亮平 2
忍の恋人が亡くなってから、忍が、鈴音が…おかしくなっていった。そして何故か俺まで自分の心が変化してきたことに気が付いた。以前はあれ程までに盲目的に忍に恋していたはずなのに…気付けば時々鈴音の姿を目で追うようになっていた。その反面、忍にずっと好意を寄せていなければいけないと言う‥何故か使命感の様な気持ちも芽生え、俺は自分の感情を目に見えない力でコントロールされているかのような状態になっていた―。
****
それは鈴音が門の前で男とキスした姿を目撃してから数日後のことだった―。
突然、鈴音が忍を置いて家を出て行ってしまったのだ。
仕事から帰って、2人の様子を見る為に俺は何時もの様に鈴音と忍の家を訪ねた。
ピンポーン
インターホンを鳴らすと、ドアの奥からこちらに向かって駆けて来る足音が聞こえる。そしてガチャリとドアが開かれた。
「こんばんは、忍さん」
ドアを開けたのは俺の恋人忍さんだ。
「こんばんは。亮平君。待っていたわ。さ、どうぞあがって」
「お邪魔します」
言われるまま、部屋の中へ上がりこむときに鈴音の靴が無い事に気が付いた。
鈴音の奴…何所へ行ったんだ?
「今お茶を淹れるから座って待ってて?」
忍に言われるままにダイニングテーブルの椅子に座り、部屋の中をキョロキョロと見渡し…言い知れぬ嫌な予感を感じた。その時、コーヒーを入れた忍がリビングに現れた。
「はい、亮平君。コーヒーどうぞ」
「ああ、ありがとう…」
やっぱりおかしい。何だ?この違和感は一体…?不審に思いながらも俺は忍が淹れてくれたコーヒーを飲みながら尋ねた。
「鈴音は何所へ行ったんだ?」
「え?」
その一言で忍の顔が真っ青になった。…やっぱり何かあったんだな。
「教えてくれ、鈴音は…今何所へ行ってるんだ?」
すると忍は身体を震わせながら答えた。
「あ‥す、鈴音ちゃんは‥もう私と一緒に暮らすのは無理だと言って…新しい住所も教えてくれなかったの‥」
「な…何だってっ?!」
涙ぐみながら言う忍の言葉で鈴音に対するどうしようもない激しい怒りがこみあげて来た。
「…分ったよ。忍さん。俺が鈴音に電話をいれて説得するから待っていてくれ」
残りのコーヒーを飲み終わると俺は立ち上がった。
「え?亮平君。一体何所へ行くの?」
「…家に帰る。自分の部屋で鈴音に電話を掛けるよ。何とかこっちに戻るように鈴音にはきつく言っておくから」
「だ、駄目よ。きつく言ったら…鈴音ちゃんを怖がらせてしまうわ。いいのよ、もう…だって鈴音ちゃんはこの家を出ていきたくて出て行ったのだから…ね?」
忍は俺が鈴音を叱責すると思って引き留めて言居るのだろう…本当に優しい女性だ。
「大丈夫だって。心配するな。それじゃまたな」
俺は忍に声を掛けて、部屋を出て行こうとすると背後から抱きしめられた。
「ねぇ…亮平君。それじゃ帰る前に…キスして?」
「…」
俺は黙って振り向き、忍の顔を両手で挟んだ。…何故だ?忍の唇を見つめても…少しもキスをしたいとは思えなかった。鈴音の時は…あれ程に強く抱きしめて、唇を塞いであの男の痕跡を消してやりたいと強く思ったのに…。なのに、どうしても忍にはキスしたくは無かった。だから、代わりに俺は忍の頬にキスをした―。
****
イライラした気持ちで部屋に戻った俺はすぐにスマホを手に取ると鈴音の電話番号をタップした。
トゥルルルルル…
トゥルルルルル…
一向に鈴音は電話に出る気配が無い。くそっ!一体何やってるんだ?どうして電話に出ない?俺が…こんなにも心配してるって言うのに…。
「あーっ!!もうっ!!」
スマホをベッドに叩きつけて、ゴロリと横になった。それにしても何故なんだ?鈴音があの家を出て行って…行方が分からないって事がどうしてこんなにも俺を…苛立たせる?不安にさせるんだ…?
「…たくっ!!」
再び起き上がるとスマホを手に再度鈴音の番号をタップした。
すると…。
『もしもし…』
鈴音が電話に出たっ!
「鈴音っ!この馬鹿ッ!お前…何やってるんだよっ!」
気付けば俺は怒鳴りつけていた。
『りょ、亮平…』
受話器越しから鈴音の怯えた声が聞こえる。ああ…駄目だ。こんな風に怒鳴りつけちゃいけない事は分り切っているのに…鈴音の声が聞こえて来て、安心したと同時に、勝手に家を出て行った事が許せなくてつい声を荒げてしまう自分がいる。
「お前、何で家を出たんだよっ!忍さんを1人残して・・・!どうしてお前はあの広い家に忍さんを残して家を出たんだよっ!』
やめろっ!俺は…お前を怒鳴りつけたくはないんだよっ!なのに…何故か自分の気持ちと行動が一致しない。どうしてお前は俺から離れていこうとするんだ?!そして何故俺は鈴音に浴びせる罵声を止める事が出来ないんだ?!駄目だ‥こんなんじゃ、鈴音に怖がられるだろう?…嫌われたらどうするんだ?なのに…俺は自分の中に湧き上がる衝動を抑えることが出来ない。
ひょっとすると…俺はもう、おかしくなっているのかもしれない…。
そう思った矢先、鈴音の口からドキリとする言葉が飛び出して来た。
『亮平…お姉ちゃんの様子見て…おかしいと思わなかった…?』
必死で絞り出すように言う鈴音。そうか…鈴音もおかしいと感じていたのか?なのに俺は…おかしいのは鈴音の方だろうと叫んで…ついに鈴音を泣かせてしまった。そして鈴音は泣きながら訴えて来た。
『わ、私はお姉ちゃんから出て行って欲しいって言われたんだよ?しかも昨日!いきなり突然にっ!すぐに出て行って欲しいって言われたから…マンスリーマンションを借りて、荷物も持って行ってと言われたから…トランクルームをレンタルして、たった1日で家を出たのに!亮平まで…私を責めるの…?』
「お、おい…鈴音…」
その言葉に耳を疑った。
何だって?忍から出て行けと言われた?しかもマンスリーマンションまで借りて?そ、そんな馬鹿な…!呆然とする俺に尚も鈴音は悲痛な声で訴えて来た。
『もう…二度と私に連絡してこないで!亮平が私に構うと…私がますますお姉ちゃんに嫌われちゃうからっ!さよならっ!』
「お、おい!鈴音っ!待てよっ!」
慌てて言うものの、電話はプツリと切られてしまった。
さよなら…?今、鈴音は俺にさよならと言ったのか…?
俺はスマホを握りしめたまま、呆然とした―。
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