その②「ユッキーの記憶」


 眠かった。昔のことを思い出そうとして眠くなった。

 どんな思い出か。魔法使いの女の子と遊んだ思い出。今から10年前。多摩川沿いの堤防。二人で夕日が沈む寸前まで遊んだこと。競輪場や競艇場で選手たちを指さしながら、手を振るあの子。


 だが、成行には肝心な部分が聞こえない。そして、思い出せない。あの子の名前。そこだけ切り取られたかのようにスッポリと記憶から消えている。

 記憶の中で誰かの名前を叫んでいるあの子。競輪選手や競艇選手の名を叫んでいるのだろうが、そこだけ編集されたように音がしない。名前を叫ぶ瞬間、音が消える。聞こえない。



                ※※※※※



「成行君」

 不意に肩を揺らされて、ビクッとする成行。隣を見れば、そこには見事がいた。

「大丈夫、成行君?」

「うん?大丈夫・・・」

 頭の中には、まだまだ眠気が残る成行。一回、大きく深呼吸して、背伸びをする。


「あれ?もしかしてウトウトしていた?」

 自分自身を指さす成行。

「聞いてくれ、ユッキー」

 反対側のソファーに戻っていた雷鳴が彼に言う。

「今、キミがウトウトしていたのは魔法のせいだ」

「魔法のせい?僕に魔法をかけたんですか?」

 成行は驚きを禁じ得ない。そんなことをされていたのか。思わず眠気が一気に消し飛んだ。


「いや。私たちのせいじゃない。推測だが、君に魔法をかけたのは10年前、君が出会った魔法使いの女の子。つまり、使だ」

「本の魔法使い?あの子が・・・」

 成行は夢に見た女の子を思い出そうとした。しかし、あの子のぼやけた顔しか浮かんでこない。何で思い出せないんだ。


「成行君。恐らくキミにはかかっているんだと思うの」

 今度は見事が言った。彼女の不安げながらも、真剣な眼差しを見た成行。自分の身に起きている。それをすぐに察した。


「静所さん、そのって何なの?」

「『条件魔法』とは、一定の条件を満たすと発動する魔法のこと。多分、本の魔法使いと、成行君との記憶に関して、何かしらのがかけられていると思うわ。キミが眠くなったのは、そのせい」

「じゃあ、僕があの子のことを思い出せないのは、そのせいなの?」


「その通りだ、ユッキー」そう言ったのは雷鳴だった。

「本の魔法使いは、自分自身の個人情報、つまり名前や使える魔法に関して、条件魔法によって思い出せないようにしている。キミにかかっている条件魔法は、『他人に自分のことを話そうとすると、記憶が曖昧になる。ないし、思い出せなくなる』だと思われる」


 雷鳴の言葉に驚愕する成行。

 魔法で知らず知らずに操られていたなんて、考えたことがなかった。記憶が少しおかしいとは感じたが、10年前のことだから思い出せないだけ。そんな風にしか考えていなかった。ショックのあまり、次の言葉が出てこない成行。


「ユッキー。ショックかもしれないけど、魔法使いと関わると、これはあり得ることだ」

 雷鳴の隣に座るアリサが言った。


「私たち魔法使いは、魔法使いだってバレないように暮らしている。私、ママ。それに見事ちゃんも。今日、ユッキーが見事ちゃんの秘密を見ることがなければ、このまま見事ちゃんの正体を知らずに高校卒業となる運命だっただろう」

「じゃあ、今日のことも全て記憶から消しますか?」

 思わず口をついて出た成行の一言。

「そんなことしない!」

 見事が思わず大きな声を出したので、他の三人は驚いた。


「そんなことしないよ・・・。私は」

 見事は悲しげな顔で俯いている。

「ユッキー。見事ちゃんを信じてくれや。私や、ママも」

 アリサはゆっくりと見事の側へ向かうと、彼女の頭にそっと手を添えた。

「ゴメン、静所さん・・・」

 見事の反応を見て、成行は頭を下げた。見事の顔を直視できなかったが。


「まあ、無理もないさ」

 雷鳴はソファーに深く腰掛け直すと、足を組んだ。そして、天井に顔を向けて、成行に語り掛ける。

「知らぬ間に魔法にかかっていた。記憶を操作されていたなんて思えば、いい気はしない。普通の人間も。無論、魔法使いもな」

 

 雷鳴は成行の方へ顔を向けて語り続ける。

「だが、これだけは約束したい。今日、キミが見聞きしたことを記憶から消したりしないということ。たまに一般人が魔法使いの存在に気づくことがあるんだ。今日のキミみたいに。でも、キミのことは信じてもいいと私は思っている。私は徳川家康が江戸に来る前から生きている。人を見る目はあるつもりだ」

