第2話
夜が明けた後、宿屋の娘に事の詳細を話すと笑顔が一転、険しい顔に様変わりしてしまった。
「そうですか……亡霊が襲ってくるなんて……」
「ああ。そう手ごわい相手じゃなかったけれど、何度攻撃しても再生するんだ」
「それは厄介ですね」
「うん。ところでこいつを知らないかい?」
アルドは小さな金属の板切れを宿屋の娘にも見せる。
「これは……鑑札ですか?」
「そうらしい。亡霊が落としていったから、何か手掛かりになるんじゃないかと思ったんだけど」
「うーん、私ではわかりませんね。ですが滞在中のミグランス王なら何かご存じかもしれません」
「おと……ミグランス王がここにいらっしゃるんですか!?」
素っ頓狂な叫びを出したのはミーユだ。
「ええ。城が燃えてしまった関係で、こことお城を往復するような生活を送ってらっしゃいます。昨日はそのまま城に滞在していらっしゃったようですが、いつも私どもを労ってくださるお優しい方です」
「そ、そうなんですか」
冷汗をかき、視線をさまよわせるミーユはどう見ても冷静ではない。
(もしかして知らなかったのか?)
(は、はい。そうだったらもっと注意していました……)
確かに一国の王が宿屋に宿泊しているとはなかなか想像できない。まあミーユも人のことを言えないわけだが。いや、血は争えないというべきか?
「あ、噂をすれば近衛兵の方がいらっしゃいましたよ」
宿屋の娘が扉を指し示す。
アルドはすっとミーユと扉の間に移動する。こんなもので視線を遮れるかどうかはわからないが何もしないよりましだろう。
「おお、貴公らは魔獣王を退けた者たちではないか」
アルドはユニガン、特にミグランス王に近しい兵士の間では王を救った英雄としてもてはやされている。少しばかりくすぐったいのだが、話をスムーズに進めるためにはそれがありがたかった。
「ちょうどよかった。実は聞きたいことが……」
今までの経緯を説明し、鑑札を見せる。
鑑札を眺めていた近衛兵はコルネリアスという名前に目を向けると剣呑な空気を身にまとった。
「これを本当に亡霊が……?」
「ああ」
「そうか……」
腕を組みながら何やら思案する近衛兵。何かを知っているのは明らかなようだ。
「貴公らなら教えても問題はあるまい。だが、直接話を聞きに行くべきだろう」
「話を? 誰に?」
「……その男を討伐した男……カイルに」
重苦しい口調で近衛兵は真実につながる鍵を差し出した。
「ずいぶん不穏になってきたな」
アルドが思わずため息をもらしそうになる。近衛兵の様子からすると血なまぐさい話を避けられそうにない。
「そうでござるな。ところで、ミーユ殿はどちらに?」
「あ、こっちです」
ミーユは宿の外から声をかけていた。
「全然気が付かなかった。いつの間に?」
「それは……昔取った杵柄というやつでしょうか」
まさか王宮から脱走を繰り返すうちに自然と身につけた技術だと自慢するわけにもいかない。
「ケロケロ。何はともあれセレナ海岸側の門へ行ってみるでござる」
「そうだな。そこの兵士がコルネリアスについて知っているらしいからな」
三人は王都北東部にある門へ向かう。以前は往来が盛んだったそこは魔獣の影響によってやや閑散としていた。
門の前にポツンと立っている兵士に話しかける。
「すまない。近衛兵に言われてきたんだが、あんたがカイルか?」
「ええ。そうですが」
「そうか。あんたはコルネリアスという男について知っているか?」
兜のせいで顔は見えなかったが、兵士がとても驚いたことだけは容易にわかった。
「どこでその名を? いえ、どうやら長い話になりそうですね。私はもうすぐ交代の時間ですので、中で話を伺いましょう」
門の横、兵士の詰め所になっている場所に案内された。
アルドたちに事情を説明されたカイルはやはりと言うべきか、硬いたたずまいを崩さなかった。
「首なし騎士の亡霊。噂には聞いていましたが……まさか、それがコルネリアスだったとは……」
「一体何があったんですか?」
ミーユの問いにカイルはしばらく答えなかったが、やがてゆっくりと口を開いた。
「コルネリアスと私は同じ部隊に配属された同僚でした。最近地方から王都に来た新参者どうしということですぐに打ち解けました」
「つまりあんたたちは友人だったのか?」
「ええ。少なくとも私はそう思っていました」
過去形であることと、カイルの苦々しい声音からその結末はおおよそ推測できた。
「我々の部隊は王都周辺に出没していた魔物や魔獣を倒していました。ある時倒した魔獣が小さな壺を持っていました」
「壺? 何でそんなものを?」
「最初は私たちもそう思いましたが、別に怪しくありませんでした。コルネリアスがその壺を持ち帰ると言った時も誰も止めませんでした」
「ふむ。戦利品を持ち帰りたがるのは若い兵士にはよくあることでござる」
「隊長もそう考えていたのでしょう。……今思えばそれが間違いでした。帰路についた私たちは不運に何度も見舞われました」
「不運?」
「最初は何ということもありませんでした。草の根につまずいたり、急にネズミが飛び出したり……ですが次第に命にかかわるような凶事が起こり始めました」
