②さようなら、平凡な人生。


 ある日、人生の終わりは突然やってきた。それは、何の代わり映えのしない日に起きた出来事だった。


「はぁ〜、今日も疲れたわー……」


 一日の仕事を終えて、会社からの帰宅途中、交差点の横断歩道を渡っていると、一台のトラックが物凄いスピードで走ってくるのが見えた。


「――ん?」


 何事かと、つい立ち止まってしまったわたしを、トラックは躊躇ためらうことなくきつぶした。

 おそらく、ほぼ即死状態だったのだろう。痛みを感じることはなく、周囲が騒然となっていく気配を感じながら、わたしの視界は完全な闇に閉ざされた。


 ――ああ、わたし、死ぬのか……。


 理想とかけ離れた死に方に絶望しながらも、意識を手放す直前に、ふと頭をよぎったのは――。


 ――アレ? これって、異世界転生のテンプレじゃね……?


 という疑問だった。

 異世界転生=面倒事に巻き込まれる=平凡な人生オワタ。――というのが、異世界転生に対する、主観的な印象である。


「そんなのいやああああああ!!」


 絶叫しながらがばっとはね起きると、最初に視界に飛び込んできたのは、目が痛くなるほどまばゆい白色の世界だった。


「えっ、ここ、どこ……?」


 ポカンと口を開けたまま、キョロキョロとあたりを見回してみる。

 それからすぐ、事故にあったことを思い出し、ハッと自分の体を見下ろした。全身をくまなく点検したが、外傷は見当たらず、身にまとっている服も無事だった。


「……どうして? わたし、さっき死んだはずじゃ……?」


 呆然ぼうぜんとつぶやきながら、震える両手を胸の前に持ち上げ、視線を落とした。

 信じられない思いで手のひらを見つめていると、きれいな顔が、突然目の前にあらわれた。


「ぅわ……っ!?」


 驚いて背をそらしたまま、目を見開いて、石像のように固まってしまう。

 いきなり現れた青年は、神々しいほど美しく、アルカイックスマイルを浮かべていた。


 ――きれいなひと……。

 

 うっとりするほど美しい青年は、鼻筋の通った、彫りの深い顔立ちをしていた。知的な切れ長の目の枠の中には、宝石のような藤色の瞳が収まっている。つるりとした白磁の肌と相まって、この世ならざる神秘的な雰囲気をかもし出していた。

 さらによく見ると、青年は端正な容貌だけでなく、絹糸のように滑らかで美しい白金プラチナの髪をもっていた。腰まで届く長い髪は、襟足のあたりで一つに束ねられ、両サイドに一房ずつ垂らしてある。少し身じろぎすると、髪がサラリと揺れて、まるで星屑ほしくずいたようにキラキラと輝いた。


 われこそは神が作りし最高傑作である! といわんばかりの神々しさに、思わず両膝をついて手を組むと、祈りをささげるポーズをとった。

 外貌の美醜にあまり関心がないわたしでさえ、うっとりしてしまうくらいの美青年だ。


「やあ、初めまして。僕は運命の神モロス。転生をつかさどる神だよ。えーっと、さっそくだけど、キミに新たな運命を告げるね!」


 モロスと名乗った青年は、キラキラという効果音が聞こえてきそうなほど、実にいい笑顔でそう言った。


 ――なんだろう……とてつもなく嫌な予感がする……!


 本能的に危険を察知し、一瞬のうちにわれに返ると、すぐさま逃亡しようとした。けれども、身をひるがえそうとしたところで、どこにも逃げ場がないことに気がつく。

 「うううう……」と、なんとも情けないうなり声をらし、逃亡することを諦めて、モロスの方へと向き直る。


「…………」

「…………」


 気まずい沈黙が続いたあと、モロスの様子を伺いながら、おそるおそる手を上げた。


「あ、あの〜、モ、モロス……様? ……で、いいのかな……。え、えーっとですね。その〜、ひとつだけ質問してもいい……アッ、よろしいですか、ねぇ……?」


 おずおずと尋ねると、モロスは「いいよ」と快く承諾してくれた。

 ホッと息をいて、さっそく本題に入る。


「さっきわたしに、『運命を告げる』って言ってましたけど……。それって、聞かなきゃダメ……ですかね……?」

「うん、聞かないとダメだね!」

「うっ……!」


 バッサリと言い切られて、危うく心が折れるところだった。つえをなくした老人のように、ヨロヨロとよろけて後ずさる。


 ――だ、だいじょーぶ! わたしの体力ゲージは、まだ半分残ってる……!


