2 バースデーケーキの惨劇
そして二日後、水曜日のランチにテリーはドライブインのドアを開けた。マスターがニコッと笑った。
「そこの窓側の明るい廊下を入ると、常連用の個室がある。彼女はそこで待っているぞ」
「あ、どうもすいません。ありがとうございます」
テリーがそういうと、マスターは付け加えた。
「ランチのメニューは、ロブスターパスタセットだ、すでにオーダーが君の分も二人分入っている」
「へえ、おいしそうですね」
「一見素朴な健康ランチに見えるが、ガーリックや健康食材をたっぷり入れた、ガチガチのスタミナ料理だ。エリカがここぞという時に食べる勝負料理の一つだ。負けるなよ…」
いったい今日、何のために呼び出されたのかますます分からなくなる。明るい廊下にはいつも花が飾ってあるのだが、今日は鮮やかな赤のバラが輝いていた。個室に入ると、きちっとスーツで固めたエリカが待っていた。
「ハーイ、テリー、来てくれてうれしいわ」
エリカはあのスカルパールのブレスレッドも、光の古代文字のペンダントも、両方していた。今日はいつもよりさらに美しく見えたが、緊張もしているようだった。
エリカがなんとなく要件を言い出しにくそうにして、二人で見つめ合っていると、マスターが、二人のランチを運んできた。
「さあ、今日のオーダー、ロブスターパスタセットだ。食後に好きな飲み物を出すから、言ってくれよ。そっちのドアの向こうがすぐ厨房だ」
食後の血糖値の上がりにくいデュラムセモリナ粉のパスタと、低脂肪で高たんぱくのロブスターの、女性好みの健康的な取り合わせだ。ニンニクで香りづけをしたオリーブオイルにアンチョビを入れてよく炒めつぶし、そこにゆでたスパゲティーを入れてさっと炒める。皿に盛ったら、色付けのイタリアンパセリを振っただけの素朴なパスタがアンチョビパスタだ。
そこに、半分に切ったロブスターの肉にとろりとした野菜ソースがかけてある皿ががついてくる。サンダースのロブスター缶詰なので安価だし、殻がないので食べやすい。パスタにもガーリック、オリーブオイルだけでなく、DHA、EPAがたっぷりのイワシが入っているし、さらにすごいのはロブスターにかけてある野菜ソースだ。ニンニク、ショウガ、玉ねぎ、ニンジン、ミニトマト、モロヘイヤなどの野菜オレンジで柔らかくなるまで加熱し、栄養満点の練りごま、ナッツペースト、豆乳などを加えてミキサーでトロトロにしたもので、さらにバター炒めしたあのハイパーマッシュルームの薄切りがソースの中にたっぷり入っている。そしてこの体に効きそうなソースがこれでもかとロブスターにかけてあるのだ。
「うわあ、このアンチョビパスタシンプルだけど、ガーリック味がうまい、いくらでも食べられそうだ!」
「このロブスターもあっさり塩味だけど、野菜ソースがガーリックも効いていてすごいコク。キノコも最高。私いつもこれを食べると、しばらく体の調子がいいの」
光の古代文字のせいか、ますます輝いて見えるエリカが、さらに生き生きしてきた。
そして食後に白ブドウジュースに、ストロベリージュースを入れて炭酸で割ったロゼスパークをマスターに頼んだ。細長いグラスに泡がゆっくり上っていくのを目で追いながら、甘酸っぱいけれど深いコクを味わった。
「それで、今日の要件なんだけど…」
するとエリカは光の古代文字が刻まれたペンダントを手に取りながら話し出した。
「なぜ私がこのペンダントをしているのか、それをまず、話さなければいけないの」
「わかった」
それからエリカの長い話が始まった。エリカは地元の大学時代、前の夫だったフレデリック・ロッテンハイムと知り合い、卒業後すぐに結婚、息子のリチャードが生まれる。
「州の議員だった父親の関係で、フレッドはすぐに市議会議員になり、このエッグシティをもっと良くしようと若い情熱に燃えていたわ。でも今思えばあの頃のフレッドは、独りよがりで、自分勝手なところも目に付いた。でも、あの人に出会ってから変わり始めた…」
それはゼリーボーンズやミステリーランドでこの市の有力者でありながら、自然保護運動も盛んに行っていたテンペスト男爵だった。
