その⑤「ズブズブ」

 川崎競輪場のホームストレッチ側に向かって歩いているときだ。

「おい、ユッキー!何してんだ、こんな所で」

 再び成行の肩を叩く。聞き覚えのある声だ。知り合ったばかりで、忘れることも、聞き間違えることもない。平静を装いつつも、嬉しくて、心の中ではガッツポーズをした成行。予想的中だ!

 振り返ればアリサがいた。



               ※※※※※※



 現在地が川崎市だと知った成行の脳裏に浮かんだ場所。それが川崎競輪場だ。

 競輪場には魔法使いがいる。数日前、初めて耳にした驚くべき事実。だが、それを信じて川崎競輪場に足を運んだ。競輪場に行けば魔法使いに会えるかもしれない。それこそ、雷鳴の顔見知り魔法使いがいるかもしれないと思った。


 いざ現地に着いてみれば、今日がまさかの本場開催日。これを知って、今度は見事の姉・静所アリサがいるかもしれないと思った。


 その理由は木曜日の出来事である。成行がアリサに調布駅まで送ってもらったときだ。アリサが運転するシビックの車中しゃちゅうで、彼女と話したことを覚えていた。川崎でFⅠナイターを現地観戦するというアリサの発言を。


 アリサに会えたことが素直にうれしい成行。

 「アリサさん、会えてよかったです。僕のことを捜してくれてたんですね?」

 「私は予定通りナイターを見に来たのさ。ユッキー捜しは15時半で終了している。でも、いいご身分だな?見事ちゃんを散々心配させておいて、車券も買えないくせにユッキーも川崎ナイターか?」

 アリサは呆れた様子で紙コップに入ったビールを口へ運ぶ。かなり飲んでいるのか、酔った口調だ。


 「えっ!静所さんに何かあったんですか?」

 「違うよ。見事ちゃんは無事さ。むしろ、のはキミじゃないのか?ユッキーにメッセージしても、急に返事が来なくなったって見事ちゃんが言いだして。昨日はわざわざキミの家まで行ったんだぞ?」

 「僕の家に来たんですか?あれ?でも、静所さんは僕の家を知らないはず。どうやって僕の家がわかったんです?住所までは教えてないですよ?」

 見事とはスマホの連絡先を交換したが、互いの住所までは教え合っていない。


 「それに関してはノーコメント」

 「えっ!何それ!気になる!どうやって僕の個人情報を調べたんですか?」

 「ノーコメント。今、それは置いておいてさ、キミの身に何があったか教えてほしいな?間違いなく何かあったよね?」

 アリサは成行の着るTシャツを指さしながら言う。

 今まで気にしていなかったが、Tシャツは成行の血と、しそジュースが混じり合い独特な異臭がした。しかし、Tシャツは黒色なので、しみ込んだ鼻血の赤色と、しそジュースの赤紫色は目立たなかったようだが。


