虹色

腰痛というのは、便利なものだ。

その痛さ、辛さを大体の人が知っている。

いい大人が、悲鳴をあげているのを知っている。


だから、苦しみ悶えても、容認してくれる。


暗い美術室の記憶。


実際はあかりはついていたから、暗いはずがない。

授業中だったから、教師と高梨葵が二人で言い争っているはずがない。

捏造された記憶だ。


本当は、こんな顛末だったはずだ。


シルクスクリーンの実習だった。

ガリ版刷りの要領を少し高度にした感じ。

スクリーン上にインクを載せて、ざっと刷る。

クラスの全員が、一色で印刷していた。


俺は、インクを7色載せた。

デザインは、タバコの箱。

誤解されると困るが、当時、タバコのパッケージを印刷した紙袋が流行っていた。

それも、ご当地タバコのような、あまり見かけないものを持つのがカッコよかった。

修学旅行の京都で見かけたタバコの箱をうろ覚えながら、デザインを起こしたのだ。


ざっと引くと、7色のグラデーションが浮かび上がった。


その時、同じ班に、高梨葵がいたんだ。


美術教師が、仕上がり状況を見ながら机を回ってくる。

俺たちの班に来た時、高梨葵が教師に、俺の作品を

「これ、どうですか!?」

と指さした。


教師は俺の作品を見て、一呼吸すると、こう言った。

「汚いよ」


その時は子供だったから、それを言葉通り受け止めた。

汚いんだなと。

今は、そうではないと思える。

教師は、嫉妬したのだ。


教師はおそらく、一版しかないからと、一色刷りしか想定していなかった。

シルクスクリーンは、多色刷りする時には、複数の版を使う。

実際、今まで全ての生徒が、一色刷りをしてきたのだろう。

だが、この時、一生徒がそういう常識を乗り越えた。

美術教師は、アーティストの端くれである自分が常識の内側にいることに、生徒に気付かされた。

一瞬の間は、その衝撃だった。そして咄嗟にジェラシーを口走ったのだ。

本当に汚いものであれば、教師が暴力的な言葉を吐くことはない。

「こうした方がいい」「もっとこう考えよう」と、指導が出てくる。


大人になれば、世の中は怨念で動いていることがよくわかる。

子供の頃は、優れたものや、美しいものは、賞賛されると思っていた。

優れたものや美しいものが、多くの人にとって、忌むべきものだと理解したのは、社会人をしばらくやってからだから、我ながら鈍感だなと思う。


「汚いよ」と、いう答えに、高梨葵がこう言った。


「綺麗だと思います!」


虹色の、俺のシルクスクリーンを挟んで、美術教師に、高梨葵が抗議した。

この時の、俺の気持ちを、俺は、覚えていない。

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