7 侵入者

 その日の朝、エッグシティの市民は、センターマーケットビルの壁面に取り付けられた大画面を見上げていた。家庭でも職場でも、ローカルテレビ局やラジオ局の一斉放送、市役所のエリカ・ロッテンハイム市長の非常事態宣言をみんなで聞いていた。

「…そのような経過を経て、先日の市議会で満場一致で承認されました。我がエッグシティは、頻発する地震を受けて、非常事態宣言を発令します。二週間の準備期間の後、三週間目に19万人の市民全員でこのエッグシティから非難します。一般のお勤めの方だけではなく、児童、生徒、学生、主婦、高齢者や病人に至るまで問題なく非難ができるように詳細な計画がエッグシティのサイトにアップしてあります。また市役所や公民センターでも随時丁寧に説明を致します。また市内の7つの地域でエリア別の説明会を開きます。非難の移動手段や避難先での食料や生活物資は市からも全面的に補助が出ます…」

 市長の宣言の後、ザルツバーグ大佐も画面に現れ、軍が全面的に協力するので、みなさんも安心して避難してくださいと付け加えた。

 約7分間にわかりやすくまとめられた放送、驚く市民も多かったが、あれから回数を増してきた中規模の地震にやはりと納得する者も多かった。

 そのころ、がらんとした倉庫でテレビを囲む集団があった。広い敷地の廃工場、奥には動かなくなった生産ラインと本社ビルがそのままある。その奥のもともとの社員寮といくつかの倉庫が改造されて立てこもりの砦となっている。中庭には廃材で組まれはしごで登るようになっている5メートルほどの見張り台もある。この辺りには水やトイレシャワーも完備されていて、支援団体からの食料などの支援も続いている。だが、エリカが市長についてから何回か行われた交渉が実を結び、現在は、突然解雇された元社員たちは和解案に賛同するものが多く、かなり減り、それにつれて、彼らを支援する市民団体、ボランティアも半分以下にまで減った。だが俗に「アリ」と呼ばれていたあのクーパー爺さんのようなホームレスやここに住みついた低所得者層などは、まだ数十人残っていた。このエサに群がる「アリ」の中には街のゴロツキや犯罪者集団も一部含まれていて何かと問題になっていた。

 テレビに映るエリカは、日程のスケジュールの後に、ここ廃工場の避難についても避難先の保証と、災害後の保証をどちらもきちんと約束してくれた。それを見て、立てこもり組も心が揺らいでいた。エリカのやり方は、全体にいくら立退き料を出すという方式ではなく、一人一人の生活相談と支援というスタンスで個々の希望や能力により、自立を促す支援をするというやり方だ。

 まず、手に技術のある社員の新しい勤め先を世話したり、家族の生活費の支援をしたりすることから始め、市の中に転職支援窓口を用意したり、専門学校と提携し、技術を身につけさせたり、資格を取らせたりした。結果として、時間はかかるが集団の切り崩しに成功していた。しかも前市長が毛嫌いしていた「アリ」の人たちにも暖かく接したのだった。

 だが法外な賠償金を払わなければ立ち退かないなどの要求をする者や、過激な暴力に訴える者もいて解決にはまだ遠かった。

 放送の最後にエリカはこう言って締めくくった。

「明日の朝、私は説明会の1回目として、廃工場に一人で話し合いに行きます。北部商業地域の廃工場エリアの1回目の説明会を行います。よろしくお願いします」

 ちなみにネットにアップされた説明会のスケジュールには、明日の廃工場の説明会の概要や時間なども載っていたが、可能な限り、何度でもうかがいます。と付け加えてあった。

「なんだって、あの女市長が一人でやってくるって?!かなり本気みたいだな」

「どうせ、市議団とかスタッフとかに囲まれてやって来るに違いないんだ。なんたってここは危険地帯だからな」

 今までの現地での話し合いは、こちらが大人数で出向くと向こうも武装した若者の集団が出てきて、結局けが人が出て終わるということがほとんどだった。女一人で行けばひどいことはしないだろうというエリカの作戦だった。

 廃工場の倉庫でも翌日の市長の来訪に備えてさっそく話し合いが始まった。

 元社員のスミスさんはもともと腕のいい職人で、社員寮に住んでいたが、突然の解雇に加え、社員寮も追い出され、それがもとで家族も崩壊、今は一人でここに残っている。残り少ないボランティアのルーク爺さんがロジャーさんに話しかけた。

「どうじゃな、エリカ市長は一人で来るらしいし、話もよく聞いてくれるらしいぞ。どうかな、スミスさん」  

 妻とも別れ、成人した娘は行方知れず。それを金で解決しようとしてきた前市長のやり方に行き場のない怒りを持っていたスミスさんだったが、今度ばかりは少し考えが変わってきたようだ。あと数人まで減った元社員の仲間に声をかけてみようという気になっていた。だがそんな雰囲気を苦々しく思っていたグループもいた。ここを麻薬取引のいい場所だと住み着いた若者犯罪グループは、周りを巻き込んでこんなことを言い出した。

