8 アクシデント
「おはようございます。ほらリチャード、食いしん坊のお爺さんたちがもう来てるわよ」
「あ、本当だ。おはようございます」
「やあ、リチャード!」
「おはよう、今日も元気だね」
今日はエッグベースに久しぶりにみんなが揃った。マスターがニコニコして言った。
「リチャードが好きなものを聞いといたから今日は特別メニューだよ」
なんとハックのバーガー用クロワッサンの中に好きなものを挟み込んで食べるクロワバーガーだ。パイ生地のサクサク食感がいろんな食材をおいしくするという。それに焼きコーンポタージュスープ、3種類のチーズのサラダがついてくる。
「うわ、おいしそうなチーズ、僕、チーズ大好き!」
サラダにはチーズドレッシングとゴロリとしたチーズが盛り付けてある。そしてチーズサラダを食べるうちにクロワバーガーが出てくる。リチャードはデミグラスハンバーグをつめたクロワバーガー。
「うわ、しっとりしたミートパイみたいだ。おいしー!」
サムはチーズとチリソースのあら挽肉を入れたクロワバーガー。
「ハハ、サク、トロ、ピリリだ。ガーリックとスパイスが効いてるねえ。う、うまい」
エリカは、サワークリームのアボカドサラダとスモークサーモンのクロワバーガー。
「ウフフ、サクサクしてフレッシュ、アボカドとサーモンがとろけるわ」
テリーは、バターのスパイスソースのサイコロステーキのクロワバーガーだ。
「いや、肉は柔らかいし、バターソースがパイ生地にしみこんでたまらんねえ」
雑穀のアマランサスでとろみを加えたコーンスープは、コーンに焼き目を入れてあってとても香ばしい。全体に健康志向なメニューでエリカもうれしいラインナップだ。サムもテリーもバーガーやスープをお替り、まあよく食べる食べる。
「さすがだね、このお爺さんたちと食べると本当に気持ちがいいや」
やがて楽しく食べ終わるが、今日はいつもと違う。サムはテリーを乗せてなんと市庁舎へ、エリカもリチャードを学校へ送るといつものリムジンで市庁舎に向かった。
「じゃあな、サム。これから俺も久しぶりの運転だ。せいぜい頑張るよ」
サムと別れて市庁舎の玄関に入っていくテリー、受付に身分証を見せると事務室の横の個室に通される。そこで少しの間待つとやがてアタッシュケースを一つだけ持ったエリカがスーツ姿をピシッと決めてやってくる。
「じゃあ、お願いするわ」
「うん、では、ちょっといいかな。これを上着の下に着れるかな」
テリーは防弾チョッキを取りだすと、エリカに渡した。
「そうね、男性用の標準サイズだからなんとかなりそうね。私のサイズがちょっと大き目だからよかったわ」
もう一度上着を着て、外から見えないように整えると、エリカに動かないように言ってテリーは胸のポケットに超小型の無線機を取り付けた。
「バッテリーは8時間ぐらい持つかな、建物の状態にもよるが半径300メートルで良好な音質で通信ができる。このイアリングから僕の声が聞こえる。今回はそちらの音はオープンモードにしておくから、君の周りの音はだいたい拾ってくれるはずだ」
「じゃあ、私が危なそうだったら、助けに来てね」
「ああ、なるべく30秒以内に駆け付けるから」
「ありがとう。とっても心強いわ」
そう言ってエリカはテリーの手をぎゅっと握りしめた。これから何かを成し遂げようとするエリカの気高い美しさがテリーの胸に刺さった。
「じゃあ、運転手さん、お願いね」
そう、一人で廃工場に行く決意をしたエリカは、運転手兼ボディガードとしてテリーを雇ったのだ。テリーは市の公用車にエリカと乗るとエンジンをかけた。
「サムのおかげで道はばっちり覚えたよ。行くぞ」
黒い公用車はゆっくりと走り始めたのだった。
やがて黒の公用車は廃工場の敷地へと滑り込む。
「俺だ、ロジャーだ。今市長の公用車が敷地内に入った。うん、運転手と二人だけみたいだな」
あの廃材のやぐらの上から見張り役の若者、ロジャーが、すぐに携帯で倉庫に市長の到着を告げた。
「今日エリカは、倉庫で話し合いって言ってたよな」
テリーは倉庫の入り口に近い場所に車を止めた。すぐに何人かのボランティアと若者が車に近づいてくる。
