腰が痛ぇ

嫌な予感は当たった。

重く、鉛のような感覚はどんどん背骨から下半身にまとわりついていき、三日も経つと、靴下を履くこともできなくなった。

会う人会う人に、「腰やっちゃいました。特に思い当たることとかないんですけどね」と言い訳しなくてはならないのが面倒くさかった。

ちょっとしたことで、激痛が襲う。


朝起きると体が固まっている。

痛みがないことにホッとするが、起きあがろうとすると、それがマヤカシだったことに気がつく。トイレに行っても座るのが一苦労だ。失禁しかけて無理やり便器に座れば悲鳴をあげる。

声にならない唸り声で、七転八倒している姿を、家族は憐憫のような、イライラしたような、複雑な視線で見つめてくる。


時々、痛みに負けて、ついつい、弱音がでる。

「いてぇよぉ、、」

と絞り出す声は、我ながら情けない。


腰痛の経験は結構長い。昔から不安定になった時に出る。

初めて転勤で一人暮らしになった時。フリーランスになった時。自宅だった場所がなくなった時。

病院に行っても、ヘルニアなどは起こしておらず、「人間の体は繊細だからね」という、わかったようなわからないような医者の気休めを何度聞いたことか。

痛み止めを飲んで誤魔化しながら、ストレッチをして、いつの間にか治るのを待つ。


そんな腰痛と今回も付き合わなければならなかった。


痛みと一緒に、錦織啓斗が、俺に向かって高梨葵の話をしている時の顔と口調を思い出す。

”なぜそんなに平然としているんだ”

”お前は、もっと、嘆かなくちゃいけないはずだ”

”知らんぷりをするな”

錦織の口ぶりを裏読みする自分を、いちいち振り払った。

それこそ、14歳の思考じゃないか。

妻も子もある冴えない中年が、童貞中学生みたいなワクワク妄想をしてどうする。歳を考えろ。


それと交互して、腰は痛む。いってえ、ちっくしょう、と八つ当たりを吐き散らす。

ああ、便利な時代だよ。キーボードが叩ければ、仕事はできる、否、しなけりゃいけない。


そちらを片付けると、高梨葵のことを思い出す。

痛えなあ、、と思いながら、「ファイト」という声と、高梨の後ろ姿を思い出す。


記憶に、暗い教室の風景がフラッシュバックした。

美術室だ。高梨が、教師と何か、言い争っている。

なんだこの光景。これは、いつのことだ?


その前に、俺は、根本的なことを、思っていた。

通学の道筋すら忘れていた、薄い記憶の高校の中で、なぜ、

高梨葵のことは、覚えているんだ?俺。


いてぇ。ああ、腰が痛えっ!

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