#2 谷、一人っ子、渡し舟



 この国には一人っ子しかいない。


「にいちゃん、向こう側には何があるの?」

 次郎が無邪気な声を出す。視線の先には絶壁の谷がある。谷の下には川が流れており対岸と隔てている。対岸はのっぺりとした平原が続き、地平線の先には一直線に空に向かう柱が立っていた。この村に生まれた子供は皆、あの頂点の見えない柱を見て育つ。

「さあな、でも楽しいことがたくさんあるらしいぞ」

 そう入ったものの太郎は谷の対岸に何があるかを知らなかった。谷を渡った知り合いは誰一人帰ってこなかった。

「ねえ、下まで降りてみてもいい?」

「一張羅を汚したら怒られるぞ。やめておけ」

 次郎のきている服は家で一番いいものだった。今頃家では豪華な食事の準備中だろう。それも全て次郎を送り出すためであった。

 次郎は素直に従い、地面に座り込んで対岸を眺め出した。服が汚れることに変わりはないが、そこまで口うるさくする気は太郎にはなかった。

「にいちゃんは一緒に来ないの?」

「すまない。にいちゃんは留守番だ」


 この土地では、長男長女以外の子供は14歳の誕生日に渡し船で対岸に送られる。どうやって知るのか、10歳になった日の晩に対岸から顔をフードで隠した二人組の大人がやってくる。太郎も何度か見送りを行ったが、男たちは一言も喋らず、子供を受け取ると対岸まで向かった。


 今日、次郎は10歳になった。今晩、迎えが来て次郎は対岸に向かう。


 そのはずだった。

 ことのきっかけは、晩餐の席で次郎がこう言った事だった。

「あっちでたくさんお土産を買ってくるね」

 その無邪気な言葉に、家族は笑うことができなかった。その不自然な態度は子供ながら次郎に疑念を抱かせた。


 その晩、次郎は失踪した。


 町中総出で探したが、見つからなかった。太郎は弟の失踪を詫びるために渡し船がやってくる岸まで赴いた。

 そこには渡し船が既にきていた。フードで顔を隠した大人が二人立っている。


 太郎は、重い足取りで渡し船に近づいた。

「申し訳ございません。弟が、次郎がいなくなりました…」

 

 太郎は罵倒を覚悟した。しかし、なにも起きなかった。恐る恐る顔を上げると、フードの大人が渡し船の上から手招きをしていた。

 太郎は手招きをされるがままに船に乗り込んだ。


 翌日、次郎は街の倉庫の陰で泣いているところを保護された。そして同じ頃、長男の太郎がいなくなっていることがわかった。


 ここからは対岸に渡った太郎の話である。

「なあ、俺はどこに運ばれているんだ?」

 漕ぎ手の大人は黙ったままである。太郎も諦めて故郷を見つめていた。

 漕ぎ続けていれば対岸にたどり着く、対岸には同じようにフードを着た大人が待っていた。

「おや、次郎ではないのですね」

「俺は太郎だ。あんたはしゃべれるのか?」

「そうですか、問題はないでしょう。ええ、私はしゃべれますよ。彼らは機密保持のために口を封じられていますが」

「機密・・・なんだって?まあいい、俺はなんのためにここまできたんだ?」

「さあ、私にもわかりません。私の仕事は遺伝子プールから抽出した因子を渡し船に乗せるところまでです。あなたにはあれに乗っていただきます」

 そこには、太郎が生まれてからこのかた眺め続けていた。柱が立っていた。柱には箱が付いており、太郎を誘うように口を開けていた。

「では、さようなら。いってらっしゃい」

 

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