第1話.転生


「――はっ!」 


 ベッドから勢いよく体を起こした俺は、額の汗を腕で拭きとった。

 今まで長い間息を止めていたような苦しさを感じながら、俺はゆっくりとベッドから降りて立ち上がる。

 そして――気が付いた。


「どこだ……ここ……」


 間違いなく俺の部屋だった。だが、ベッドのすぐ横にある窓を見てみると、そこには真っ白な空間がただただ広がっているだけである。


「何が起きてるんだよ……」


 もちろん俺の部屋から見える景色はこんな殺風景な景色なんかじゃない。家が見え、ビルが見え、行き交う道路が目に入る筈だ。


 非現実な現象を目にしながらも、どこか踊る心を抑えて俺は部屋の扉を開けてみた。


 そこは、白の世界だった。なんの表現もできない。リビングにつながるはずのその扉は何もない殺風景な白の空間へと繋がるようになっていたのだ。

 そこで俺は思い出す。目を覚ます前のあの出来事を。あの最後の言葉を。


「ならここは……天国……いや地獄か……?」

『残念ながら2つとも外れだ』


 部屋ではなく何もない外にいるので反響するはずがないのだが、不思議と声は反響したかのように響いてきた。


「誰ですか?」


 試しに何もない空間に話しかけてみる。意外にも返事はすぐに返ってきた。


『あぁー、オレ様はアンタらの世界を作った神様だ。ここに連れてきたのもオレ様で――あぁーその、この状態だと話しにくいからちょっと待て』


 マイクに布が擦れた時のような音が響いて、暫く静かになる。少し待ってみても何も反応がなかったので、俺はこの声が言った『神様』という言葉について考えることにした。

 といっても神様について知ってることなんて殆どないので、考えても無駄だったが。わかるのは、この声からして20代のお兄さんってところくらいか。


「あぁ悪い悪い。オレ様は神様だ。アンタが想像してるような美男美女のイケメン神じゃないけどな」


 そう言って軽く鼻で笑う『神様』の声は反響することなく、俺の真後ろから聞こえてきた。俺は心臓が跳ね上がりながらも振り向くと、光る球体が1つ、ぽつりと立って……浮いて……浮かんでいた。

 それは俺のすぐ目の前まで迫ると、もじもじ照れるようにゆっくり左右に揺れた。


「そんなに見ないでくれよ。オレ様はアンタが住む世界を作った神だが、アンタらとは違って姿という概念があんまり無い。この光の球体も仮の姿。仮といってもオレ様はオレ様だ。そんなに見られたら照れる」


「……は?」

「冗談だ。真に受けんなよブラザー、、、、


 いや違う。俺が聞き返したのは照れる部分ではない。まず光る球体が喋っている事や自立して動き回っていることに理解が追い付かなかったからだ。


 それにしても、何故そんな神様が俺をここに呼んだのだろうか。呼ばれるような事はした事がない……筈なのに。


「オレ様はアンタが気に入ったんだ。ブラザーに幸せになってほしいからここに呼んだ。返答としてはこれで納得できるか?」


 俺の考えを読み取ったとしか思えない返答を光がしてくる。それに俺が反応できないで居ると、光の方から俺へと近付いてきた。


「なぁ、アンタはどうしたい? ここに呼び出したのは紛れもなくオレ様だがアンタの意見も尊重したい。このまま素直に死を受け入れるか? それともまだ生きたいか?」


 ふよふよと俺の周りを飛び回る光の球。からかわれているのか、たまに俺の頭の上に着陸したり、服の中に入ってきたりとやりたい放題だ。


 そんな状態でも、俺は思考を巡らせる。


 生きるか死ぬか。


 そりゃ断然生きていたほうが良いだろう。だが、地球での生活はとてもだが幸福な生活とは言えなかった。自分がやりたい事をできず、周りに合わせる生活。それでも拒否され、居場所が無くなる。そんなのはもううんざりだ。


「……なるほど。つまり、もう地球には居たくないんだな? オレ様が創った地球にはもう行きたくないと」


 ……そうか、そういう事になるのか。ゲーム製作者の目の前で面白くないと言ってしまったような感じなのか。


「地球は楽しかった」

「いやいや、別にいい。何もオレ様が創っている世界はそこだけじゃないんだ。それよりも、だ。アンタの人生を見せて貰ったが、なかなかに酷い人生を送っていたようだな」


 光は俺の目の前で止まると、コツリとおでこに当たってくる。


「幼稚園、小学校、中学校、高校どれをとってもそうだ。生徒にも先生にも親にも見放され、就職試験は自力で頑張るも全て不合格。バイト先でも絶えないクレームを処理させられたりと面倒ごとばかり押し付けられる。挙げ句の果てにはクビになってたよな。責任を擦り付けられて」