「いいか、確かに最近、地震は増えたが、実際にビルが倒れたか?、地割れが起こったか?、どうせ大したことはない。そのうち揺れは収まるさ。いいか、市の連中はこれをいいきっかけにして俺たちを追い出そうとしているんだ。一度ここから出て行ってみろ。ここは奴らに占領されて二度と戻れない、今までの俺たちの戦いはすべて無駄に終わっちまうんだ。あれっぽっちの賠償金で出ていかれるか?、それがわからないかい!」

さらに黙ってその話を聞いていた若者グループの一人がぶつぶつ呟いていた。

「…あの女市長は、きっと俺に復讐に来るんだ。優しいことを言って、あとで俺を捕まえてなぶり殺しにするんだ。きっとそうさ、でも俺は騙されない。きっとあいつを追い返す、逆にあいつを返り討ちにしてやる」

そして男は、荷物の中の乾電池や爆薬などの部品を取り出した。そう、このグループは麻薬だけではない、目的をとげるためには爆弾も使う過激なグループだったのだ。

「ダン、むやみにそれを使うとまた刑務所に逆戻りだぞ」

 仲間のロジャーがダンを止めた。ダンは爆弾事件で一度逮捕されていて、最近出てきたのだが、結局居場所がなくてこの廃工場に居座っているのだ。

「ダン、そんなに熱くなるな。女市長には何もできやしないって」

 だが、仲間の言葉に、ダンと呼ばれるその男は呟いた。

「ふん、わかりゃしないさ。なぜなら俺はあいつの夫を殺した男だからな…」

 そう、このチンピラこそ、ホテルのパーティのサプライズバースデーの大きなケーキを無理やり蹴飛ばしたあの男だ。中に隠れていた息子を助けようと追いかけ、そのまま階段を転げ落ちて死んでしまったエリカの夫の前市長を死に至らしめた、ダン・ホランドだ。結局頼まれて事故を起こしただけだと不起訴になり、その後はいろいろ事件を起こした挙句、今は悪い仲間と一緒にこの廃工場に身を潜めていたのだ。

そして明日、間違いなくエリカはここにやってくる…。

「あなた、オズワルド、ちょっといらして!」

 そのころ男爵邸では片手にジョーロをもったルナサテリア夫人が、オズワルドテンペスト男爵を呼んでいた。

「おお、かわいそうに、どうしたというのだ、マイハニー」

「ああ、愛するオズワルド、聞いてちょうだい!」

 なんとあの宇宙植物巨大ならんのレイチェルが、大好物のステーキをひと口も食べなかったというのだ。男爵は飼育コンピュータの記録をすぐにスマホで確認した。

「ううむ、温度、湿度、最適の水分量、光合成のための日光の量も適正範囲内だ。ううむ、植木鉢の土壌の状態も申し分ない…。ナマズカワウソのスパーキーがちょっかいを出したわけでもなさそうだな、彼はこのリビングに今日は来ていない…」

 だが男爵はすぐに問題点を見つけ出した。宇宙植物レイチェルの大事にしているトリホネナナフシのクックとロビンが二匹とも野ばらの陰に隠れて、気づかれないように全く動かなくなっているのだ。

「なるほど…そういうわけか…パーカー、アルパ博士をちょっと呼んできてくれ」

 やがてパーカーに連れられてアルパ博士がやってくる。二人とも背が高い。

「…というわけでね、レイチェルは自分のペットのトリホネナナフシが突然隠れて動かなくなってしまったので、心配で食が進まないのだよ」

「承知いたしました。私のテレパシー能力でナナフシさんたちの心を探りましょう」

 そう言うとアルパ博士は、その長い首をトリホネナナフシのほうに伸ばしその優しい大きな瞳でいつくしむように見つめた。

「ぶぅっふぉっふぉ、なるほどそう言うわけか、とても怖いんだね…どれどれ…」

 するとアルパ博士は、男爵を近くに呼び、二階まで吹き抜けの高い天井を見上げた。

「このセキュリティの高い男爵邸に侵入者がいます。自動開閉の天窓が開いたところで忍び込んだようです…」

 すると男爵は天窓のほうに向かって叫んだ。

「おおい、君は誰かね、トリホネナナフシがとてもおびえているんだ」

 すると天窓のそばから、何かが姿を現した。40センチ以上ある蜂に似た昆虫だった。そしてよく通る声でおごそかにしゃべった。

「我は虫の王なり。近いうちにここで大変な戦いが起こる。そのことについてとても大事な使命を果たしに来たのだ。トリホネナナフシには、早くここから逃げないと命を失う可能性があると伝えたのだ。だから彼らは不安になったのだろう。すまぬことをした。すぐに彼らをもとの部屋に戻してやれば治るだろう。お前たちには決して危害は加えない。私はしばらくこの屋敷で戦いに備えるであろう」

