第1話 バンドヒーロー!

カラフルな照明と焚かれたスモークが幻想的なステージを演出する。


そのステージの中心に俺は立ち、バンドが奏でるアップテンポの曲に合わせてオーディエンスは激しく頭を揺らす。


何万人といる会場は、俺たちの音で一体感に包まれる。


ギターを掻き鳴らし、シャウトする俺はヒーローだ。


音楽で世界を救うスーパーヒーローだ。



「お疲れー」


「お疲れ〜」


手応えも、達成感も感じられないバンドメンバーの労いの声が舞台裏の楽屋で飛び交う。


今日の観客は、照明が焚かれる眩しい舞台の上からでも数えられる程度の人数だった。

いや、今日"の"って言うか、今日"も"が正しい表現だ。


「安倍野」


バンドメンバー古参のドラム担当が俺の名前を呼ぶ。


「俺、今日で抜けるわ」


何となく予感はしていた。


特に驚く素振りを見せず、「そうか、分かった」とだけ言った。


「すまん、安倍野。俺も」


「俺も抜けるわ」


ベースとリードギター担当までも脱退を表明したことに、流石に俺は動揺を隠せられなかった。


「いやいや、お前らまでもかよ!?」


ドラム担当の彼には家庭があった。

仕事と家庭とバンドの両立に厳しいものがある、と前々から口にしていたからドラムの脱退も近いのだろうと覚悟はしていたが、


「お前ら2人はフリーターだろ!?」


ベースとリードギターは俺と同じ、音楽に生きる夢見るフリーターだ。

こいつらだけは一生ついてきてくれると思っていたのに、突然たる脱退宣言は寝耳に水だ。


「安倍野…お前にだって分かるだろ?」


ベース担当が静かに俺を諭す。


わかってる。


わかってるけどその先は言うな…。


「俺たちの音楽は売れない」


「……」


「俺たちもう33歳だ。流石にもう定職に就かないと」


将来を憂うギター担当の言葉に、「もう遅いくらいだ」と自分のベースをハードケースに収納しながら、彼は台詞を被せる。


何も言い返せない、引き留める言葉さえも見つからない俺は、パイプ椅子に脱力したように座り込み、メンバーがそれぞれの楽器を片付ける姿を呆然と眺めるだけだった。


俺は本気で音楽で世界を救うヒーローになれると思っていたが、

これが現実だ。



楽屋から外に出ると、夜の寒空の下でコートを着込んだ1人の女性がライブハウス前で待っていた。


当然出待ちなどではなく、俺の恋人の結衣だ。


バンドメンバー達(ていうかさっき脱退したから元メンバー達)が俺に気を利かせ、お疲れと一言だけ残して去っていった。


俺は楽屋での一悶着を彼女に悟られないように平然を装う。


「さ、どっかで晩飯でも食べるか」


毎回ライブに足を運んでくれる、1番の俺のファンでいてくれる結衣が、俺の飯の誘いに首を横に振る。


拒否するどころか、結衣は俺と目を合わそうとしない。


嫌な予感がする。


明らかに様子のおかしい彼女は、物静かに口を開いた。


「別れて欲しいの…」


おいおい、まじかよ…


何なんだ今日は。

人生で一番最悪な日なのではないか。


「待ってくれ結衣」


流石に引き留める。


バンドメンバーには悪いが、正直彼ら以上に彼女は失いたくない大切な人だ。


「待てないよ、もう」


「いや、そういう待ってくれって意味じゃ…」


「待てないんだよ。私達付き合って8年経って、私はもう28歳で……。アベノくんはいつ就職するの?」


言葉に詰まる。


「もう…待てないんだよ」


彼女の瞳から大粒の涙がボロボロと落ちる。


「わかった…就職するから。俺、もう音楽諦めるから」


だから結衣、別れないでくれ!と情けない声で懇願する俺に、結衣は再び首を横に振る。


「遅いよ…」


「え…?」


「もう…他に好きな人がいるの」


「………」


聞かなくても良いのに、そいつどんな奴なの?と彼女に問うてしまった。


「どんな奴って…ちゃんと働いてる人。国家公務員の人」


こ、国家公務員……


国家公務員VS売れないバンドマン兼フリーターだなんて、勝負にすらならないじゃないか…


でも・・・

それでも・・・


「そいつよりも俺は結衣のことを愛してる!」


一昔のドラマですらも言わないような、感情論剥き出しの安っぽい台詞を口に出していた。


そんな完全敗北者に、凡そ予想のできる返し文句を彼女は言う。


「愛だけでは生きてはいけないんだよ…」


長年付き添った彼女は、呆気なく俺の元から立ち去った。

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