「じゃあ、行ってくるね」
エリカは一瞬テリーの肩に手を置いて、そして一人でアタッシュケースを持って出て行った。
「こちらロジャーだ。おいおい、市長さん、本当に一人で来たぞ」
「こちらファンク。ハハハ、あの女市長はアホだな。本当に一人で来るとはね。じゃあ、失礼のないように倉庫にお連れしよう」
だがそんなファンクの後ろ姿をじっと見ている若者が複雑な顔で言い放った。
「誰も来たくない危険なところだから、他に来る奴がいなかったんじゃねえか。でもあいつは一人でもここに来たかったのさ。復讐のためにね…」
やがてエリカの姿が倉庫の中に消えていった。入れっぱなしにした通信機が倉庫の中の音を拾う。だまって耳を傾けるテリー。中の様子が手に取るように聴こえてくる。
「今日の参加人数は41人ですか、プリントは十分足りるわね」
今のところはみんな静かにしている。プリントをエリカが一枚ずつ、声掛けしながら手渡ししているようだ…。
「すみません、この机、使ってもよろしいかしら?」
「ええ、いいですよ」
中では市民ボランティアの人たちがサポートしてくれているようだ。アタッシュケースの中には二つ折りにしたパネルが10枚ほど入っていて、それを机の上で広げて説明するらしい。パネルで要点を押さえて、プリントで詳細が分かるようになっているようだ。大会場でやるときは、プロジェクターとスクリーン、プレゼンテーションソフトで派手にやるそうだが、ここでは自分一人ですべてをやらなければならない、大掛かりな機材は一人ではとても運べない。
「それでは説明会を始めます…」
さっそく地震のグラフや三週間以内に移動をしなければいけない理由などが説明される。ぽつぽつと質問や、ヤジのようなものも出てくる。でもそのたびにエリカは丁寧に話をきいてから資料やデータできちんと納得させていくやり方だ。
だが4人ほどの若者が挑発してくる。どうも、あの、ダン・ホランドのグループらしい。
「ようよう、市長さんよう、この街の地下、俺たちのいる地面の下に巨大な何かが埋まっているなんて、そんな馬鹿な話を誰が信じるかっての!」
「そうだ、そうだ。本当なら見せてみろよ」
そんなときもエリカは、全く動ぜずよく話を聞いてから対応する。
「ええっと、B3のパネル…どうぞ、これを見てください。ザルツバーグ大佐の指示で軍が撮った写真です…」
「おおっ!!」
例の700メートルの謎の人工物は、さすがにすごい説得力だ。みんな黙ってしまう。
そんなペースで、避難の日程、避難方法、避難先の生活などの説明が一通り終わる。早めに非難する人や、手続きがわからない人は個別に相談ダイアルにかけてほしいと説明する。
だが、最後に予想通りの質問ヤジが飛び始める。あの4人の若者グループの大柄なファンクという男だ。
「いいかい、市長さん、ここのエリアは他とは違うってことはわかってるよな。突然の解雇、住む場所を追われて無理無理ここに立てこもった俺たちだ。それなりの賠償金がもらえなければ出ていくつもりはない。それはもう何年も話し合ってきたことだ。そこんところはどうなってるんだよ、え、市長さんよう!」
さらにロジャーやロイというグループの仲間がけしかける。
「前の市長みたいに、正社員や非正規雇用の社員、アルバイト、その他で賠償金の額を変えるとか言い出すんじゃないだろうな。ええ、どうなんだよ」
「俺たちはその他だけど、みんなと一緒に戦ってきた仲間なんだ、ただじゃ出ていかないぜ!」
するとエリカは市の災害対策予算のパネルを広げながらこう言った。
「市の予算は御覧の通り今の段階でマイナスです。短期間に19万人を安全に移動させるには膨大なお金が必要なんです。私たちは市民の移動と避難先の生活の補助はお約束します。あなたたちも保証します。そこにはお金も労力もかけなければなりません。でも見てください、もうどこにも余分なお金はありません。話し合う時間もありません。もたもたしていると全員が命を落とすことになります。ですから今回賠償金は一切出すことはできません」
その言葉を聞くとみんながざわめきだす。