 「ええ。でも、何から話したいいか・・・」

 ここまでの状況をアリサに説明しないと。だが、ここまで自分の身に降りかかったことを考慮すれば、こんな人目ひとめのある場所では話せない。


 成行は周囲を見渡す。締切1分前を迎えて競輪場内はどこも人ばかり。競輪場内での話すのは無理だ。

 「あの、アリサさん!」

 「待った!」

 アリサは成行の発言を遮ると、投票窓口に向かってダッシュした。

 「おいおい。僕のことはどうでもいいのか・・・」

 一人取り残された成行だが、締切のベルが鳴り終えて、すぐにアリサが現れた。


 「悪いね、ユッキー。気になった目を買い足した」

 悪びれる様子もなくアリサは言った。

 「締切間際の買い足しなんて、大抵たいていはずれます」

 「可愛くないクソガキだな、ユッキーは!ハハハっ!」

 ビールを口にして上機嫌なアリサ。

 「素敵な笑顔で、そんなこと言わないの!こっちは大変だったんですから!」

 流石にムッとして声を荒げる成行。


 「まあまあ、怒るなって。初日特選が当たったら、アリサお姉ちゃんが美味い物を喰わせてやんよ」

 成行をなだめるアリサ。

 「もう一度、ゴール線の前へ行こう」

 アリサがそう言うので、成行も大人しく従う。

 二人はホームストレッチ側、ゴール線付近へ向かった。そこは既に観客が多くいた。バンク内では、入場曲に合わせてS級・初日特選の選手が入場している。


 「ユッキー、何を食べたい。遠慮なく言っても

 歩きながら成行に尋ねるアリサ。機嫌がいせいか、将又はたまた、酔っているせいか、語尾ごびがおかしい。

 「じゃあ、うな重で」

 「本当に遠慮ないな。でも、この初日特選は自信があるから、大丈夫だけどな」

 言葉通り、余程よほど自信がある様子のアリサ。まだ、当たってもないのにニコニコしている。

 だが、この5分後。『笑顔のアリサ』が、『憤激のアリサ』になっていた。



                ※※※※※



 「何で三番手の⑧が突き抜けるんだ。おかしいでしょう・・・!」

 紙屑になった車券を見つめるアリサ。彼女の顔は、のように赤い。酔っているせいではなく、車券がハズレたせいだろう。


 『⑧のドアホ!お前はいらんのじゃ!』

 『地元勢は恥を知れ!!』

 ホームストレッチ側にいた客からわめき声が上がる。アリサ以外にも、やられた客がいたらしい。


 西日本の遠征ライン三番手の⑧番が、最後の直線で突き抜けた。

 前の二人を交わしてしまい、二着には別線の番手にいた⑤番がきた。初日特選は大荒れの結果。2車単は⑧⑤の組合わせで19,350円になった。


 アリサの持っていた競輪専門予想紙『南競なんけい』を読みながら成行は言う。

 「いやあ、⑧は入れとかないとでしょう?」

 「何でよ?直近、一着ないし!二場所連続で勝ち上がり失敗してるし!」

 「でも、負け戦でも確定板に入りしているなら買わないと。こんな風に、穴をあけるんですよ?」

 「なら、もっと早く言えよ!」と、語気が強くなるアリサ。

 「いや、何で僕が怒られてるんですか?おかしいでしょう!って言うか、今は僕を助けてくださいよ!」と、負けじと言い返した成行。

 「取り敢えず、ビールを飲んで落ち着こう・・・」

 「いや、まだ飲むんかい!結構、飲んでますよね?茹蛸だって、そんな顔が赤くなりませんよ?」

 「大丈夫よ。今日は川崎から調布まで電車で帰るし。明日の仕事も遅番だから、平気なのよ」

 勢いよくビールを飲むアリサ。


 「僕は家に帰らないといけないんですけどね・・・」

 アリサには聞こえないような声で言う成行。アリサを面倒な酔っ払いだと思い始めていた。

 「あっ!今、私のことを面倒な酔っ払い女って思っただろう?えっ?どうなんだ?」

 成行に絡んでくるアリサ。

 「自覚があるなら改善なさい!ほら、帰りますよ!ハズレ車券はゴミ箱へ!」

 一喝する成行。それでも名残なごり惜しそうに、再度一枚一枚、丁寧にハズレ車券を確認するアリサ。

 だが、成行はそれを没収。案の定、全てハズレだ。文字通りと化したハズレ車券を近くのゴミ箱に投げ入れると、アリサの手を握る。


 アリサは酔っている上、今の初日特選でやられているので機嫌が悪い。

 「もう、ヤダ!ママを呼んで!私の八千円返せ!」

 今、行われたS級・初日特選だけで八千円やられたのか、今日のトータルでそれだけ、やられたのか。前者と後者では、かなりが変わってくるが。


 「ほら、ちゃんと歩きなさい!いい大人がみっともない!一端の車券師なら、本線が飛んでも喚かない!ほら、立つ!」

 駄々をこねる25歳児を連れて正面ゲートへ向かおうとする成行。すると、周りの客に笑われていることに気づく。

 

