきかという僅かな迷いが生じてしまう。

 宗佐にはそういった迷いが一切無いのだ。


 そして、宗佐の親切心には裏や下心も無い。たとえ相手が異性だろうと、宗佐からしてみればただ相手が困っているから助けるに過ぎない。

 これは一年間宗佐の親切を間近で見ていたから分かる。断言してもいい。

 宗佐は根から親切な男だ。中性的で男くささの無い外見と合わさって、まさに好青年である。


「しかし、それでお礼に手作りのクッキーか」

「元々料理とかお菓子作りが趣味で、誰かに食べてもらうために作るのが特に好きなんだって」


 話しながら、宗佐がクッキーの入った箱を俺に差し出してくる。

 どうやら一枚くれるらしい。……が、俺はそれを首を横に振ることで遠慮しておいた。

 宗佐が不思議そうにこちらを見てくる。


 俺だって、これが普通のクッキーなら感謝を告げて一枚貰っただろう。


 ……普通のクッキーなら。

 込められた気持ちが感謝だけの、たんなるお礼としてのクッキーだったなら。


 だが誰がどう見ても、これはお礼としてだけのクッキーではない。


「宗佐、さすがに俺はそのクッキーは食えない」

「このクッキーは? あ、もしかして他人の手作りが駄目なタイプか」


 なるほどな、と宗佐が一人勝手に納得し、再びクッキーを食べ始める。「美味しいのになぁ」という間延びした声のうざったらしい事と言ったらない。それを横目に、俺はさすが鈍感男だと肩を落とした。


 早瀬と呼ばれた一年生女子の態度は分かりやすかった。

 意を決したといわんばかりの表情、緊張して上擦った声、俺も居たというのに彼女は宗佐だけを見つめていた。

 なにより、この明らかに気合いの入ったクッキー。

 そこから導かれる答えなど、言われずとも分かる。


 ……だというのに、宗佐は相変わらず気付く気配すら見せず、いまだ暢気にクッキーを食べている。

 その背後では女子生徒達が不安そうに宗佐を見つめ、男子生徒達が嫉妬を宿して宗佐を睨みつける。そして奏でられる呪詛。


「二年になってもこんな感じかぁ……」


 うんざりだと溜息を吐けば、教室の扉から、頬を染めつつこちらの様子を――というより宗佐だけの様子を――伺う早瀬の姿が見えた。



◆◆◆



「お前の兄貴の女たらしはどうにかならんのか」


 と俺が尋ねたのは、帰りのホームルームも終わった放課後。

 半分以上のクラスメイト達は部活や委員会へと向かい、更に半数近くも既に帰路についた。残っているのは用事もなくダラダラと雑談しながら過ごす生徒だけ。

 俺もその中の一人である。

 部活や委員会には所属しておらず、家庭の事情によりあまり早めに帰る気も起きない。ゆえに緩慢とした動きで帰宅の準備をし、それが終わっても椅子に座ったまま携帯電話を弄っていた。


 そんな矢先に、窓辺に珊瑚が現れたのだ。

 挨拶もそこそこに「宗にぃはどこですか?」と教室内を見回す。

 彼女に宗佐の不在と――授業中の居眠りを咎められ雑用を押し付けられた、と教えてやれば、珊瑚がそっと己の手で耳を塞いだ――、じきに戻るであろうことを伝えてやった。


 それを聞いた珊瑚が仕方ないと言いたげに窓辺にもたれかかる。曰く、親から帰りに買い物を頼まれており、宗佐と二人で行く予定だったという。

 その話を聞き、なるほどと頷き、先程の質問である。

 問われた珊瑚がきょとんと眼を丸くさせ、次いで何かを察したのか眉間に皺を寄せて渋い表情を浮かべた。


「……今度は誰ですか」


 珊瑚が項垂れる。

『なにがあったのか』とは聞かず『誰』と聞いてくるあたり、彼女の慣れを感じさせる。言われずとも何が起こったのかは察したのだろう。

 それに対して俺は労いの言葉を掛けつつ、手作りクッキーの一件を話した。



 宗佐は老若男女問わず親切で、とりわけ女性に対しては優しい。

 だがそこに一切の下心はない。異性に良いところを見せようだの、これを機に親しくなろうだのといった考えは欠片も無い。

 ただ純粋に『相手が困っているから助ける』ただそれだけなのだ。


 そしてそんな宗佐に、助けられた者達は感謝を抱き……そして女性は惚れる。


 何故だか不思議なくらいに宗佐はもてる。

 そのモテぶりと言えば、俺は常々蒼坂高校が集団催眠に掛かっているのではないかと疑っているぐらいだ。

 それを話せば、珊瑚が「集団催眠……」と呟いた。真剣みを帯びた表情で

 考えを巡らせはじめる。


「待て、さすがに集団催眠は冗談だからな」

「宗にぃは小学生の頃からやたらとモテていましたから、何か女性を引き寄せるフェロモンが出ているのではと疑ってました。でも健吾先輩の言う通り、確かに集団催眠の可能性もありますね」

「真剣に考察するな、だから冗談だって」

「さすが健吾先輩。やはり年上の意見というのはためになりますね」


 どうやら俺の冗談を本気に取ってしまったようだ。

 慌てて訂正すれば、珊瑚は一瞬きょとんとした後、咳払いをして「冗談だと分かっていましたよ」と強がりを言ってきた。

 次いで俺を睨みつけてくるのだが、珊瑚は一学年下の後輩、睨まれたところで俺が臆するわけがない。


「集団催眠を信じるなんて、もう少し落ち着いて物事を考えた方がいいぞ。変な話に騙されるなよ?」

「ち、違います! ちゃんと冗談だと分かっていて、話術に長けた私は冗談に乗ってあげたんです!」


 自分は断じて本気で信じていたわけではない、と珊瑚が必死で訴える。


 そんな中、ガラと教室の扉が開かれた。入ってきたのは宗佐だ。

 珊瑚が表情を明るくさせ「宗にぃ!」と呼ぶ。

 妹の危機に絶妙なタイミングで現れる兄、というものだろうか。さすが宗佐だ。

 もっとも、絶妙なタイミングで現れはしたものの、珊瑚を見ると不思議そうに首を傾げた。


「珊瑚も居たのか。どうしたんだ?」


 と尋ねるあたり、買い物の予定はさっぱり忘れているのだろう。


「宗にぃを待ってたの。お母さんから、帰りに買い物してきてって頼まれてたでしょ」

「……あっ! そ、そうだったな。忘れて……ないぞ、立派な兄は忘れたりなんかしないからな」

「はいはい。忘れてない忘れてない。それじゃ早く準備して、私、昇降口で待ってるから」


 そっけない態度で返し、珊瑚が肩を竦める。

 次いで俺に対して「では失礼します」と後輩らしい態度を取ると、踵を返して昇降口の方へと駆けていった。


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