その⑥「帰還」
成行とアリサを乗せたタクシーが
すやすやと眠るアリサを背負い、静所家のリビングへ運ぶ。彼女をソファーへ寝かせると、成行もソファーに腰掛けた。
「はあ、疲れた・・・」
タクシーで移動中も、誘拐犯の襲撃の可能性を考えて気が休まらなかった。ここに来て、ようやく本当の意味で安心できた。
「ご心配おかけしました」
成行の目の前には、パジャマ姿の雷鳴と見事がいる。二人に頭を下げる成行。
見事は不安げな様子だが、雷鳴は対照的に落ち着いた雰囲気だった。
「見事、ユッキーにココアを用意してくれるか?」
「うん・・・」
見事は一旦リビングを離れる。
雷鳴は単刀直入に尋ねる。
「ユッキー。聞きたいことは沢山あるが、まずは金曜の夜から今日にかけて何があったのか聞いてもいいか?ココアでも飲みながら」
「ありがたくいただきます。話さないといけないことは沢山ありますが、まずは昨日の夜のことから」
5分と待たず、見事が三人分のココアを用意してきた。
熱いココアをじっくり口にしながら、成行は先程までいた川崎競輪場へと至る経緯を包み隠さず話した。
※※※※※
見事は成行の話を聞いてショックを受けている様子で、何も言わなかった。彼女の表情を見れば、動揺していることが簡単にわかる。
一方で、雷鳴はやはり冷静なままだ。
「ユッキーを捕らえた連中は、魔法の本のことを聞いてきたのだな?」
「ええ。九つの騎士の書ですよね?魔法の本の正式名称は」
「ああ、それで間違いない」
雷鳴は頷く。そして、一瞬の沈黙を挟んで彼女は言う。
「よくないことになっている」
「それは一体?」
「どこで、どんな形かはわからないが、キミが九つの騎士の書に関わりがあったという情報が洩れている」
「誰が僕を襲ったんです?」
「それは私にもわからん」
考え込むような顔をする雷鳴。
「だが、放置するわけにはいかない。何せ、そんな強硬手段を用いたのだ。キミは狙われている。今もな」
「そんな!僕はどうすれば・・・?」
またも誘拐される恐れがあるのか。冗談ではない。
「今夜はここへ泊まれ。もう遅い時間だ。この家には
「ありがとうございます。でも、迷惑じゃないですか?もしかしたら、僕を襲った連中がここにも来たら・・・」
ご厚意に感謝しつつも、成行は真っ先に見事、アリサ、雷鳴が巻き込まれることを心配した。
「心配ない。私たちは凄い魔法使いだ。そんな三人のいる家には、そんじょそこらの不審者は侵入できない。ホワイトハウスやクレムリンに潜入するより難しいんだからな」
雷鳴はカラカラ笑ってみせた。
「見事、別に問題はないな?」
雷鳴は見事に確認する。
「うん。一応、ベッドはいつでも使えるようになっているから、成行君が使うのには問題ないよ」
「何なら見事が警護を兼ねて、ユッキーの添い寝をしたらどうだ?」
ニヤニヤしながら言う雷鳴。
「ふえっ!」
見事が変な声を出す。
「いえ。そこまでは結構」
透かさず断る成行。案の定、見事は頬を赤くして困っている。反射的に断ったのは、成行なりに気を使った。
「疲れただろう。シャワーでも浴びて、今夜は寝るといい。部屋の用意はしておく。食事はどうする?」
「いえ、結構です。不思議とお腹が減ってなくて。川崎では、アリサさんが何でも奢ってくれると言ったんですが、西日本遠征ラインに夢を打ち砕かれました」
「川崎の最終か?あれな。私は当たった」
「おっ!凄い」と、素直に感心する成行。
「⑧番は負け戦だが、一着があったからな。川崎だし、三番手でもチャンスはあると思ったんだ」
「やっぱり、そう思いますよね?」
「まあな。2車単で二本取った」
「上出来だと思います」