 雷鳴は微笑んだ。彼女の言葉を聞いて、先程の発言が恥ずかしいと思ってしまう成行。


「そして、改めてお願いしたい。今日の出来事や、私や娘たちの正体は内緒にしてほしい。それにユッキーがかつて出会った本の魔法使いのことも」

「本の魔法使い?あの子のこともですか?」

「そう。因みに、その件は私たち以外にも話したことはあるか?」

「いえ。そのむかしばなしをしたのは、雷鳴さんたち三人が、初めてです。誰も信じてくれないだろうって思って、今までに誰にも話したことがなかったです。家族にも、友達にも」

「なら、好都合だ。本の魔法使いの話は、ホイホイといない方がいいんだ」

「そうなんですか?でも、何で?」


 そう問いかけられた雷鳴は一瞬、言葉に詰まる。

「そうだな・・・。あんまり関わらん方がいいことなんだよ。本の魔法使いの話はな」お茶を濁したかのような答えをする雷鳴。


「わかりました。皆さんのことは秘密にしておきます。僕の昔話も、これ以上は口外しないようにします」

「助かる。ありがとう」

 雷鳴は頷きながら礼を言う。

 成行は一瞬、心が安らいだ気がした。だが、傍らで俯いたままの見事を見ると、申し訳ない気持ちが湧いてくる。


「静所さん」

 成行は見事の方を見た。

「さっきはゴメン。僕の軽率な一言を許してほしい」

 そう言って改めて見事に頭を下げた。すると、見事は少し驚いた様子で答える。

「ううん。私は大丈夫。私こそゴメン。学校でも散々勝手なことを言ったし・・・」

 見事はぎこちない笑顔で答える。彼女もまた、申し訳なさそうにしていた。

「今は、そのことはいいよ。落ち度があったのは僕だから」


「さて、改めて質問をしたいと思うのだが、いいかい?」

 雷鳴は成行に問う。

「はい。どうぞ」

 成行はソファーに座り直し、姿勢を整える。

「じゃあ、見事。ユッキーに質問を」

「はい」

 見事が成行の方を向く。成行も彼女の方へ視線を向ける。


「成行君は魔法使いの女の子と遊んだのは、どこだったか覚えている?」

「それは覚えている。」

「具体的にはどこ?」

「具体的には、多摩川沿いの堤防。府中市側だった。僕は小さい頃から稲城に住んでいるけど、府中市に近い所に住んでいるから」

「稲城に住んでいる成行君が、どうして府中市で出会ったの?」

「いや、本当に最初の出会いは稲城側の公園なんだ。その女の子が稲城の公園に来ていて、それで僕と出会った。で、それ以降は僕が川を渡って、府中市側へ行っていたんだ」

 その辺りの記憶はハッキリと覚えている成行。先程のような眠気は、今のところない。


「あと、たまにだけれど周辺の公営競技場にも行った覚えがある」

「何っ!本当か?」

 成行の発言に驚いた様子の雷鳴。彼女は思わず立ち上がる。


 が、その反応にむしろ成行が驚いてしまう。

「えっと。具体的には、京王閣、多摩川。流石さすが何月なんがつ何日なんにちまでは覚えていませんけど・・・」

 成行と見事の通う高校の周辺には、公営競技場が集中している。京王閣競輪場、多摩川競艇場、東京(府中)競馬場の3カ所。これらが比較的近くに位置している。

 また、西にはアリサの住んでいる立川市に競輪場がある。さらに距離はあるが、南東の川崎市には競輪場と競馬場。そして、都心により近い場所に、大井(競馬)と、平和島(競艇)もある。


 成行の言葉を聞いて何か考えている様子の雷鳴。何か思い出そうとしているのだろうか。彼にはそう見えた。

「まあ、具体的な日時までは無理だろうな・・・」

「ええ。まあ・・・」

 真剣な表情で何か思案する雷鳴を見て、それが気になった成行。


「雷鳴さん、何か気になる点でも?」

「いや、何でもないんだ」

 雷鳴は短く答えた。

「ユッキー、何で幼い少年少女が公営競技場へ行ったんだい?二人だけで行ったの?キミや、その子の親とかはいなかったの?」

 今度、質問してきたのはアリサだ。


「いえ、いなかったと思います。うん。二人だけで行った。どちらも保護者と言うべき大人はいなかったような気がするな・・・。それに、どうして行ったか?あれ?思い出せない・・・」

 成行の脳裏に浮かぶ京王閣競輪場や多摩川競艇場。

 打鐘だしょうも、ボートのエンジン音も思い出せる。煙草のニオイ。最終バックで喚く大人たち。しかし、どうしてそこへ行ったのか、理由を思い出せない。まるで消えてしまったみたいに。


