その⑥「帰還」

 成行とアリサを乗せたタクシーが静所おとなしに着いたのは、22時25分。ここまでは、雷鳴が手配したタクシーで来た。時間にして、。タクシー代は雷鳴が払ってくれた。


 すやすやと眠るアリサを背負い、静所家のリビングへ運ぶ。彼女をソファーへ寝かせると、成行もソファーに腰掛けた。

 

「はあ、疲れた・・・」

 タクシーで移動中も、誘拐犯の襲撃の可能性を考えて気が休まらなかった。ここに来て、ようやく本当の意味で安心できた。

 「ご心配おかけしました」


 成行の目の前には、パジャマ姿の雷鳴と見事がいる。二人に頭を下げる成行。

 見事は不安げな様子だが、雷鳴は対照的に落ち着いた雰囲気だった。

 「見事、ユッキーにココアを用意してくれるか?」

 「うん・・・」

 見事は一旦リビングを離れる。


 雷鳴は単刀直入に尋ねる。

 「ユッキー。聞きたいことは沢山あるが、まずは金曜の夜から今日にかけて何があったのか聞いてもいいか?ココアでも飲みながら」

 「ありがたくいただきます。話さないといけないことは沢山ありますが、まずは昨日の夜のことから」


 5分と待たず、見事が三人分のココアを用意してきた。

 熱いココアをじっくり口にしながら、成行は先程までいた川崎競輪場へと至る経緯を包み隠さず話した。



               ※※※※※



 見事は成行の話を聞いてショックを受けている様子で、何も言わなかった。彼女の表情を見れば、動揺していることが簡単にわかる。

 一方で、雷鳴はやはり冷静なままだ。

「ユッキーを捕らえた連中は、魔法の本のことを聞いてきたのだな?」

「ええ。ですよね?魔法の本の正式名称は」

「ああ、それで間違いない」

 雷鳴は頷く。そして、一瞬の沈黙を挟んで彼女は言う。


になっている」

「それは一体?」

「どこで、どんな形かはわからないが、キミが九つの騎士の書に関わりがあったという情報が洩れている」

「誰が僕を襲ったんです?」

「それは私にもわからん」

 考え込むような顔をする雷鳴。


「だが、放置するわけにはいかない。何せ、そんな強硬手段を用いたのだ。キミは狙われている。今もな」

「そんな!僕はどうすれば・・・?」

 またも誘拐される恐れがあるのか。冗談ではない。

「今夜はここへ泊まれ。もう遅い時間だ。この家には客人きゃくじん用の部屋がある。そこを使っていい」

「ありがとうございます。でも、迷惑じゃないですか?もしかしたら、僕を襲った連中がここにも来たら・・・」

 ご厚意に感謝しつつも、成行は真っ先に見事、アリサ、雷鳴が巻き込まれることを心配した。


「心配ない。私たちは使。そんな三人のいる家には、の不審者は侵入できない。ホワイトハウスやクレムリンに潜入するより難しいんだからな」

 雷鳴はカラカラ笑ってみせた。

「見事、別に問題はないな?」

 雷鳴は見事に確認する。

「うん。一応、ベッドはいつでも使えるようになっているから、成行君が使うのには問題ないよ」

「何なら見事が警護を兼ねて、ユッキーの添い寝をしたらどうだ?」

 ニヤニヤしながら言う雷鳴。


「ふえっ!」

 見事が変な声を出す。

「いえ。そこまでは結構」

 透かさず断る成行。案の定、見事は頬を赤くして困っている。反射的に断ったのは、成行なりに気を使った。


「疲れただろう。シャワーでも浴びて、今夜は寝るといい。部屋の用意はしておく。食事はどうする?」

「いえ、結構です。不思議とお腹が減ってなくて。川崎では、アリサさんが何でも奢ってくれると言ったんですが、西日本遠征ラインに夢を打ち砕かれました」

「川崎の最終か?あれな。私は当たった」

「おっ!凄い」と、素直に感心する成行。


「⑧番は負け戦だが、一着があったからな。川崎だし、三番手でもチャンスはあると思ったんだ」

「やっぱり、そう思いますよね?」

