亮平 1

 俺には腐れ縁とも言える幼馴染がいる。年齢は俺と同じ。小さい頃は泣き虫で、いつも俺の後をついてまわった少々鬱陶しい幼馴染の鈴音。そして鈴音の姉の忍に俺はいつの間にか恋をしていた―。


 

 その日、忍の恋人が突然死んだ。交通事故だった。


 恋人が交通事故で死んでからすっかり忍はおかしくなってしまった。そして家事を放棄してしまった。今まで忍と2人で家事の分担をしていた鈴音に全てのしわ寄せがいってしまった。鈴音は働きながら忍の世話をしていたが、疲れがたまっていったのか、どんどん顔色が酷くなっていった…。



****


 そんなある日―


その日は土曜日だったので仕事が休みだった。忍がどうしているか気になったので何時もの様に加藤家を訪ねる事にした。俺は忍がおかしくなってから、鈴音に合鍵を手渡されていたので出入りは自由だった。


「忍さんの様子でも見て来るか…」



 家は隣なんだ。両親に一々報告するまでも無いだろう。そして俺は加藤家に行った。



ガチャッ


鍵を開けてドアノブを回すと玄関口へと上がりこみ、鈴音の靴が置いてあることに気が付いた。


「鈴音…?今日は仕事が休みなのか…?」


玄関から部屋の中へ上がり込んでリビングに行くと、ソファの上に座ったままの鈴音がうたたねをしていた。


「鈴音…?」


小声で呼びかけて見ても反応は無い。余程疲れているのか…?心配になってきた。


「おい、鈴音。大丈夫か?」


すると鈴音が目をこすりながら俺を見ると言った。


「あ…亮平…いらっしゃい、来ていたんだね」


そして俺を見ると笑った。…昔からそうだ。鈴音は辛い時ほど、それを誤魔化す為なのか、無理に笑う。俺の前でくらい素直になればいいのに。じっと顔を覗き込むと顔色が悪い事に気付いた。


「鈴音…お前、顔色が悪すぎる。そんなんじゃ…今にお前、倒れてしまうぞ?お前が今倒れたら…誰が忍さんの面倒を見るんだよ」


すると、その時鈴音が意外な事を言った。


「亮平がいるでしょう?」


え?鈴音の奴…一体何を言い出すんだ?鈴音の言い分はこうだった。亡くなった恋人の代わりになって忍に寄り添って、傍にいてもらいたいと。始めはこの言葉に耳を疑ったけれども、俺は忍に恋していた。だから俺は鈴音に言った。


「わ、分かった…。俺、忍さんに1人の男として見て貰えるように…努力するよ」


「うん、お願い。」


鈴音は笑って俺に言った。でもその笑い顔は…俺にはまるで泣いているように思えた。


鈴音…あの時、俺があんな事言わなければ…俺達の関係は変わっていたのか…?


でも、あの頃の俺は、自分が忍の事を心から好きなんだと信じ切っていた。


その感情が…忍によって作られた感情であったと言う事に気付きもせずに―。




****


 それから少し時が流れ忍と恋人として付き合えるようになったのに俺は違和感を感じていた。それは忍が時々俺を死んでしまった恋人と間違えるようになったからか?それとも俺と忍が2人でいる姿を時々悲し気な目で鈴音が見ているからなのだろうか?鈴音にあんな目で見られると…時折、俺はどうしようもない罪悪感を感じてしまい、それを誤魔化す為か、ついつい鈴音にはきつく当たってしまう自分にうんざりしていた。

何故鈴音にはきつく当たってしまうのか…その理由に気付いたのはあの一件がきっかけだった―。


 


 今夜は残業で会社を出るのが遅くなってしまった。忍…大丈夫だろうか?でも多分鈴音がいるから大丈夫だろう。俺はスマホを取り出すと、忍に電話を掛けた。


『もしもし。亮平君?』


受話器越しから忍の声が聞こえて来た。


「ああ。俺だ。今仕事終わって帰るところだ。鈴音はもう家に帰っているんだろう?」


俺は忍と仮ではあるが、恋人同士になってからはすっかりぞんざいな口を聞くようになっていた。


『そうなのね?グリーンカレーを作ったから1人で待っていたの。鈴音ちゃんはまだ帰っていないのよ。早く帰って来てね。寂しいから』


その言葉に耳を疑った。え?鈴音はいないのか?


「鈴音は?鈴音はまだ帰っていないのか?」


『ええ…今夜は昔の知り合いとばったり会って、一緒に食事して帰る約束をしたらしいのよ』


何だって?鈴音の奴…忍は不安定な状態なのに、自分は1人で友人と楽しく過ごして帰ってくるつもりか?…何故かどうにもならない苛立ちが込み上げて来た。


「分った、忍さん。鈴音に電話淹れて置くよ。すぐ家に帰れって言っておくから、待っていてくれ」


『ええ、分ったわ』


忍の返事を聞くと、すぐに俺は鈴音のスマホに電話を掛けた。全く…鈴音め…っ!