「あんちゃん、大変だな!」

 そう言いながら話し掛けてきたのは、何と先程のおきなだった。彼は大きな子供と化したアリサを見て笑っている。

 「面目ないです。知り合いのお姉さんなんですが、ご覧の通りで。今の初日特選でやられて。ほら、立ちなさい!」

 しゃがみ込もうとするアリサの腕を引っ張る成行。


 「ハハハっ!ご愁傷さん。こちとら2車単をバチっと当てたよ。プラス19万だ!」

 どうやらおきなの方は大勝利だった様子。浦島太郎ではないが、困っているものを助けた御利益だろうか。

 「もう、うるさい!私、悪くない!⑧なんて要らないのに!」

 アリサが幼子のように喚く。そんなアリサに翁は言う。

 「そこが甘いのよ!負け戦でも一着があるなら、買い目に入れないと。お姉さん、修業が足らんよ!」

 「バカ!うるさい!あっち行け!ハゲ!」

 アリサが手を振り回す。


 「コラ!失礼でしょう!」

 アリサを叱る成行。こんなとき名探偵少年が使う麻酔銃が欲しいと思ってしまう。アリサのせいで、成行まで転びそうになってしまった。


 「気にしなくてもいいさ、あんちゃん。こちとらハゲでも、何でも、のお殿様だからな!」

 「本当にすいません」

 アリサに代わり、非礼を詫びる成行。

 「あんちゃん、そのお姉ちゃんの電話でママを呼んだら?調布まで背負って行けないだろう?」

 「成程なるほど、その手があった!」

 今の成行には、財布もスマホもないが、アリサにはその二つがあるはず。それで雷鳴を呼べばいい。


 「助かりました。感謝します」

 翁に頭を下げる成行。

 「いいってことよ。俺はお大尽だいじん気分でもう一杯行ってくるから」

 「ええ、お気をつけて」

 翁は帰る客の波の中に消えていった。


 「そうだよな。アリサさんのスマホを使えばいいのか。んっ?待てよ?」

 成行はゲートへ向かう客の流れを見た。しかし、もうあの翁の姿はどこにもない。

 「あの人、何で調布に帰ることを知ってたんだ・・・?」

 競輪場に老人がいることは何の不思議もない。だが、あの人は調布へ戻らねばならないことを、どうして知っていた?あの人は一体・・・?


 「ううっ・・・。ユッキー、眠い・・・」

 アリサはうずくまってしまい、その場を動こうとしない。

 「帰りましょう。電話を貸してください」

 雷鳴とコンタクトを取ろうと考えた成行。

 「アリサさん、電話、電話!スマホを貸してください」

 アリサへ手を差し出すが、彼女はそれを払いのける。


 「私は電話じゃありません・・・」

 「そういうのは、いいですから!早く電話を出しなさい!」

 「ううっ!ユッキー、意地悪!三矢みつや君に言いつけてやる!」

 「誰ですか、それ?」

 そのとはスマホゲームか、何かの登場人物だろうか?

 駄々をこねる25歳児に参ってしまう成行。

 民放の地上波で放送される警察24時をたまに観るが、あれでもこんな酔っ払いが出てくる。あれはヤラセではないのだなと再認識した。


 「とにかく、スマホを貸してください。雷鳴さんを呼びます。ママを呼びますよ?」

 「わかったよ・・・」

 アリサはスマホをショルダーバックから差し出した。彼女からスマホを受け取った成行。しかし、この期に及んで、人のスマホを勝手に操作することに躊躇ためらいが生じたのだ。

 

 やはり、アリサさんに電話してもらおう。そう思い、スマホを返そうとしたときだ。不意にスマホが震えだす。

 成行は驚いてしまうが、そのスマホ画面に表示された電話番号を見て、さらに驚く。そこには、『静所おとなし雷鳴らいめい』と、表示されていた。

 思わず電話に出る成行。

 『もしもし?』

 『もしもし?んっ?かけ間違えたか?』

 雷鳴の怪訝そうな表情が目に浮かぶ。

 『すいません、僕です。岩濱成行です』

 『ユッキーか!?何でお前が電話に出るんだ!?どこで何をしていた?』

 雷鳴の口調から、聞きたいことが山ほどあることが伝わってくる。


 『今、川崎競輪場です。この電話の持ち主と一緒なのですが、初日特選でやられて酔いつぶれています』

 『アリサか?よくアリサに出会えたな?』

 『ええ。それも含めて何があったか説明したいんで、迎えに来れませんか?』

 『なら、タクシーを使え』

 『タクシーですか?代金はどうします?ワケあって、今の僕は文無し。アリサさんは残金がいくらか不明です』

 ふと見れば、アリサがウトウトし始めている。困った人だと呆れる成行。

 

 『それは心配するな。こちらに着いてから私が払う』

 『わかりました。なら、まずタクシーを呼びます』

 『いや、タクシーはこちらで手配する』

 『本当ですか?』

 『ああ、場所を指定する。そこへ向かえ。タクシーを向かわせる』

 『わかりました。そこへ向かいます。指示をください』


 成行は雷鳴から指示された場所へ向かうことに。そこは川崎競輪場近くの公園だ。タクシーは15分後に着くという。

 

 「じゃあ、お姉さんを背負っていくしかないか・・・」

 あれだけ騒いでいたアリサは寝息を立てている。

 周囲に目を向けると、賑やかだった競輪場からは人が消えていた。

 客のいなくなった場内には、放棄された専門予想紙やスポーツ紙、ズタズタになったハズレ車券が散らばっている。


 その光景はドラマや映画で目にした戦場を髣髴ほうふつとさせる。まあ、競輪場が戦場であるというのは間違いではない。選手にも、客にとっても。成行はそう思っている。

 

 「さて、帰りましょう。アリサさん。ほら、起きて」

 優しくアリサの肩を叩く成行。

 「ううっ、⑧番が・・・」

 夢の中でも⑧番車にやられているのだろう。


 成行はアリサを背負うと、ゲートへ向かって歩き始めた。客はいなくなったが、代わりに清掃員や警備員が場内の片づけを始めている。

 「ありがとうございました」

 時折、すれ違う職員が掃除をしながら挨拶をしてくれる。成行も簡単に会釈しながら、川崎競輪場のゲートをくぐった。



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