「まあな。2車単で二本取った」

「上出来だと思います」

 不意に競輪の話題で盛り上がった成行と雷鳴。

 しかし、成行はすぐに態度を改めた。真剣な表情で膝に手をついて頭を下げる。


「改めて、今晩はお世話になります」

「そんなに頭を下げなくてもいい。どんな因果か、キミを魔法使い業界に巻き込んでしまったからな。それは私たちにも責任があると感じているんだ」

 雷鳴は笑っているが、少し申し訳なさそうにも見えた。


 見事の案内でバスルームへと向かう成行。着替え用意しておくと言われたので、さっそくシャワーを浴びることにした。

 脱衣場で今まで着ていたTシャツを眺める成行。血としそジュースが染み込んで湿っている。脱衣場にはドラム式洗濯乾燥機があった。衣類を下洗いし、この洗濯乾燥機を借りようかとも思った。

 が、血の付いた服を洗うのは、さすがに申し訳ないと思い、そのアイディアは却下。なるべく静所家の所有物を汚すまいと、着ていた衣類を丁寧にたたむ成行。


 開放的な姿になり、バスルームへと入る成行。そこには、白い欧風バスタブが鎮座している。

「へえ~。やっぱりこんなバスタブの家ってあるんだな」

 浴室内に置かれたシャンプーなどの調度品を見ても、高価格帯の代物だと何となくわかる。

「やっぱり金持ちだな、この家」


 先程は洗濯を遠慮した成行だが、絹豆腐ような澄んだ白いバスタブを見ていると、湯に身体をひたしたいという衝動しょうどうに駆られる。

「入ろう・・・」

 決心の一言の後、成行はバスタブにお湯を注ぎ始めた。

 湯が溜まるのを待つ間に体を洗う。シャワーから降り注ぐお湯が、こんなにもありがたいものだったのか。思わず、ため息がこぼれる。


「疲れたな・・・」

 無心で湯を浴びる。

 ふと、浴室内の鏡に目を向ける。そこに映るのは、疲れた顔の自分自身。

 顔を見つめていると、やはり不思議なことだと思わざるを得ない。誘拐犯から顔面フリーキックを受けたのに、そんな事実は最初からなかったかのように顔は無傷だ。

 顔面フリーキックの痛さは思い出すのも嫌だが、顔を撫でても痛みは皆無だ。


「不思議だよな。痛くない・・・」

 こうも痛さを感じないと暴行を受けたこと自体が、記憶違いなのではと疑ってしまう。

「いや、さすがに疑い過ぎか・・・」

 成行はシャワーを止める。

 バスタブには思っていたよりも早くお湯が溜まった。蛇口から出るお湯が想像していたよりも激しい勢いだった。

 暖かい水面に手を差し伸べる。少し熱いが大丈夫だろう。


「いや、熱いか・・・」

 足を浸けると、手で触れた以上に湯が熱い気がした。でも、耐えられないことはない。ゆっくりと湯船に身体を浸していく。慣れないバスタブであるということも影響している。

「生き返るなあ・・・」

 と言った傍から、自分の発言が年寄臭いと感じてしまった成行。だが、湯船に身体を浸す幸せを存分に感じて発した言葉だ。


 口元を水面まで浸しながら考える。

 散々な週末になってしまった。金曜の夜から今夜までおよそ二日間。本来ならば、重大な刑事事件を体験した。

 殺されていても不思議ではなかったのだ。それを思うと、明日からのことが心配になる。それでも不思議と極端な不安はなかった。これはなぜだろう。それを考えたとき、成行の脳裏には見事の笑顔が浮かんだ。


 見事と同じクラスになって、まだひと月も経っていない。ましてや、ここ数日で急に彼女との接点を持った。しかし、その出会いが成行の運命を変えた。自分の記憶の奥底にしまっていた幼い日の出会い。本の魔法使いの女の子の記憶。十年という時を経て、再び成行は魔法使いの女の子と出会った。


「魔法使いの静所さんか・・・」

 眠気を感じた成行は湯で顔をすすいで、風呂を出ることにした。


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