歌をうたう

この頃、スナックで、奇妙なことを言われるようになった。


古い馴染みのママのいる店で、そのママもファンの、長いキャリアのバンドの曲を歌った。

ママが、変だ変だと首を捻る。

「何が変?新曲だよ」

というと、余計に変だと首を捻る。

このバンドは、こんな曲は作らない、と言い張るのだ。


その歌は、映画のテーマ曲だった。男女が昔の恋愛を思い出しているシチュエーションの、別れの曲だ。映画のストーリーでは、最後にヒロインが亡くなってしまうので、この曲の別れも死別が暗喩されている。明るい曲調に、裏腹の悲しい歌詞がつけられているので、違和感はあるかも知れない。

でも、あり得ないというような曲ではないと思う。


ママが「変だ」と言っているのは、この曲そのものではなくて、俺の歌い方なんだろうなということは、なんとなくわかった。

長いこと、下手だのうるさいだのとこき下ろしながらも、俺の歌は好きだと可愛がってくれている人だ。

歌に感情が乗っていること、その感情が空想の演技力から生まれるものではなく、明確に実在する対象があることくらい、悟ったに違いない。


それについて、俺に問いただすほど野暮な人ではない。

ただ、妻子ある身で無茶をするなよ、という遠回しな警告なのだ。

そこは、長い付き合いだ。わかってるような、いないような。

俺は知らぬふりをした。


もっと変な言われ方をしたのは、初見の居酒屋スナックだった。

クライアントに連れられて、飛び込みで入ったそこで、バラードを歌った。

いつまでも君のことを思う、君に会いたい、という感じの、よくある歌だ。


同年配のママが俺に、その歌が終わるなり、いきなり言い放った。


「お客さん、不倫中ね?」

初対面の客に、そのツッコミはありえるのか?(笑)

「不倫の慰謝料はね、今200マンが相場だから。気をつけて」

などと、別に知ったところでどうしろというのだという情報を教えてくれる。


 クライアントが”ハァ?”と吹き出した。

「いや、ママ、この人は大丈夫だから」

女性好きなこのクライアントのために、女性のいる店は結構開拓した。

女の子たちを口説いている彼を尻目に、適当なところで、俺はいつもドロンした。

そういう俺の行動を知っているから、どこでどう女性と不倫なんかになるきっかけがあるのか、見当がつかないという。

 

「エロがないので有名なんだよ、この人」

と俺に同意を求める。


「そうですね」

俺は答えた。

「その心配は、ないです」


クライアントが、ギョッとした顔をした。

まさか、みたいなことを言う。

俺は、いやいや、ないですよ、ない。と、言った。


でも

その時、俺は、誰も見たことがないくらい、優しく微笑んでいたと思う。


そう、その心配は、ない。

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