「きょ、拒否権を行使します……!」

「拒否権はないよ!」

「ぐはあ……っ!」


 にべもない返事に、ガクリと膝から崩れ落ちた。

 勝敗は、モロスのKO勝ちである。


「ああああ……! 私の人生……オワタ……!」


 絶望的な声を上げて、ガックリと項垂れていると、頭上から澄んだ声がかけられた。


「おかしなことを言うね。キミの人生は、とっくに終わってるのに」


 ――そんなん知っとるわ!!


 とどめを刺すように言われて、ほとんど消えかかっていた心の火がメラッと燃え上がる。


「――ちょっと、あなたねぇ……! 人が死んだっていうのに慰めもしないで! 随っっっ分ないい草ですね!? 『キミの人生はとっくに終わってるよ〜』なんて、そんな言い方あんまりですよ!! あなた、本当に神様ですか!?」


 キッとにらみ据えながら低い声で言うと、モロスは子どものように無垢むくな表情でほほ笑んだ。


「だってべつに、キミは可哀想かわいそうじゃないから」

「……はあ?」

「あのね、織姫。あらゆる生物は、死に向かって生きているんだよ。だから、人間が死ぬのは当たり前のことで、キミを慰める必要なんかない。正真正銘、キミの人生は終わってる。僕はただ、真実を言っただけだよ!」


――おい、マジでか。予想の斜め上の言葉が返ってきたぞ……。


 物の見事に肩透かしを食った気分で、思わず苦笑いをしてしまう。


「えーっとですね。わたしはそういう、哲学者の名言! ……みたいな言葉が、聞きたかったわけじゃないんですケド……」


 ボソボソと内心の不満をあらわに言ったが、モロスはかまわず続けた。


「人の運命は、運命の三女神モイライが割り当て、紡いで、断ち切るんだ。だから、織姫。キミが母親の腹に宿ったとき、あの場所あの時間に轢死れきしすると決まっていたんだよ。全ては必然の結果なんだから、悲しむことなんてないんだ」


 モロスはそう言って、慈愛に満ちたまなざしを向けてきた。


 ――えー……、なんでも馬鹿正直に答えるのは、彼が神様だからなの……?


 いろいろと混乱しながらも、神様然としたモロスによって、完全に毒気を抜かれてしまった。


「……ハハッ」


 もはや、わたしの表情筋は死んだ。きっと、目のハイライトも消えているに違いない。


「はぁー……」


 疲労感でいっぱいのため息をいたあと、白けた気分で口を開いた。


「……ねえ、モロス様。死屍ししむち打つ、って言葉、知ってます?」


 一瞬、キョトンとしたモロスは、意外な言葉を聞いたとでも言いたげな表情で首をかしげた。


「え? 僕っていま、キミに鞭打ってるの?」

「ええ、そりゃあもう、めちゃくちゃ打ってますね……」


 くたびれた声で言うと、モロスは興味深げに、わたしの顔をのぞき込んできた。


「へぇ〜……。キミって、見た目より繊細なんだね!」

「……ケンカ売ってます?」


 もうあきれて苦笑いするしかない。完全にモロスのペースに巻き込まれている。このままではらちが明かない。


 ――運命を受け入れろ――


 気合を入れるために、思いっきり両頬をたたいた。バチンと鳴った鈍い音は、白い空間に吸い込まれるように消えていった。

 予想外の出来事だったのだろう。モロスはびっくりしたように、大きく目を見開いていた。その顔を見て、モヤモヤとしていた胸がすっとした。


 ――ようやく覚悟が決まった。


「……モロス様、教えてください。私の新しい運命って、なんですか?」

「よく覚悟したね。えらいよ、織姫。キミはこれから女神に転生することになる。……って言っても、まずは見習い女神として、頑張ってもらうことになるけどね!」

「いやああああああ!!」


 ――異世界転生じゃなかったけど、女神に転生ってなに!? めちゃくちゃ嫌な予感しかしない!! 神様って、モロスって、なんて無慈悲なの……っ!? やっぱり……やっぱり聞くんじゃなかった……!!


「カムバーック!! 平凡な人生ーー!!」


 こうしてわたしは、無邪気でしたたかなモロスによって、女神転生を余儀なくされたのだった。

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