不意に競輪の話題で盛り上がった成行と雷鳴。
しかし、成行はすぐに態度を改めた。真剣な表情で膝に手をついて頭を下げる。
「改めて、今晩はお世話になります」
「そんなに頭を下げなくてもいい。どんな因果か、キミを魔法使い業界に巻き込んでしまったからな。それは私たちにも責任があると感じているんだ」
雷鳴は笑っているが、少し申し訳なさそうにも見えた。
見事の案内でバスルームへと向かう成行。着替え用意しておくと言われたので、さっそくシャワーを浴びることにした。
脱衣場で今まで着ていたTシャツを眺める成行。血としそジュースが染み込んで湿っている。脱衣場にはドラム式洗濯乾燥機があった。衣類を下洗いし、この洗濯乾燥機を借りようかとも思った。
が、血の付いた服を洗うのは、さすがに申し訳ないと思い、そのアイディアは却下。なるべく静所家の所有物を汚すまいと、着ていた衣類を丁寧にたたむ成行。
開放的な姿になり、バスルームへと入る成行。そこには、白い欧風バスタブが鎮座している。
「へえ~。やっぱりこんなバスタブの家ってあるんだな」
浴室内に置かれたシャンプーなどの調度品を見ても、高価格帯の代物だと何となくわかる。
「やっぱり金持ちだな、この家」
先程は洗濯を遠慮した成行だが、絹豆腐ような澄んだ白いバスタブを見ていると、湯に身体を
「入ろう・・・」
決心の一言の後、成行はバスタブにお湯を注ぎ始めた。
湯が溜まるのを待つ間に体を洗う。シャワーから降り注ぐお湯が、こんなにもありがたいものだったのか。思わず、ため息がこぼれる。
「疲れたな・・・」
無心で湯を浴びる。
ふと、浴室内の鏡に目を向ける。そこに映るのは、疲れた顔の自分自身。
顔を見つめていると、やはり不思議なことだと思わざるを得ない。誘拐犯から顔面フリーキックを受けたのに、そんな事実は最初からなかったかのように顔は無傷だ。
顔面フリーキックの痛さは思い出すのも嫌だが、顔を撫でても痛みは皆無だ。
「不思議だよな。痛くない・・・」
こうも痛さを感じないと暴行を受けたこと自体が、記憶違いなのではと疑ってしまう。
「いや、さすがに疑い過ぎか・・・」
成行はシャワーを止める。
バスタブには思っていたよりも早くお湯が溜まった。蛇口から出るお湯が想像していたよりも激しい勢いだった。
暖かい水面に手を差し伸べる。少し熱いが大丈夫だろう。
「いや、熱いか・・・」
足を浸けると、手で触れた以上に湯が熱い気がした。でも、耐えられないことはない。ゆっくりと湯船に身体を浸していく。慣れないバスタブであるということも影響している。
「生き返るなあ・・・」
と言った傍から、自分の発言が年寄臭いと感じてしまった成行。だが、湯船に身体を浸す幸せを存分に感じて発した言葉だ。
口元を水面まで浸しながら考える。
散々な週末になってしまった。金曜の夜から今夜までおよそ二日間。本来ならば、重大な刑事事件を体験した。
殺されていても不思議ではなかったのだ。それを思うと、明日からのことが心配になる。それでも不思議と極端な不安はなかった。これはなぜだろう。それを考えたとき、成行の脳裏には見事の笑顔が浮かんだ。
見事と同じクラスになって、まだひと月も経っていない。ましてや、ここ数日で急に彼女との接点を持った。しかし、その出会いが成行の運命を変えた。自分の記憶の奥底にしまっていた幼い日の出会い。本の魔法使いの女の子の記憶。十年という時を経て、再び成行は魔法使いの女の子と出会った。
「魔法使いの静所さんか・・・」
眠気を感じた成行は湯で顔を
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