「テンペスト男爵は風変りだけどすごい物知りで博学、とてもやさしくて威張らないけど、自然保護には本当に真剣に取り組んでいた。それでフレッドも、その当時問題になっていた北東の原生林を自然保護区にする問題に取り組み始めたの」
市議会に自然保護区の提案が通り、法律が整えられるまで、彼は男爵と一緒に原生林を歩き回ったり、先住民の部落に通ったり、精力的に活動していたわ。そして自然保護区に制定されると、自然保護官や自然ガイドの誠意ども整備されて、自然が保護されながら、かえって観光客も増え、先住民も喜んで以前よりずっと協力的になった。
「その時に先住民の部落に伝わる神の言葉を記したペンダントをもらったの。それがこのペンダントなの。そしてこのペンダントを身に着けるようになってから、フレッドは本当に大きく変わったわ」
それまではまだ自己中心的なところが目に付いたフレッドだったが、エリカにも優しくなり、周囲の人への心遣いも暖かくなり、何より、本当にエッグシティの将来をまじめに考えるようになったのだという。彼は州の議員を目指すことをやめ、エッグシティの市長に立候補し、市政の改革にも真剣に取り組んだのだ。男爵はゼリーボーンズやミステリーランドなどの観光を推し進めながら、自然との共存、バランスを考えた市の発展を望んでいた。だからフレッドも、観光客を増やしながら、下水道の整備やごみ問題などにも積極的に取り組んでいた。でも市の有力者の中には高級別荘地の開発やリゾートホテルの招致などをもっと積極的にやろうという開発積極派も多く、舵取りは困難を極めたのだった。
そのさなか、フレッドは開発派のライバルを僅差で破り市長に当選、若く情熱的な市長はますます市民の声に耳を傾け、バランスを考えたエッグシティづくりに尽力し、実績を上げていった。そんな時、事件が起こった。フレデリック・ロッテンハイム、34才の誕生日のことだった。
その日、チャリティーのイベントを兼ねてミステリーランドのオフィシャルホテルでパーティーが開かれた。チャリティーイベントの式典が終わり、生活困窮者のための基金が修道院の活動などに役立てられると発表された。その後、キャスター付きの台に載せられて、9階のパーティー会場に大きなバースデーケーキが運び込まれた。
「でもね、そのケーキは市のスタッフたちによる市長へのサプライズだったんだけど、イベントと一緒にバースデーをやるなんてとんでもないと眉をひそめた反市長派の人たちも大勢いたんだわ」
反市長派の誰が命令したのかはわからない。町のチンピラのような若者たちがいつの間にかパーティー会場に紛れ込んでいた。
「そのときリチャードはまだ6才になったばかり、大好きなパパにおめでとうを言いたいっていうから、お誕生日おめでとう、パパという大きな文字の書かれたプレートに紐をつけてリチャードの首にかけてあげたの。これで会場のどこかから飛び出せば、パパは驚いて大喜びだって、私が用意してあげたの」
そういいながらエリカはその大きな瞳を潤ませて、声も切れ切れになってきた。やがてバースデーサプライズが行われ、フレッド市長の前に大きなバースデーケーキが運ばれる。流れる誕生日おめでとうの歌声。さて、どこからリチャードが飛び出すか、エリカはワクワクしながら市長の周りを見渡していたという。その時だった。突然誰かがケーキの前に爆竹を投げ込んだ。パンパパーンパチパチパチパチ!、
「なんだ、何事だ?!」
そのとたん、人ごみに紛れていたチンピラの一人が、キャスター付きの台ごとバースデーケーキを蹴っ飛ばしたのだ。会場の隅に向かって、すごいスピードで突っ走るケーキ台。このままではどこかに激突してバラバラだ!だがそのとき、フレッド市長は、とんでもない事実に気付く。走り出した台の中から悲鳴が聞こえる、不安そうな顔がちらりと除く。ケーキの台の中に隠れ、いま飛び出そうとしていたリチャードではないか?!。
「誰か、止めて!」
エリカが叫んだ。なんと突っ走る台の先のドアが偶然開き、このままでは部屋の外に飛び出してしまう。しかもその外側は大きな下りの階段だ!
