第5話 芝浦家の事情

 

 宗佐と珊瑚は兄妹である。

 だが珊瑚が訴えていた通り二人の間に血の繋がりはなく、宗佐は母親、珊瑚は父親の連れ子だ。互いの親が再婚したことにより宗佐と母親が芝浦姓に入り、二人は兄妹になった。と、俺が知っているのはそれぐらいである。

 もっともこれも直接説明されたわけではなく、先程のような会話から情報を拾ってたてた俺の推測に過ぎない。

 どういった経緯で親が離婚したのか、今は連絡は取っているのか、いつ頃のことなのか……友人として気にはなるが聞き出すのは野暮だろう。

 必要な時がくれば話すだろうし、必要な時がこなければ話さなくたって良い。


 宗佐が堂々と妹を自慢するのは、そういった家庭の事情があるからかもしれない。

 もしくはたんに何も考えておらず羞恥心が人より薄いだけか。個人的には後者な気もするが、友人として一応は前者として考えておこう。


「しかし、妹も妹で分かりやすいよな」


 そう俺が宗佐に話しかけたのは、昼休みに入ってしばらくしてから。

 昼食を終えてだらだらと携帯電話を弄りながら雑談をしていたところ、たまたま朝の一件についての話題となった。といっても詳しく話す内容でもなく、俺も宗佐も視線は携帯電話に向けられたままだ。

 俺の何気ない一言に、宗佐が視線すら寄越さず「珊瑚がどうした?」と尋ねてきた。


「お前がシスコンなのは誰だって分かるけど、妹も相当ブラコンだと思ってさ」

「それはつまり珊瑚は兄である俺を慕い尊敬してくれているということか!」


 兄としての威厳回復の話かと思ったのか、宗佐が先程まで退屈そうに眺めていた携帯電話をバンと机に置いて俺との距離を詰めてくる。その瞳は期待で満ち溢れておりこれでもかと輝いている。

 これが月見や、宗佐に焦がれている女子生徒達だったなら、「芝浦君、なんて綺麗な瞳なの……」と胸をときめかしただろう。――想像すると寒気がする――

 だが生憎と俺にはそんな気は一切無く、詰め寄られた分だけ背を逸らせて距離を取り、それでも「分かりやすいだろ」と話を続けてやった。


「お前が妹を可愛がってるのは気持ち悪いほどに分かるけど、妹も妹だ。シスコンとブラコンで似た者同士だろ」

「やっぱり珊瑚は俺を慕ってくれているんだな! 俺は珊瑚の尊敬する兄だ! 世界一可愛い妹が、世界一尊敬してくれている兄! 俺達兄妹は世界一だ!」

「尊敬してもらいたけりゃ朝は自分で起きたほうが良いと思うけどな。……まぁでも、寝たいだけ眠れるってのは良い事か。良いよなぁ、邪魔をされずに昼までぐっすり……憧れる……」