 ……こう並べられたら、確かに波瀾な人生だと自分でも感じてしまう。


「……あぁそうだ。就職試験って奴についてだが、元々あの教師はお前を受からせる気なんて無かった。お前の調査書がどうなってるか知ってるか? ある事ない事書かれてるぞ? まぁいまさらそんなことどうでもいいか」 


 光は俺から距離を取ると、俺とその光の間に、勉強机くらいの大きさのテーブルが現れた。その白い木で出来たテーブルの上には、一枚の紙が置かれている。


「オレ様はアンタにチャンスをやろうと思っている。また地球で目覚めるか、オレ様が創り出したもう一つの世界にその姿のまま転生するか、それか死ぬかだ」


 光の話を聞きながらテーブルの上に置かれた紙を取ると、その内容を確認する。


 そこには三つの項目で、こう書かれていた。


 一つは、地球の病院で目覚め、またいつも通りの生活を始めるといった内容だった。

 二つ目は、この光が創った世界に転生する事。その際は記憶を保持したままで、更にその世界で生きるに必要な能力もくれるらしい。都合がいい気がするのは気のせいじゃないと思う。

 そして最後は、何もかも諦めて意識を手放す──つまり、本当に死ぬ事だ。


「あぁー、補足だが、死ぬと言っても記憶をリセットしてまた同じ人生を歩む事になる。普通ならば皆死ねば強制的にこの選択だ。これだと記憶を消して時間を戻すだけで仕事が済むから管理がしやすい」

「……でも、俺は生きる事が出来るって?」

「あぁ、そうだな。そういう事だ。まぁさっきも言ったが、オレ様はアンタの事が気に入ってる。アンタが望めば新たな人生を歩ませてやってもいい。全く新しい姿で、今とは違って不幸の無い暮らしだ。記憶もそのままでもいい。地球じゃなくたっていい。今の記憶を忘れたいなら消してやることだってできる」


 ──さぁ、どれにする?

 光は俺の方を見て、選択を委ねてきた。


 まず地球の病院で目覚める事。これは俺からしたら無しの方向でいきたい。もう地球でのあの暮らしはうんざりだからだ。

 二つ目。これはありかもしれない。全く新しい世界で新しい生活だ。どんな世界かは分からないが、今の生活よりは楽しそうだとは思う。


「おっと言い忘れていた。さっきもチラッと言ったが、オレ様は世界を何個か創って運営してる。アンタが望むような環境を言ってくれたら、その条件に当てはまる世界に連れて行ってやるよ」


 光は自慢げにそう話す。何処か光の輝きが強くなっている気がするのは気のせいだろうか。もしかしたら感情によって輝きが変わるのかもしれない。


 ……まぁこれは候補として考えておいて、三つ目にいこう。


 死。繰り返しの人生。これは論外だろう。結局同じ人生を繰り返すのなら、別の世界に行った方がマシだ。


 四つ目だ。これはさっき神が言ってくれた事だな。これもありだが、約束された勝利というもの程つまらないものはない。ゲームでも、やはり諦めずに戦い、勝利した時が一番達成感があり、楽しさ、やりがいを感じる事が出来ていた。


「……決まったか」


 光は俺の思考を読み取ると、まるでこの選択がされる事を知っていたかの様に鼻で笑ってくる。


「それでどんな世界がいい? 地球よりも科学が発展した世界か? それとも科学なんてまだ無い世界か?」


 光がいくつかの候補をどんどんと上げていってくれる。


 確かにどれも面白そうだが、俺は昔からの夢を光に伝えてみた。


「んー……ゲームみたいな世界があったりとかは? 例えば、昔ながらのファンタジーゲームみたいな」


 ゲームの世界に入る事。

 これは、俺が昔から何度も考え、妄想してきた事だ。


 その妄想を現実へと変えたい。


 光は暫く固まるが、やがて動き出したかと思うと左右に動いた。


 ……これは無いと言う事で良いのだろうか。


「いや、ある。あるはあるんだが……あまりオレ様はオススメしない」


 光は何か考えているのか、光量が増えたり減ったりを繰り返す。そしてそれが止まったかと思うと、俺の方へと近付いてきた。


「……まぁ行ったら分かるか。見た目はごく普通の剣と魔法の世界だ。モンスターを倒す冒険者って職業がある。アンタはそれになりたいんだろ?」


 俺は頷く。それを見た光は鼻で大きく息を吐き、「なら」と話を続けた。


「アンタに好きな能力をやる」

「好きな能力?」

「あぁ、好きな能力だ。触れた相手を殺す能力でも好きな魔法を創り出して相手にぶつける能力でも全ての攻撃を反射する能力でも何だっていい。本当は強力すぎる能力の受け渡しは禁止されているんだが……まぁオレ様が何とかしてやる。オレ様は凄いからな」