バースデーケーキを台無しにと企てたたくらみは思わぬ惨劇を引き起こした。
「リチャード!」
死に物狂いで追いかけるフレッド、誰よりも早くケーキに追いついたときは、もう台は階段から落ちかけていた。
ドカーン、グシャ、ガタガタ、カラカラカラ…。
「キャー!」
大きな音が響いた。最後の一駿でフレッドは、リチャードを引っ張りだすように飛びついた、そのままフレッドは階段を転げ落ちた。
「こ、子どもは助かったぞ!」
誰かが叫ぶのが聞こえた。息子のリチャードは階段の上に転がっていた。お誕生日おめでとうのプレートが首にかかっていた。転げ落ちたフレッドは頭を強く打ってそのまま意識を失い、救急車で病院に運び込まれた。台を蹴飛ばしたチンピラ、ダン・ホランドは捕まったが、ネットでいい儲け話があると誘われ、ケーキを倒そうとしただけだと重い罪にはならなかった。そして若者を雇ったという黒幕は、証拠もなく、結局うやむやになった。
夜中病室で看病に当たっていたエリカにフレッドは突然目を覚まして訊いた。
「…リチャードは、リチャードはどうなった」
「あなた…安心して、ほとんどケガもなかった。あなたのおかげよ。今はお部屋で眠っているわ」
「そうか、ならばよかった。いいかい、誰も恨んではいけない…恨みからは何も生まれない…」
そう言ってフレッドはやさしく笑った。
「そしてフレッドはこのペンダントを私に託して、自分が元気になるまで君が持っていてくれと言ったの、そして、そのまま帰らぬ人となった…」
エリカはそっとテリーを見つめた。
「あの人は自分の命を顧みず、誰も恨まず、私にこれを託した。だから私も誰かの役に立とうとこのペンダントをつけた、そして遺志を引き継ぎ、市長選に打って出て、そして今年、市長になった…」
ミュリエルは光の古代文字を長く身に着けていると、自分のことより他人の幸せを願うようになり、厳しいけれどそれを実践することで神の波動を受け取れるようになると言っていた。自分のことより人のために生きるということは、かくも厳しいものなのか。
テリーは、エリカの背負ったものの重さに圧倒されて言葉もなかった。
それから、エリカは昨日一日、市民を全員脱出させるために動き回ったが、まずそんな大災害が起こるという決定的な証拠もなく、詳しく話せばさらに信じてもらえそうにもなく、ただプレッシャーだけがのしかかってくるのだと、苦しい胸の内を打ち明けた。
「市の行政内部のスタッフや市議会議員でさえ、一人も動いてくれない。もう、張り詰めた糸が一本切れてしまったら、もう倒れてしまいそうで…どうしたらいいのか」
初めて聞いたエリカの弱音だった。だがテリーはまったく動ずることなく、一枚の文書を取り出した。
「ここから先は他言無用です。これは私を送り出した組織が、政府に働きかけ、軍部との交渉の結果をまとめたレポートです」
そこには、長い交渉の結果、あの軍の大物ザルツバーグ大佐が、市民の避難のための全面協力をするという趣旨が書かれていた。
「これはいったい…」
「今まで地下の工事現場をあれほど厳重に警備していた軍が、地下の異常振動や地震を確認し、避難のために動き出したのだ。軍が動いたのを見れば、まわりも避難することを納得してくれるだろう。あとは市長の腕次第さ」
エリカの表情が一瞬で明るくなった。希望の灯がともったようだ。しかし、テリーに対するいろいろな疑問も湧き出した。
「テリー、あなたはいったい誰なの、どうしてこんなことができるの…」
テリーもそこで覚悟を決めた。
「ごめん、今まで嘘を言っていた。自分は…、自分は、本当は軍の不穏な動きを探るためにエッグシティに潜入調査していた諜報部員なんだ。すまなかった…でも…」
テリーとエリカはお互い何も言えなくてしばらく見つめあっていた。
「ごめんなさい、でも本当のことがわかって、やっと納得できた…。ありがとう、これでなんとか動き出せる」
しかし安心したのか、エリカの本音ものぞいた。
「…あなたに会って、このレポートを見せてもらってやっと前向きになってきた。もう、おととい、昨日と、誰に何を言っても何も変わらないし、どうやって動かしていけばいいのか見通しも全く立たなかった。予言をする少女が災害のビジョンを見たとか、その日にちを未来人が教えてくれたなんて、言えるはずもないし…。自分の無力さに打ちひしがれて、小娘のように泣いていたの。ここで無理に動くと、あの廃工場の占拠グループをかえって刺激して問題がこじれる、やめたほうがいいと進言する者もいたわ。本当は最初に電話したのは、辛くて苦しくてあなたに胸の内を聞いてほしかっただけなのかもしれない…それから…」
そのときドアをノックする音が聞こえた。顔を上げると、マスターが、サービスのコーヒーをいれて持ってきてくれた。
テリーは軍部との交渉や市長やスタッフたちとの会談のおぜん立てなどを申し出た。また何かあったらすぐに連絡を取り合う約束をして終わることにした。個室から出る前に、エリカが何かを言おうとして振り向いた。…口元が震えていた…、でも結局何も言わなかった。言えなかった。テリーはエリカの肩に手をかけて微笑んで、一緒に個室を出た。
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