「わかった、いくらでも屋敷を使ってくれ。大きな虫を見ても、気にしないようにみんなにも言っておこう。一つだけ教えてくれ、その戦いというのは、大地が飛び立つことと関係があるのかい」

 すると虫はすぐに答えた。

「関係はあるが、別のことだ。それだけしか今は言えない。では、失礼」

 虫はまた物陰に姿を消した。

 さっそく男爵がアルパ博士に尋ねた。

「アルパ博士、あれが、古代の予言にあった虫の王なのだろうか?!」

「確証は持てないが、たぶんそうでしょう。彼らオルガメリバはこの辺りの銀河宇宙で飛びぬけて進化した昆虫です。だが彼らは我々といろいろな点で異なっていて、考えや行動を理解するのは難しいのだよ」

「なんというか、彼らには表情のようなものがある。非常に高度に進化している。あの虫はたくさんいるのですか?いいや虫の王というのだからあの一匹が王なのでしょうか…?」

 するとアルパ博士は指を組み、口ひげを引っ張りながら答えた。

「ブォッフォオッフォオッフォオ、そうじゃのう、何から話そうか。彼らオルガメリバは、彼らの惑星に行けばたくさんおるぞ。数万人ずつの都市国家を作り、その都市国家が連合して惑星国家を作っておる高等な生物じゃ。なんとあの虫は前の宇宙戦争の時に攻撃してきたパズマの文明を逆に吸収し、独自の空間航法を作り出し、遠い他の惑星にも移動できるようになったすごい虫なのだ。だが一つの都市国家の国民は、すべてその都市国家の女王の子どもなのじゃよ。彼らは女王と同じ遺伝子と権利を持っているが、働く職種によって、形態や運動能力や専門性、知能などが大きく異なっている。だが共通しているのは偉大なる母である女王への敬愛とすばらしい幸福感だ。女王のために尽くすことでたくさんの幸福物質が沸き上がり、国民が一体となって都市国家の繁栄のために突き進んでいくのだ。女王はもっと大きくずっと賢く、寿命も千年と言われている。だが彼らは全体で一匹の生物であり、共通意識とも言うべき一つの意識を共有している。さっき見たのは働き蜂だが、一匹でも王のような尊厳を受け継いでいる。そして彼らはあらゆる能力を高度に駆使して他の昆虫たちを従え、共生関係を結び、他の生物とも利害関係を結んで共生しながら、美しい環境を維持しているのだ。彼らはたとえ一匹でも、他の昆虫や生物を操ることができる。多分この地球でもたくさんのミツバチたちと共生関係を結び、大好きな蜂蜜を集めさせたりしているはずじゃ。だから彼らは一匹でも虫の王と呼ばれているのじゃ」

 彼らは言葉だけではなく、いろいろな音やしぐさ、匂いなどのサインでいろいろな生物とコミュニケーションをとる。そのために顔の表情も進化したらしい。ただ高度な社会生活を持ちながら全体で一つの戦略的組織的行動をとるため、私たちとはかなり異なる意識を持っているのだ。

 男爵はかなり長い間考えて、虫の王とも共に生きることを考え、大変な戦いの終わるまではレイチェルやクックとロビンはもとの植物園に戻すことにした。ルナサテリア夫人が少ししてから植物園に行くと、トリホネナナフシのクックとロビンは、その不気味な体で活発に動き回り、レイチェルもステーキをおいしそうに食べたのだという。

「さすがあなたね、おかげでレイチェルもすっかり元気になってね、お礼に、ランの卵を三つくれたわ」

「え、それは本当かい?そりゃすばらしい、今度お客様が来たらお出ししようか。それとも二人で食べるかい?」

「うふふ、楽しみだわ」

 ほほ笑むルナサテリア。実は宇宙植物のレイチェルは、時々肉を飲み込んではたんぱく質やミネラルを根に蓄え、栄養豊富で疲労回復効果も抜群、しかも極上のおいしさを持つランの卵と呼ばれる卵状の果実を土の中に作るのだ。そして共生したい生物にお礼として根が動いて渡すのだ。

 採れたても新鮮でジューシーな美味しさがあるのだが、数か月熟成することでふくよかで柔らかな食感に変わり、たんぱく質も分解されてアミノ酸が増えて熟成されたおいしさになるのだ。

「そういうわけで、我が家のリビングの天井に、とても賢く、しかも礼儀正しい、オルガメリバという虫の王がしばらくの間住んでいますから、よろしくね」

「はーい」

 家族がそろったところで男爵がみんなに説明した。ルナサテリアはもちろんグリフィスもホリアも、バーゼルさんもチャールズも、他のみんなも誰も怖がったり不気味に思う者はいなかった。この家ではそんなことが当たり前なのだから。

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