#017 イリーナ④
「見てなさい! 大丈夫、怖くないよ。ねぇ、私と"お友達になりましょ"」
そう言ってドッグジャンキーは子連れウルフに優しく語り掛ける。
ドッグジャンキーの声を聞いて、ウルフはアクティブ化が解けていく。調教師の能力に『興奮した魔物を落ち着かせる』スキルがあったはずだが、それはあくまでテイムした魔物限定であり、この能力はソレとは別物。それこそ"洗脳"と言ったほうがシックリくるレベルだ。
「ギフトスキルか……」
やがて子連れは完全に警戒を解いてドッグジャンキーにジャレつきだした。
「見た? これが私の能力。私は犬系の魔物ならなんでも手名付けられるの! だからこの子たちを殺さないで!!」
「なるほど。……それで、
「それは…………逃がしてあげるわよ! エサだって与えない! これで文句ないでしょ!!?」
ウルフを手懐けようとする女の噂は、ドッグジャンキーで間違いないだろう。しかしこれは、根拠の無い憶測になるが、エサの問題などは誤解なんだと思う。
コイツのギフトは、対象を限定している代わりに戦闘や餌付けなどを必要としない強制的なもの。加えて、ギフトの詳細は実際に試してみないと分からない部分も多い。目撃されたのは、あくまで戦闘を回避する為に能力を発動させただけで、冒険者として最低限のルールは守っているのだと思う。
「それで、逃がしたウルフは、その後どうなるんだ?」
「え? それは、野生にかえる??」
「つまり時間経過でアクティブに戻るんだな?」
「まぁ、そうなるわね」
冒険者にとって魔物は、資源であるため無暗な"乱獲"はしない。しかし、キャンプ地などの生活圏を守るため、増えすぎた個体はギルドが追加報酬を出す形で頭数を管理している。
この頭数管理は冒険者ギルドの重要な業務の1つで、国がダンジョン内に軍を派遣できないのもこの為だ。一時の利益の為にダンジョン内の魔物を乱獲してしまえば、その後の魔力資源は大きく減少してしまう。その為、ギルドは冒険者の総数を制限したり、階の中で"侵入不可エリア"などを設定したりして、個体数を管理しているのだ。
「ご主人様、もう殺してもいいですか?」
分かりにくいが、イリーナは既にキレている。彼女にとってはウルフは宿敵であり、子供やノンアクティブになったからと言って"可愛い"などと感じられる対象ではない。
「まぁ待て。えっと…………い、いいい、犬子?」
「郁恵よ!」
「それだ。確かにその能力は凄いが、使い方を間違えるな。お前は他の冒険者が狩ろうとしているウルフも、そうやって助けるつもりか?」
当たり前だが、他者が戦っている獲物を横取りするのは完全なマナー違反だ。
「関係ないわ! だって私は…………このダンジョンにいる全てのウルフをテイムして、"保護"するんだから!」
「残念ながらソレは不可能だ。この階だけでウルフが何体いると思う? 軽く見積もっても百体以上、そのエサはどうやって都合をつける? 何より、繁殖の問題はどうするんだ??」
「不可能だって事は分かっているわよ! でも、私は諦めないわ!!」
「郁恵ちゃん、それは………」
先生たちもフォローする言葉を見つけられずに困惑している。結局のところ、言っている事は絶対に不可能であり、求められるのは『どこで妥協するか?』の決断なのだ。
「不可能だな。魔物は繁殖力が高いから、直ぐに生態系が維持できなくなる。当然、食べ物も無くなって、最後には……」
「これですね?」
イリーナがそっと自分の左腕を掲げる。
「ウルフは肉食寄りの雑食だ。成長した個体が人を襲うのは、相手を外敵として認識しただけで無く、食料としても認識しているからだ。だから一時的にアクティブ化を解いても、人を襲う"習性"は無くならない」
「それは、でもでも! やってみないと分からないじゃない!!」
いや、どう考えても不可能だ。それはドッグジャンキーも理解している。しかし、頭でわかっていても、それで割り切れるような性格ならこのギフトは発現していない。結局のところ、ギフトとは『人の
「お前の"理想"を否定するつもりは無い。俺も好き勝手やっている部類だから言えた義理も無い」
「それじゃあ!」
「しかし! 理想はあくまで理想。現実には、非情な決断をくだす覚悟が求められる。犬子、お前に足りないのはソレだ!!」
確かにドッグジャンキーのギフトは強力だ。上手く運用すれば、無給で働く命知らずの軍隊が簡単に作れてしまう。俺も猟犬として1体貸し出して欲しいくらいだが…………肝心の使い手が兵の命に対して過保護すぎる。まぁ、それだからこそ、ウルフも従ってくれるのだろうが。
「っもう…………煩い、煩い、うるさいぃ!! そんな事、分かってるって言ってるでしょ!!?」
険悪な空気を察し、子連れがドッグジャンキーを庇う形で俺たちを威嚇する。
「ご主人様、この方は"危険"です」
「なっ、待て!!」
俺としたことが迂闊だった。ドッグジャンキーや子連れに気を取られるあまり、別の問題を見落としてしまっていた。
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