亮平 5

 電話を切った後も、鈴音はじっと俺を見つめている。その視線が何だか気恥ずかしくなり、わざとぶっきらぼうに鈴音に言った。


「…何だよ鈴音。その目は…」


ドリンクを飲みながら鈴音が言った。


「あ…う、ううん。ちょっとだけ…驚いちゃって…」


よくよく話を聞いてみると俺が忍の事を呼び捨てで呼んでいることに驚いたらしい。そして俺と忍は恋人同士なのだから当然だろうと1人で納得している。

恋人…。

鈴音の口からその言葉を聞かされると、胸の奥がズキリと痛む。タイミングが悪かった。まさか鈴音と一緒にいる時に忍から電話がかかって来るとは思わなかった。あの電話を無視していれば良かっただろうか?いやそんな事は出来ない。そんな真似をしようものなら後で忍がヒステリックに泣きわめき、なだめるのに何時間もかかってしまう。

折角、鈴音と2人きりで久しぶりに話が出来たと思ったのに。だが、俺は自分に言い聞かせた。今日、俺は忍の話をする為に勇気を出して鈴音に連絡をいれたんだ。この話をすれば鈴音はますます俺を拒絶するかもしれないが…どうしても鈴音の協力が必要だった。


 俺はまず最初に忍の婚約者を轢き逃げして殺害した男が捕まった事を報告した。そしてその話を聞いた忍がおかしくなってしまった事を。すると鈴音が言った。


「え?ちょっと待って。おかしくなった…って一体どういう意味なの?それにもともとお姉ちゃんは私が家を出た時からまともじゃなくなっていたんだよ?!」


そうだ。鈴音は忍に出て行けと言われてあの家を出た。俺はそれをまともに聞き入れなかった。俺は…何故鈴音を信じられなかったのだろう?


「ああ、そうだったな。…あの時は本当にすまなかった。忍にきついこと言われて出て行ったんだろう?お前が出て行った後、俺がもう一度鈴音の事聞いたんだ。そしたら、言ったんだよ。鈴音に俺が取られるんじゃないかと思ってきつい事を言ったら出て行かれてしまったって。全く…そんな事絶対にあるはずないのに…。そう思わないか?鈴音。」


何だ…?俺はまた自分の口が勝手に言葉を紡いでいることに愕然とした。まるでその言い方だと俺は鈴音なんか眼中に無い、好きになる筈は無いと言ってるようなものじゃないか?どうしてそんな事を俺は言ってるんだ?今、こうして鈴音を前にしているだけで、妙な胸の高鳴りを感じていると言うのに…。


「う、うん。そ、そうだよ。そんな事…絶対にあるはずないのに…ね…」


鈴音が傷ついた悲し気な笑みを浮かべながら俺に言う。その顔…言葉を聞くだけで胸がかきむしられそうなほど苦しくなる。やめろよ、鈴音。そんな顔で話すなよ。むしろ俺は…!お前に笑って欲しいのに。なのに…それ以上の言葉が出てこない。代わりに俺の口をついて出てきたのは全く別の言葉だ。


「おい、鈴音。どうした?顔色が真っ青だぞ?やっぱり…忍が心配なんだな?うん。分るよ。俺とお前にとって忍は大切な人だからな。勿論忍だって俺たちの事大切だって思ってくれてるけどな。なのに…あんなことになって…」


だからやめろって!忍の事も心配だけど…俺が今一番心配しているのは鈴音…本当はお前なんだよっ!


鈴音の顔色はますます青ざめていく。…当然の反応だろうな…。狂った忍の肩を持つ俺が信じられないのだろう。俺が尚も説得すればするほど、鈴音は頑なになっていく。そして耐え切れなくなったのだろう。鈴音は席を立って店を飛び出してしまった。


鈴音っ!


俺は急いで伝票を持つと、レジで2人分の会計を済ませ、店を飛び出ると早足で歩き去って行く鈴音の後姿を見つけた。


「おい、逃げるのかよ?」


鈴音の腕を掴みながら、俺はまた心にもない台詞を言ってしまう。


「逃げる…?そんな事より…い、痛いからこの手を離してよ」


鈴音の顔が苦痛で歪む。手を離してやりたいのに、俺の身体は言う事を聞かない。その代りにまた鈴音に残酷な台詞を吐いてしまう。


「ああ、そうだ。お前はたった1人きりの身内を見捨てて逃げようとしてるんだ。」


唇を歪めて鈴音を憎々し気に見つめる俺自身に、もはや我ながら半ば呆れていた。そして鈴音の腕を握る手の力が自分の意志とは無関係に強まり、鈴音の顔がさらに痛みで歪んだ。


「もう、どう取られても構わないっ!私に構わないでっ!」


鈴音が叫んだ。


「そんな事言わずに…頼む!助けてくれ…。忍…俺の事を進だと思ってるんだ…。」


俺の顔は今にも泣きそうに歪んでいるのが自分でも分かった。その後も町中で鈴音を必死になって説得した。すると、ついに鈴音は折れてくれた。


「お姉ちゃんの反応次第では…力になってあげてもいい。だけど…少しでも私の名前を聞いて拒絶反応を示すようなら…協力は出来ない。それでもいい?」


ああ。そんなの勿論だ。これで…俺と鈴音を結ぶ接点がまた生まれた。俺は忍の助けになるという鈴音の言葉よりも、またこうやって会える喜びの方が勝っている事を自覚していた。


「それじゃ…私はもう行くね。亮平も早くお姉ちゃんの処へ戻ってあげて…きっと不安で…寂しがってるかもしれないから…」


鈴音が俺に言った。本当はもっと鈴音と一緒にいたかったけれども、鈴音に幻滅されたくない。


「ああ…分かったよ。じゃあな」


俺は後ろ髪を引かれる思いで鈴音の側を駆け足で走り去っていった。


鈴音の希望通りに―。






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