「なんだと、そりゃどういうことだ!」
「ですから賠償金は、今は一切出せません。命を第一に考えてください」
「一切出せない?お話にもなんにもなりゃしない!」
さすがにあちこちから罵声が降りかかってくる。だがエリカは毅然として訴えた。
「とにかく賠償金をもらいたい人は、避難が終わってからにしてください。ここから誰一人も死者やけが人を出さないことを第一に考えてください!」
命を第一に考える。エリカの説明に心を動かされた者も少なくなかったが、何人かはプリントを丸めて投げつけたり、空き瓶を投げつけたりした。車の中でそれを聞いていたテリーは、さすがに車を降りてすぐに駆け付ける体勢をとった。
「では一回目の説明会を終わります。また必要とあらば、何度でも参ります」
エリカはそう言うと、パネルやプリントを片付け、挨拶をして歩き出した。背中に飛んでくる罵声やプリント。だが倉庫を出ていくときにあのスミスさんが近づいてきた。
「市長さんありがとう。ここから無事避難させてくれるんだね」
「はい、お約束しますよ」
「このままここで頑張っていたら死ぬかもしれないってよくわかったよ…。あんたを信じることにするよ。わからなかったら、ここに電話すればいいんだな」
「はい、それが相談ダイアルの番号です。お待ちしています」
エリカは最後にちょっとほほ笑んで倉庫を出て行った。だがその時、後ろから声がした。
「賠償金を一切出さないだと?、冗談じゃねえ、ふざけるな!」
あのダン・ホランドのグループが怒りを爆発させていた。
「痛っ」
エリカの背中に空き瓶がぶつかった。思わず後ろを振り返るエリカ。
「どうせ俺に仕返しに来たんだろ、二度と来るな!」
あの声は確か?だが今度は頭に割れたブロックのかけらが飛んできた。
「キャー!」
避けたつもりだったが、欠片がかすり、バランスを失って倒れこむエリカ。だがすぐに駆け付けたテリーがエリカを抱え上げる。額から赤い血がすーっと流れていく。
「誰だ、なんてことするんだ!」
テリーは、すぐにハンカチで止血をしながらエリカとアタッシュケースを車に運んだ。
「すぐに市長を市民病院に運ぶ。みんなどいてくれ」
エリカは、暖かいものが額を流れていくのを感じながら、いつの間にか意識を失っていた…。
気が付くと病室でエリカは横になっていた。テリーが枕元に付き添っていた。
なぜだろう?光の古代文字のせいだろうか。ベッドで休むエリカは一段と美しかった。その時瞼が動いた。目覚めたようだった。
「テリー…私…」
「額の皮膚が切れただけで済んだそうだ。出血も止まったし、縫う必要もなかったってさ。絆創膏が貼ってあるだろう。あと2、3時間程度休んだら夕方前には帰れるってドクターが言ってたよ。とりあえずはよかった」
「そう、じゃあ、リチャードのお迎えは行けそうね」
「それはサムが引き受けてくれたよ。君は自宅まで俺が送っていくから…」
やがてリチャードが家に着いたという連絡が入り、エリカの傷の経過もよさそうだと診断が出て、エリカはテリーに車で送られていった。いつもの並木道を通り、だんだん自宅に近づいてくる。後部座席にいるエリカが突然話し出した。
「先生がおっしゃってたわ、応急処置が完ぺきだったから軽くて済んだって。ありがとう、今日は本当にありがとう。ねえ、テリー、私ね、お願いがあるの」
「お願い?、いいよなんでも言ってごらん」
するとエリカは、運転しているテリーの後姿を見つめて言った。
「ねえ、テリー、いろんなことがすべて終わったら、私にプロポーズしてくれる?必ずイエスって答えるから」
その言葉はなんとも唐突で、しかも顔も見えなかったので、テリーは最初、冗談で返そうと思った。だが、その声がとても真剣だったので、テリーはうなずいた。
「ああ、わかった。きっとそうするから」
エリカはテリーの肩にそっと手を伸ばして答えた。
「よかったあ。きっとよ、約束だからね」
そして車は自宅の庭へと滑り込んだ。心配したリチャードが出てくるのが見えた…。
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