死体の肉でパイを焼いて通信販売する話
千多
冷凍クール便
「人を殺したんですが、お肉は要りませんか」
隣人はそう言って、わたしにプラスチック製のタッパーを差し出した。日曜日の午前七時である。他人の居宅を訪問するのには一般的でない時間帯であると承知した上でチャイムを押したらしく、ひどく申し訳なさそうな様子である。
結構です、とわたしは寝間着のポケットにシャチハタをしまった。
「わたしは料理人ではありません。つまり人肉の調理法を知らないのです。ですからいただいても無駄にしてしまうと思います」
「失礼ですが、ご職業は」
「セビーリャで日本語を教えていました。今は無職です」
「自由な時間が多大にあるというのは素晴らしいことです。いろいろなことに挑戦できますからね」
閉じかけた扉を少しだけ押し戻す。無職を肯定されたのはこの半年で初めてのことだった。気持ちが晴れてくる。考えるべきはアパートの家賃や公共料金の支払いのような、卑近なことだけではなかったのだ。
隣人はにっこりと笑い、蓋の僅かに盛り上がった容器をもう1cmほど前へ寄せた。ちゃぷん、と音がする。
「パイになさるとよろしい」
「肉はこれだけですか?」
「いいえ、残りはミキサーにかけて流すつもりです」
「それはよくありません」
このアパートの大家さんはストレス性の胃潰瘍を患っている。排水が詰まったとか悪臭がするとか、クレームが入れば症状はたちまち悪化してしまうだろう。わたしは身振り手振りを添えて談判した。しかし隣人は隣人で骨や内臓、大量の肉の処理に難儀しているらしく、なかなか理解が得られない。寒空の下、玄関先で5分ほどやり取りをしていただろうか。結局肝臓と肉の半分はわたしが受け取ることになり、残りについては十分に粉砕した上で数回ずつトイレに流すというところで合意した。骨と臓器については、細かく砕いた上で燃やすらしい。握手を交わし、タッパーを受け取る。ずっしりと重い。
「これからどうするおつもりですか」
「引っ越します。うんと遠いところへ」
「あなたとは仲良くなれそうでした」
「もっと早くに出会うべきでしたね。またいつか、どこかでお酒でも飲みましょう」
「ええ、飲みましょう」
それでは、と隣人は深々と頭を下げた。「いつか」が訪れないことは明白で、一抹の寂しさがよぎる。しかし人生とはそういうものだ。
二日後、隣人がアパートを出て行く気配で目覚める。夜明けの前の部屋は暗かった。キャリーケースを引く音が完全に聞こえなくなってしまうまで、わたしはベッドの中で耳を澄ませていた。そして微睡みに落ちる間際、少しだけ泣いた。
*
件の人肉タッパーは冷蔵庫の中で、ピクルスの瓶とマヨネーズに挟まれて眠っていた。すべて容器の蓋には隣人のポラロイド写真(満面の笑み)が貼ってある。生産者の顔ということか。余ったものは冷凍庫にも保管したが、同じ形のタッパーに同じ写真が寸分違わぬ角度と位置で貼られているという光景はなかなかに壮観だった。わたしは写真のひとつを慎重に剥がし、冷蔵庫の扉へ水道屋のマグネットと並べて留めた。
一時期スパイスカレー作りに凝った時期があり、香辛料の類は豊富にあった。書籍やインターネットの料理サイトを活用し、なんとなくミートパイの具材のようなものをつくってみる。肉を細かく刻み、包丁の背で叩く。とても人間とは思えない。
考えてみればわたしたちは、生物と肉をどこで区別しているのだろう。断頭した状態ではまた牛だと言える。皮を剥いでフックに吊るした状態(映画『テキサス・チェーンソー』『心と体と』を参照されたい。)でも、ぎりぎり牛だと呼べそうだ。しかし部位ごとに分けて包装し、店頭に並べばそれはもう完全な牛肉ではないか。例示したスリーステップの間にもさらに細分化された工程がある。なんとかとなんとか肉の境界に存在するグラデーションは繊細微妙なようだ。
話は逸れたが、ともかくわたしは試作品を完成させた。表面に卵黄をたっぷりと塗り、ローズマリーを添えた円いパイである。隣人の下処理が上手かったのか、思ったほどの臭みはなかった。しかし食感や見目にはまだ改良と試行錯誤の余地がある。カーテンを開き、窓を開け放つ。溜まったごみと汚れた服を捨てる。新しい調理器具と自転車を買いに出掛ける。薄荷のように冴えた空気が、麻痺した鼻を洗った。
*
肉を刻み、スパイスの分量を計測・記録し、パイを包み、焼成する日々が続いた。ひと月もつくり続けると最適のレシピが生まれた。人肉パイについては、ひとかどの権威と自負してもいいような気にさえなってくる。気温や天候に合わせ、その日最も美味しく感じられる配合を考えて焼く。失敗することもあったが、それはそれで糧とした。縊れるために買ったロープには、沢山の香草を吊るしてある。
他者に認められたいというのは、人間の欲求のひとつらしい。
わたしは大学時代の友人に数年ぶりに連絡をとった。仕事を失ったと聞いて心配していたんだよ、と彼は言った。自宅に招き、一ピースを食べてもらう。彼はいたく感動し、残りを持って帰った。後日、彼の妻と子どもからお礼の手紙が届いた。生きるとはいいものだ。
より多くのひとにパイを届けたいと考え、わたしは食品を販売する為に必要な講習を受けた。職を失って飛行機に乗った時からは、想像もできないほどの活力に溢れている。店舗は構えず、通信販売で売ることにした。ホームページのデザインは、最初に試食を依頼した友人が買って出てくれた。セビーリャの料理店をイメージした、シンプルかつ洒落た配色とつくりである。謝礼は断られた。代わりにとびきり美味いパイを作ってくれと言われる。任せてほしい、とわたしは言った。
***
口コミが口コミを呼び、パイは飛ぶように売れた。予約は3ヶ月先まで埋まったが、肝心の人肉が尽きかけている。隣人は今どこにいるのだろう。冷蔵庫の写真を剥がして裏返す。連絡先の類はなかった。あったところで「時にあなた、殺人の予定は?」などと聞くわけにもいかないだろう。
空き部屋だった隣室に、最近ひとが入ってきた。身寄りのない単身者らしい。
死体の肉でパイを焼いて通信販売する話 千多 @mlkvnl
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