第2話 友達の妹
聞こえてきた声に窓の外へと視線をやれば、一人の女子生徒が立っていた。
目新しい蒼坂高校の女子制服。
白いシャツに紺色のベストと同色のブレザー。チェック柄のネクタイとスカート。制服には皺やよれ一つ無く、きっちりと着いた折り目が下ろしたてだと分かる。
これぞ一年生の初々しさ。
「よぉ妹、毎朝兄貴の納品ご苦労様」
「先輩の妹じゃありません。それに別に宗にぃを納品してるわけじゃありません。ただ、私が登校する時間になっても起きてこないから、お母さんに頼まれて部屋から引きずり出してるだけです」
「改めて言うな、ご苦労さん」
思っていた以上に面倒を見ていたようで、俺が労えば珊瑚が大袈裟に肩を落とした。
「駄目な兄を持った妹の定めです」という声には哀愁さえ漂っている。目映さと新鮮さで溢れた新入生とは思えない声色だ。
宗佐が突然慌てふためき話題を変えようとしてくるのは、己の毎朝のずぼらさを暴かれまいとしているのだろう。シスコンで妹溺愛を堂々と語る男でも、さすがに『妹に起こされている』という事実を暴かれるのは恥ずかしいらしい。
そんな宗介を一切無視して、俺は窓辺に立つ少女へと視線をやった。
彼女の名前は
肩口で綺麗に整えられた黒髪は清潔感を感じさせ、幼さの残るあどけない顔で人懐こく笑う。かと思えば時にツンと澄まして大人ぶった態度をとったりと、コロコロと表情変えるまるで猫のような少女だ。
宗佐曰く『世界一可愛らしい高校一年生』かつ『世の兄は珊瑚を妹に持った俺を羨ましがるに違いない』とのこと。おまけに俺に対して『おっと、羨むのは仕方ないが恨まないでくれよ』とまで言ってのけたほど。
ちなみにこの発言をした際、珊瑚は恥ずかしかったのか容赦なく宗佐の足を踏んで黙らせていた。それでもしばらく妹自慢は止まらなかったのだからよっぽどだ。
つまり、それほどまでに宗佐は妹である珊瑚を溺愛している。これは紛れもなくシスコンというものだ。
「で、そんなシスコン宗佐はさておき、お前はなんでこんな時間に外にいるんだ? そろそろ教室に行かないと間に合わないぞ」
「一年生は今日は二時間遅い登校なんです。だからまだ教室に誰もいなくて」
「そうか、一年はまだ色々と準備があるもんな。早々に退屈してる俺からしたら変則授業は羨ましいよ」
新年度に入り二週間で既にマンネリだと訴えれば、珊瑚がクスクスと笑った。
俺に羨ましがられて気分が良いのか、どことなく自慢気な笑みだ。
「しかし、二時間遅く登校なのに宗佐に付き合って来たのか? 普段通り起きたとしても、もっと家でゆっくりしてればいいのに。……ゆっくり出来る家ならの話だけど」
「どういう意味です?」
「気にするな、敷島家の特殊事情だ。しかしわざわざ宗佐に付き合うなんて大変だな」
「そりゃ私も家でゆっくりしてたかったんですけど、お母さんが『宗佐がこんなに余裕を持って登校するなんて……!珊瑚ちゃんと一緒に登校してるおかげよ!』って感動してて」
歓喜する母を前に、「今日は別々に登校するから」とはさすがに言えなかったようだ。
肩を竦めて話す彼女に、俺は改めて労いの言葉を掛けてやった。
この際なので「なんて兄想いの妹……!」と喜び震える宗佐は無視しておく。
珊瑚が厳しく「その妹のために早起きを心がけて」と的確に急所を突いた。
珊瑚曰く、試しに教室に行ってみたは良いが、当然だがクラスメイトは一人もいなかったという。
かといって一度帰宅するほどの時間でもなく、校外に出てもさほど時間を潰せるわけでもない。むしろ下手に校外をうろつけば補導される恐れもある。
結果、校舎内を見てまわり、それでも持て余して外に出て来たという。
あてもなくふらふらと歩きまわり、並ぶ窓の一つに見覚えのある兄の姿を見つけて近付いて来た……と。
「正確に言うのなら、兄が若干の情報操作をしているのを見かけて、これは事実を明らかにせねばと思い声を掛けたというわけです」
「なるほど。兄想いでありつつも、兄のだらしなさは容赦なく暴く、さすが妹」
「可愛く優しくありつつも時にシビア、これが真の妹というものですよ」
可愛いだけじゃありません、と珊瑚が得意げに語る。
そんな話をしつつ、「これは」だの「普段はもう少しちゃんとしてて」だのと必死な宗佐の言い訳を聞き流していると、ガラと教室の扉が開いた。
先生が来たのだ。時計を見れば朝のホームルームが始まる時刻。
それを察し、珊瑚が「それじゃ」と離れていった。その際に「ちゃんと寝ないで授業を聞いてよ」と宗佐に釘を刺すのは忘れない。さすが真の妹である。
「あ、そうだ妹」
「先輩の妹じゃありません!」
「はいはい、そうだな。まだ時間余ってるんだろ?」
今ようやくホームルームが始まる時間。となれば、彼女のクラスメイトが教室に集まり始めるまであと一時間半近くある。
いくら入学したばかりの新鮮な学校とはいえ、そう時間を潰せるわけでもない。彼女が早々と時間を持て余してしまうのは火を見るより明らか。
ならばここは先輩として、我が蒼坂高校の見所を教えてやるべきだろう。
そう勿体ぶった口調で話せば、珊瑚が期待を抱いて俺を見つめてきた。
彼女の瞳が輝いている。これは先輩に期待と敬意を抱いている瞳だ。なんだか少し気分が良い。
「校舎裏に行ったことはあるか?」
「校舎裏? いえ、まだ行ってませんけど、確か駐輪場があるんですよね」
「あぁ、だけど駐輪場だけじゃない。その奥には、なんと……」
「そ、その奥には……!?」
「ドロッドロに藻が浮いた真緑色の池がある」
「ドロッドロに藻が浮いた真緑の池を眺めて時間を潰せと!? 女子高生の貴重な時間を何だと思ってるんですか!」
「でもよく見るとザリガニが居るらしいから、釣って時間を潰したらどうだ?」
冗談交じりに提案してやれば「そんな事しません!」とお怒りな声が返ってきた。
期待した分がっかりしたのだろう、じろりと俺を睨みつけてくる瞳は些か厳しい。言わずもがな、先程の期待と敬意の輝きは消え去っている。
そうして「聞いて損しました!」とご立腹で去っていった。
もっとも、しばらく示唆した後ふらふらと校舎裏に続く道へと向かうあたり、ザリガニ釣りこそしないが池を見には行くつもりなのだろう。
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