鈴音が電話を取った事が分り、俺は間髪入れずにすぐに言った。



「遅いっ!鈴音。お前今どこにいるんだよ?!」


気付けば俺は怒鳴り声で言っていた。本当に何故なんだ?何故鈴音が絡むと俺は…こんな高圧的な態度になってしまうんだろう。自分でも不思議でたまらない。


『え…?何処って…実は今お店でお酒飲んでいて…』


鈴音の言葉にカチンときてしまった。何だって?忍をあの家に残して外で酒を飲んでいるだとっ?!


「はあ?お前…ふざけるなよ!忍さんを1人にするなっ!」


何故だ?何故俺はこんなイラついた態度しか鈴音に取れないんだ?自分で自分の感情をコントロールできないなんて…こんなのどう考えてみてもおかしいだろう?


『え?亮平…今私の家にいるんじゃないの?』


鈴音の戸惑う声が聞こえてくる。


『違うっ!俺は今残業が終わったところなんだよ!駅に向かっているところだっ!俺の駅からは遠くて時間がかかるから…鈴音、今すぐに家に帰れ!』


やめろっ!何故俺はもっともっと穏やかに俺は鈴音に話が出来ないんだ?次の瞬間、俺は凍り付いた。


『おい、誰だ?お前は…俺の鈴音に何て態度取ってくれるんだ?』


鈴音の電話に男が出たのだ。しかも…よりにもよって『俺の鈴音に』なんて言いやがった。自分の中に激しい怒りが沸いた。


「何だよ、お前…一体誰だ?俺は鈴音と話をしているんだよ。勝手に話に割り込んでくるな」


鈴音…お前、男と一緒に酒飲んでたのかよっ!昔から…俺はお前に変な虫がつかない様に見張っていたって言うのに…それが幼馴染である俺の役目だと思っていたのに…!


気付けば…俺は鈴音と飲んでいる男と電話越しで言いあいながら、心の奥底で思った。ああ…これじゃまるで俺がこの男に対して嫉妬しているみたいじゃないか…。


 結局途中から鈴音に電話が代り、俺の言う通りに鈴音は帰る事になったのだが、俺はさらに衝撃的な光景を目の当たりにしてしまった―。



**** 


鈴音の家が見えてくる頃にはイライラする気持ちがすっかり治まっていた。


「ふぅ~…それにしても、何だって俺はあんなに電話でイラついてしまったんだ…」


鈴音に会ったら謝ろう…。その時、家の前にタクシーが止っていることに気付いた。


「うん?タクシー?ひょっとして鈴音…タクシーで…」


次の瞬間、俺は目を疑った。なんと鈴音が男とキスしていたのだ。しかも男は強く鈴音を抱きしめている。


う、嘘だろう…?


俺は危うく持っているカバンを取り落としそうになった。そしてキスを終えた男は鈴音の耳元で何か囁き、すぐにタクシーに乗りむ去って行った。



「隆司さん…」


鈴音が俺に背を向けたまま男の名を呟く。隆司…?そうか。あいつは隆司って言う名前なのか…。思わずカバンを持つ手に力がこもる。


「りょ、亮平…」


その時、鈴音が俺の気配に気づいたのか振りむき、さっきまで男と唇を合わせていた口で俺の名を呼んだ。やめろっ!その唇で…俺の名を呼ぶなよっ!


「鈴音…お前なあ…」


気付けば俺はありったけの文句を鈴音にぶつけていた。なのにその言葉とは裏腹に俺の視線は鈴音の唇に釘付けだった。


くそっ!あんな男にやすやすと唇を許すなんて…俺がもう一度その唇を塞いでやろうか?!あいつの痕跡なんか、俺のキスで…!


けれど、次の瞬間…俺は自分が恐ろしい事を考えていることに気付き、ぞっとした。

い、一体俺は今何を考えていたんだ‥?相手は鈴音だぞ?子供の頃からずっと一緒に育っていた…。そんな自分が鈴音に酷く暴力的な考えを持つはずがない。きっと今のは何かの気の迷いだ。そう考えると、妙に心が冷静になっていく自分がいた。


冷製になった俺は鈴音に2人で一緒に忍に謝りに行こうと声を掛けた。そんな俺に鈴音は何故俺まで一緒に謝りに行くかを尋ねて来た。だから俺は鈴音に言った。


「お、俺は…忍さんの恋人なんだから…恋人の顔を見に行くのは当然だろう?」


「うん、そうだね…」


鈴音は何処か寂し気に言った。


寂し気?


そう見えたのは…俺だけだろうか…?


いや、それよりもっと需要な事がある。


鈴音、ひょっとするとお前…あの『隆司』という男の事が好きなのか?


だが…その時の俺は尋ねる事が出来なかった―。
















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