「どうした? おい、なんか目の光が一瞬で消えて疲労を感じさせるんだが」

「……気にするな、敷島家の家庭の事情だ」


 俺の悲壮感たっぷりの言葉を不審がる宗佐を宥め、話を珊瑚に戻す。

 あいつは宗佐のだらしなさをうんざりと語りつつ、それでも月見に対しては分かりやすく――そして長ったらしく――牽制していた。

 宗佐との仲をこれでもかとアピールし、妹という立場をまるで伴侶のように語る。その時の彼女の態度はまさに『嫉妬』である。


 宗佐と月見のやりとりを見て、兄を取られるとでも思ったのだろうか。そうだとしたら意外と可愛いところがある。

 そう俺が冷やかしがてら話せば、宗佐が満更でも無さそうな表情を浮かべた。


「いやぁ、俺と月見さんはそんな仲じゃ……。でも珊瑚が月見さんに俺を取られると勘違いしたってことは、それほど仲良く見えたってことだよな」


 へらへらとしまりのない笑みで宗佐が話す。その表情のだらしない事と言ったらない。

 俺からしてみれば間抜けとしか言えないのだが、月見をはじめ宗佐に想いを寄せる女子生徒にはこれも魅力的に見えるのだろうか。


 男としても、兄としても、どうしてこんな奴が良いのか。


 まったく理解できないと溜息を吐けば、それとほぼ同時に、「芝浦先輩」と宗佐を呼ぶ声が割って入ってきた。


 見れば、一人の女子生徒が小走り目にこちらに歩み寄ってくる。クラスメイトではない、他所のクラスの子だろうか。馴染みのない教室が居心地悪いと言いたげだ。

 そうして俺達の前まで来ると、「あの」と少し上擦った声をあげた。頬が赤く、緊張しているのが見て分かる。

 思わず俺が身を引くのは、この女子生徒が宗佐に用があると一目で分かるから。……それと、「またか」という気持ちもある。


「あれ、きみはこの間の……。早瀬さん、だっけ。あのあと大丈夫だった?」

「だ、大丈夫でした。ありがとうございます。……それで、これ。良ければ……!」


 貰ってください! と緊張した声色で告げ、早瀬と呼ばれた女子生徒が手にしていた紙袋を宗佐に押し付け、すぐさま踵を返して教室を出ていってしまった。

 まさにあっという間の出来事で、近くで見ていた者達も突然の事に呆然としている。

 だというのに宗佐はと言えばあっさりとしたもので、お礼を言えなかった事だけを惜しむとすぐさま紙袋へと視線を移してしまった。


「お菓子だ。わざわざ用意してくれたのかな」


 申し訳ないとは言いつつ嬉しそうに話す宗佐につられて、俺も袋の中を覗く。

 シンプルな青いラッピングバッグの中には、紙の箱にしまわれたクッキーが数枚。少し歪なあたりがいかにも手作りらしく、青春真っ盛りの男子高校生から言わせてもらうと市販品よりも魅力的に見える。


 ……が、今はその光景に見入っている場合ではない。


 なにせ周囲からの圧が凄い。


 正確に言うのであれば、一部女子生徒達の「どういう事」という圧と、そして大半の男子生徒からの「どういう事だ」という圧である。

 前者が宗佐に想いを寄せている女子生徒なのは言うまでもなく、そして校舎がそれゆえに宗佐を恨んでいる男子生徒達なのも言うまでもない。

 いつも宗佐を呪っている月見親衛隊に加え、今は他の女子生徒の親衛隊達も恨めしげにこちらを見ている。――蒼坂高校は見目の良い女子生徒が多く、そして彼女達を慕う親衛隊がそれぞれに設立されている。いったい何をやってるんだろう我が校の男達は……――


 そんな不安と疑いと嫉妬と怨嗟が絡み合い、青春真っ盛りの教室に似合わぬ空気が漂っている。


 これは俺が代表して宗佐に話を聞かなくてはいけないのだろうか。

 あぁ、なんて面倒くさい。

 だがチラと教室内の様子を窺えば、男女交えたクラスメイト達が真剣な表情で俺を見つめてくる。

 聞き出せ、と、無言ながらに彼等の声が聞こえてくる。頼むから俺を仲介しないでほしい。


「本当はまったく興味が無いし俺としてはどうでも良いことこの上ないんだが、どういうことか説明してくれ、宗佐」

「なぜそこまで言われて説明しなくちゃいけない」

「まぁそう言うなって。で、今の子は? なんでお前がお礼なんて貰ってるんだ?」


 どういう事かと問えば、宗佐が「これは」と話し出す。

 ……その瞬間、教室内の圧が一気に重みを増した気がした。そりゃもう、クラス中が聞き耳を立てているかのような妙な重苦しさだ。

 というか、クラス全員とはいかずとも大半は耳を澄ませて宗佐の続く言葉を待っているのだろう。

 だというのに宗佐は一切気付く様子無く、まるで他愛もない雑談をするかのように「それがさぁ」と間延びした声で話し出した。


「あの子、一年生の早瀬さんって言うんだけどさ。昨日の帰りに自転車のチェーンが外れて、立ち往生してたんだよ」

「それでお前が出くわしたのか」

「そういうこと。チェーンはすぐには直りそうにないし、あの子も転んで足を怪我してたし。家もそう遠くないっていうから、俺が自転車を押して家まで送ってあげたんだ」

「なるほどなぁ」


 なんとも宗佐らしい話である。

 そして宗佐にとって、今回の件はさして珍しいものでもなく、周囲に話す程の事でもない。きっと良い事をしたという意識も無いのだろう。

 現に「それだけだよ」とあっさりと話し終えるやクッキーを食べ始めてしまった。


 周囲の圧にも気付かず、自分の善行を善行とも思わない。


 それも含めて、宗佐らしい話だ。

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