「僕、記憶を消されてるんでしょうか?そこへ行った理由がスッポリ抜けて落ちているような感じで思い出せません」

 静かに目を瞑り思い出そうとするが、どうしてもできない。

「無理をしなくていいよ、成行君。わかる範囲で、思い出せる範囲でいいから」

 見事が成行に詰め寄る。

「うん。大丈夫。無理はしないようにするから・・・」

 心配そうな顔の見事が、すぐ側まで来た。彼女がこんな近くに来るとは思っていなかった成行。思わずドキドキして、頬に熱を帯びるのを感じた。


「その子とユッキーとの思い出の場所は、多摩川沿いの堤防。競輪場、競艇場か。他には思い出せない?」

「それくらいですね・・・」

 アリサの問いに答える成行。

「ありがとう、ユッキー。重要な情報だ」

 雷鳴は成行に礼を述べる。

「いえ。何かあまり役には立てていないかも・・・」

 

 と、ここで成行は自分が気になったことを聞いてみようと思った。

「雷鳴さん。僕からも聞いてみたいことがあるんですが?」

「んっ?何だ?」

使というのは、何か凄い力を持った魔法使いなんですか?雷鳴さんたち三人とは、何が違うんですか?」

 その質問を聞いた見事とアリサは、雷鳴を見る。

「うむ・・・」

 二人の娘の視線に気づいた雷鳴。


「そうだな。質問をされて聞き返すのは申し訳ないが、何が違うと思う?私たち魔法使い親子と、本の魔法使いの違いは?」

「違いですか?えっと・・・」

 成行は魔法使い親子たちとの会話を思い出しながら答える。

「やっぱり、凄い威力の魔法を使えるとか?何か『特別』な魔法を使えるとかですか?」

「どう『特別』だと思う?」

「う~ん。桁違いに凄い魔法?そう、例えば時間を操作できるとか?」

「まあ、正解としてもOKなのかな?」

 雷鳴は首を傾げながら言う。


「時間を操作できるかどうかは、わからない。時間を操作できる本の魔法使いには会ったことがないからな。だが、凄い力を持つ魔法と言っても差し支えない。大雑把な表現だが、あの本はな、願い事を叶えてくれるんだ。どんな願いでも。魔法使いの間ではそう言われている」

「願い事を叶えてくれる・・・」

 呟くように言う成行。しかし、イマイチ、ピンとこない。

 正直な所、何か在り来たりな回答だと思ってしまった。ゲームやアニメでは、お馴染みな魔法ではないのか。


「ママ。ユッキーはピンときてないよ。そんな顔してる」

 アリサは成行を見ながら言う。

「えっ?いや、そんなことないですよ?本当に」

 ごまかし笑いをする成行。顔に出ていたのかと少し焦る。

「いや、それも仕方ないかもしれんぞ。その辺は、魔法使いと一般人の違いだ。ユッキーのように創作物上でしか魔法に触れることのない一般人にしてみれば、『本の魔法使い』の凄さと脅威がわからないのでは?」

「すいません、雷鳴さん。せっかく教えてもらったのに」

「いいさ。謝らなくても」

 雷鳴はカラカラと笑う。


「見事ちゃん、明日学校の帰りにユッキーと、多摩川の堤防へ行ってくれば?」

 妹に唐突な提案をするアリサ。

「成行君に案内してもらって?」

「そう。思い出の景色を見れば、何か思い出すかもよ?だろ、ユッキー」

「それはどうでしょうか・・・」

 アリサの提案に困惑する成行。かつて遊んだ場所を訪れて、そんなにも簡単に記憶が蘇るのか。アイディアが安易というか、何というか・・・。

「ユッキー、そんな簡単に思い出せるワケないだろうって思ってるでしょう?」

「えっ?そんなことないですよ!」

 アリサの問いかけに焦る成行。他人の心を読める魔法でも使えるのだろうか、この人は。


「まあ、そんな簡単な話じゃないと思う。でも、行くだけ行ってみればいいさ。それで何か思い出したら丸儲けだろ?」

「わかりました。僕が何かを思い出すことに期待しましょう」

 ここまで話が進んできて、今更断れないと思った成行。

 それに何よりも自分自身が思い出の場所へと行ってみたい。そう思っていることに気づいた。

「それでいいよね?静所さん」

 成行は見事に意思確認をする。

「うん。わかった」

 急な話だったが、見事は了承してくれた。


「決まりだね。ママは何かある?」

 アリサは雷鳴に意見を求める。

「ない。ただし、何か判断に迷うことがあれば、私に相談すること。助け舟は、必ず出すようにするからな」

「はい。そうします」

 成行は答えた。雷鳴の言葉が心強くて、何となく安心感もあった。

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