異世界インフレーション

なるるろ

第0話.事故


 人間には、大きく2つの種類に分けられる。

 勝ち組と負け組。人生に勝っているのか、それとも負けているのか。

 だがその基準は曖昧だ。人によって勝っているのか負けているのかの見方は違う。働かずに親のスネをかじって生きる人を負け組だと言う人も居れば、自由な生き方をしていて勝ち組だと言う人も中にはいる。


 そんな曖昧な基準の中で少なくとも俺は──その負け組に入る1人と断言できるだろう。


「──黒魔くろま。お前これからほんとどうすんだよ。これで就職試験に落ちたのは何回目だ? えぇ?」


「4回目です」


「何だよその態度はッ! 俺の苦労も知らずにのほほんとしやがってッ!! お前が落ちる度に俺の評判も下がるんだぞッ!! 分かってんのか!?」


「はい」


 周りと比べて、俺の就職先はそう大きい場所ではない。難しい試験があるわけでも無い。4回ともただ面接試験があるだけの場所なのに、こうやって落ちてしまった。

 練習はしている。先生に頼んでも忙しいの一点張りで相手にすらしてもらえないので、1人で仮想の相手に練習を重ねてきた。だがそれもつけ焼き刃程度でしかないので、本番で通用するはずもなかった。

 話せてはいるハズだ。着席から起立といった所作も気を付けている。それでも落ちるということは、俺の話す内容が響かなかったか、それともまた別の要因が原因かの2つ。それとも両方か。


 そんなことを考えたって学生である俺には分かるはずもない。社会に出たことのない俺に分かる訳がない。見送りの件についての紙を渡すときの先生の顔が嗤っているように見えるのも、きっとその無知のせいで見える俺の弱さのせいだ。


「自力で次の場所を探せ。もう俺は手伝わないからな」


 そういって先生は立ち上がり 教室を後にしていく。


「もう手伝わない……か……」


――生きてきて18年経った。小学生の頃から仲間外れにされ、中学生では先生からも無視され、ついには親からも突き放された。それでも必死にもがいてこれまで生きてきた。理不尽なことを押し付けられても笑顔を作って乗り切ってきた。

 気持ち悪い。涙を堪えなければ生きていけない俺に腹が立つ。


「いつ手伝われたんだよ……くそが教師が……」

 

 それは、久しぶりにこぼしたちょっとした『本音』だった。これまでに溜まってきたストレスを鑑みるとこの程度でスカッとすることがないくらいわかっていたはずなのに、それでもこぼさずにはいられなかった。

 

「もう……いいよな……」


 夕方5時。赤い光が窓から差し込む教室内で俺は――決心した。

 もう疲れた。先生は社会に出たら今の倍以上苦労すると言っていた。真に受けるわけではない。でも、少しでもその可能性があるならば、今のうちに絶っていた方が怨念も残らないだろうという考えから思い浮かんだことだった。


 誰もいない帰り道。通行人達はそんな俺を見て笑っている気さえしてくるが、それはただの考えすぎだと何とか心を静める。


「すいません。これ、落としましたよ」


 前の人が落とした高級そうな皮財布を手に、前を歩いていた男性を引き止める。男性は振り返り、俺が持つ財布を見た瞬間に取り上げるように勢い良くとって、何も言わず去っていく。


 これが普通だ。何故か俺は好かれることが無い。クソッタレな産まれながらの性質。


 俺を助けてくれる人間はいない。俺に手を差し伸べてくれる人間はいない。それはもう、小学生の時からわかっていたことだった。

 いつか変わると思っていた。こんな生活はいつか時間が解決してくれると、そう信じていた。


 でもその考えももう終わりだ。いつまでたってもこの世界は、神は俺を嫌う。仲間外れにして、苦しむ俺を見て嘲笑う。

 おもちゃなんかじゃない。俺は俺だ。1人の人間だ。生きる道も死ぬ道も、選ぶ権利は俺自身にあるハズだ。


「……あ?」


 気が付けば日は見えないくらいに暮れていて、街灯だけがぼんやりと道を照らしていた。

 頭の中で思考を巡らせている間、思考のように俺はひたすら同じ場所をくるくると同じ場所を回っていたようだ。

 これがいつもの俺。いつもの日常。どこかで見た小説みたいに自殺する勇気なんて湧かないちっぽけで硝子みたいな心。適当に話を引き延ばして、また明日にしよう、また次の機会に死のうと時間に甘えてしまう。


 本当に笑える。泣きたくなるくらいに……本当に。


 そうやって自己嫌悪をしながら俺はなんとなく――視点を上に持ち上げた。地面ばかり見ていた俺の前方の細い十字路。そこに街灯以外の光が当たっていたからこそ気が付けた。気が付いてしまった。


 ――子どもがいる。


 何でこんな時間に、何でこんな場所に、なんて考えている暇は無かった。あれ程だるさを感じていた足も何時の間にか強く前に踏み出していて、地面を強く蹴りつけていた。

 この空間には眩しすぎる光が、俺の視界を埋め尽くした。そんな状態でも何とか子どもを抱き上げ、意外と重いと感じながらも死にものぐるいで足をもうひと踏ん張りさせる。


 ……なんでこんなことをしたのかはわからない。明らかに避けるには間に合わないスピードで走ってくる巨大な光の塊を睨みつけながら、俺は離さないよう子どもの身体を強く抱きしめた。その時に子どもが俺のほうを向き、ニヤリとした気味の悪い笑み浮かべていたのが見えた。


 鈍い音がする。痛みはなかったが、不思議と死を確信することが出来た。

 目を開けようとしても開かない。体も一切動かない。本来ならば恐怖を感じる場面だろう。こんな弱い俺だからこそなおさらだ。

 だが、今の俺はそれよりも子どもが無事だったかの確認が出来ない『不安』のほうが強かった。


 俺を轢いた人が降りて駆けつけてくれたのか慌てる声が聞こえてくる。ボロボロであろう俺の身体を無理やり動かして腕の中にいる子どもを救出したのが何となくの感覚で分かった。


「よかった……無事だった……」


 運転手はそう言って踵を返した。スマートフォンを取り出したのかコツコツと何回か画面を叩く音がして、少し待った後に運転手は喋り始めた。


「もしもし、警察ですか? 迷子の子どもを見つけたのですが――」

 

 ──あぁ良かった。怪我はなかったみたいだ。助けたつもりなのに怪我でもされてたら、俺の度胸が無駄になるってもんだ。


 あぁ、あぁ。わかっていた、こうなることは。この世界の人間は俺に興味を示さない。まるでそこにいないかのように俺を扱う。俺を認識しても酷い嫌悪感を向けてくる。


 でも良かったじゃないか死ぬ口実ができて。最後くらいはやっぱり格好つけて死んでも誰も文句は言わないだろう。


 寒くなってくる。今はそんな季節ではないのに寒いなんて変な感覚だったが、不思議と不快感は感じなかった。


 さっきまではっきりとしていた意識が薄れていくのが感じ取れる。思考も上手く働かず、体の内から吸い取られるような感覚を覚える。


 そして最後に、ぼんやりとしてきた脳内で、こんな声が俺の脳内に響いてきた。


『ようこそ、オレ様の世界へ』

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