 光は退屈そうに俺の周りを飛び回りながら、そんな事を言ってくる。恐らく俺の返答を待っているのだろうが、視界にチラチラと映って結構鬱陶しい。


 それにしても、好きな能力か……。この光が言うには本当に何でもいいらしいが、能力なんていきなり言われてもついていけない。


「そう悩むな。なんでもいい。なんならオレ様の力を分けてやってもいいくらいだ」

「いや……それはちょっと……」

「気にすんな、例えだ例え。だが、アンタはこう思ってるかも知れない。『強すぎる能力は面白くない、怖い』ってな」


 ……確かにそうだ。強すぎる力は人を破壊する。俺はその光景を何度も見てきた。この場合は権力だが……それでも恐ろしいのには変わりない。


「そう思うだろ?」


 光が俺の視界めいっぱいに近付いてくる。不思議と眩しさは無いが鬱陶しいので、手でそれを払い除けた。


「どういう意味?」

「どうもこうもない。それが『ちょうどいい』んだよ。確かに強い事には変わり無いが、アンタが生きて行くにはそれくらいは要る」


 ……自分だって努力する事くらい出来る。別にそんなに強い能力を貰わなくたって、しっかりと鍛錬したりもするつもりだ。もしかして馬鹿にでもしているのだろうか。


「違う。オレ様は真面目だ。アンタがこの世界に飛んでから初めて戦闘を見た時の一言目を当てようか? 『なんだこれ』だ」

「なんだこれ……?」

「あぁ、この世界を創ったオレ様が言うんだ。間違いない」


 ……神がこれ程に念を押してくるということは、確かになんだこれな世界なんだろう。でもどういう意味での『なんだこれ』なんだろうか。物凄くほのぼのとしてるとか……? それともその逆だろうか。


「あぁー……まぁ……行ってみたら分かる。これは言葉で説明しても理解出来ないだろうからな。少なくとも全知のオレ様でも詳しい説明は無理だ」


 果たしてそれは『少なくとも』に入るのだろうか。というか全知でも理解できないなんてどれだけ混沌カオスじみた世界なのだろうか。


「それで、能力はどうするんだブラザー」

「そんな事言われても……って、さっきからたまにブラザーって言うけど……なんで?」

「ん? あぁ、いつまでもアンタ呼びだけってのは嫌だろ? だから俺とアンタはこれから兄弟、つまりブラザーだ」

「いや別に呼び方なんて……というか意味分からないし……」

「遠慮すんなブラザー。それだけオレ様がアンタの事を気に入ってるってことだ」


 ……まぁいいか。これ以上言っても仕方ない気がする。

 にしても能力……能力か……。ゲームで言えば全てのスキルを最初から使えたらいいのに、なんて考えた事はあるが……それは強すぎる気もする。


「全てのスキルを使える……か……。それならこれでどうだ? 見た能力を『模倣』出来る能力、なんてのは。別に全部のスキルを使えるようにしてやってもいいが、ブラザーはどうせ断るだろうしな」

「おぉ……でも強すぎる気が……」

「そうか? これでもブラザーにとっては弱い部類に入る。最初をミスったら死ぬからな」


 流石にそれは無い……と思いたいが、確かに最初はキツそうだ。でも見ただけなんて言うのは強すぎると思うから、せめて倒した相手の能力をコピーする能力っていうくらいがちょうどいい気がする。それでも少し強いか……? いや、これでいいだろう。

 俺はその意思を伝える。


「ブラザー……」


 すると光が俺の方を見て──そんな気がした──心配だと言わんばかりの声を出す。だがすぐに元気を取り戻すと、机の上に新たな紙が出現した。


「それでいいなら止めはしない。でもブラザー、この世界で死んだら次はないと思って行動してくれよ。今回みたいに子どもを庇って死ぬなんて無茶は絶対にしちゃだめだ。いいな?」


 その言葉に俺は頷くと、反応するかの様に光は明滅する。そして印鑑らしきものが現れたかと思うと宙を飛び、ポンっと紙の上に着地した。


 その瞬間に、俺の身体が光り出す。


「さぁ、転生の時間だ。一瞬魂が抜かれる感覚がすると思うが吐くなよ? たまに居るんだこれに酔って吐くやつが」

「……分かった」

「ま、詳しい話は向こうに言ってからだ。あまりここに長居するのは俺的にも危ないしな」


 光はそう言って鼻で笑ってみせる。

 それに釣られて俺も笑うと、俺の身体を包む光は更に強くなっていった。そろそろ転生する合図なのだろう。


「どうしたブラザー?」

「あぁいや……その……ありがとう」 


 俺は最後に笑顔を見せてみる。


「いや、いいんだ。これはオレ様達のミスだからな」


 そんな気になる言葉を最後に、俺はまた意識を落とした。

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