「それはただ事ではありませんね……」
「はい。我々は不安に駆られました。心当たりといえば、魔獣が落とした壺以外ありません。隊長はコルネリアスにその壺を捨てるように命令しましたが、コルネリアスは拒否しました。普段善良だった彼は何かにとりつかれたように人が変わってしまいましたが、どうにか我々で取り押さえました。しかし、そこであれが現れました」
「あれ?」
「はい。悪魔、です」
「悪魔? そんなものが本当に?」
「あれが本当に悪魔だったのかは我々にもわかりません。しかしこの世の者とは思えないほど恐ろしい姿の何かが、壺には封じられていたのです。本当に、恐ろしい姿でした」
カイルは過去の悪夢を思い出したのか、かたかたと体を震わせている。アルドたちも口をはさめないほど緊張感がみなぎっていた。
「我々は悪魔の不意打ちで負傷してしまった兵士を、助けを呼ぶために逃しました。それからはもう無我夢中です。気付けば立っていたのは私一人。隊長も、同僚も死に……首のないコルネリアスの死体が転がっていました」
三人はあまりの凄惨さに一言も発せなくなっていた。
気分の良い話ではないことは予想していたが、これほどの大事件なのは予想を超えていた。
「やがて負傷していた兵士と共に救援の部隊がやってきました。ですが、そこで油断するべきではなかったのです。突如大波が起こり、負傷していた兵士と、コルネリアスの死体を攫っていったのです」
「波? すると場所はセレナ海岸か?」
「ええ。ですが本来ならあんな場所まで波が届くはずはありません。私は負傷していた兵士の腕を必死で掴みましたが……」
カイルは鎧を外し、左手のひらをアルドたちに向けて差し出すように広げたのち、裾をまくる。
前腕の内側にはいびつな傷跡が残っていた。
「私自身も傷を負っていたので力が入りませんでした。あれほど自らの非力さを恨んだことはありません」
「結果として、貴殿を除いて部隊は全滅してしまったのでござるか」
「その通りです。ユニガンの兵士として恥じ入るばかりです」
「そんなこと言わないでくださいカイルさん。あなたは兵士としての責任を果たしました」
「ありがとうございますお嬢さん。ですが結局、コルネリアスの遺体は行方不明。壺も場所がわからず、事件はそのままなかったことになりました。ですが……」
「コルネリアスが亡霊として……よみがえった……?」
アルドの独白に全員が無言で同意の意を示す。
「もしかして、亡霊の狙いは……カイルさんですか?」
「あるいは悪魔の壺か。いずれにせよ必ず阻止しなければなりません」
カイルは決然とした声音で言い放つ。恐らく兜の下の表情も同様だろう。もう二度とあの惨劇を繰り返してはならない。そこにはそんな覚悟が込められていた。
「これから騎士団長に事のあらましを上申します。民が襲われたのならば無碍にはしないでしょう。私たちの仕事はこの国を守ることですから。数日中には正式な命令が下るはずです」
「ですが……私たちはこのままでは……」
食い下がるミーユを制止したのはサイラスだった。
「ミーユ殿。兵士の職責は町と民を守ること。我々がそれを奪うわけにはいかないでござる」
「ありがとうございますカエル殿」
「……わかった。じゃあ後のことは騎士団に任せるよ」
アルドがそう言うと納得のいかない顔をしていたミーユも渋々引き下がった。
外に出たアルドたちは燦燦と光り輝く太陽の下で大きく息を吸い込み、伸びをした。
陰惨な話を聞いたせいで、今まで薄暗い地下にいた後のように思いっきり光を浴びたい気分だった。
「あの……これでよかったんでしょうか」
「うーん、でも騎士団が動いてくれるなら俺達が首を突っ込むわけにもいかないからな」
「ミーユ殿は何がご不満なのでござる」
華やかな顔を曇らせたミーユはゆっくり咀嚼するように言葉を絞り出す。
「不満があるわけじゃないです。ただ、二度もカイルさんにコルネリアスさんを葬らせるのは残酷ではないかと……そう思ったんです」
アルドも、サイラスもミーユの顔をじっと見つめる。そこには確かに気高さがあった。
「では、調べるだけ調べるというのはどうでござる? そうして調べた情報を騎士団に渡せばよいでござろう」
ぱっと表情を輝かせ、アルドを見るミーユ。
「そうだな。ここまで来て何もしないのはすっきりしない。まずはセレナ海岸まで行ってみようか」
「はい!」
言葉の勢いのままミーユは駆けだしていった。
二人きりになったサイラスはやや声を潜めてアルドに尋ねてきた。
「アルド殿。あの首なし騎士の攻撃……妙なことに気付いたでござるか?」
「ああ。武装していたのに一度も抜刀しなかったし、ミーユばかりを狙っていた」
「必死で躱していたミーユ殿は気付いておらんでござろうが……どうにもまだあの亡霊についてわからんことがあるでござる。それを確かめるためにももう少し調べねばならん」
遠くからミーユが二人を呼ぶ声が聞こえる。
どこかに闇に閉ざされた真相があると予感しながら、明るい声がする方向へ向かっていった。
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