散り花




 花信風でも和風でも花嵐でもない。

 心を乱すのは。

 凪の中の散り花。


 のどかな時間に似つかわしくない焦燥感が襲いかかる。

 否。

 のどかではない。

 そこかしこから、まるで訴えてくるように拍動がうるさいだろう。

 生きている。

 生きる為に動くと。

 動いていると。


 桜は呼応しているのだろうか。

 だから、空を埋め尽くさんばかりに散り続けるのだろうか。

 それとも、夥しい拍動に揺らされているから、散り続けているのだろうか。






 家に籠る冬が過ぎて、家を出る春が訪れて。

 歩いて、走って、立って、読んで、書いて、話して。

 夢の中ですら動き続ける始末。

 起床時に疲労が取れたと実感した日などない。

 忙しないにもほどがある。


「そう、急かさないでよね」


 凪の中の散り花。

 美しいと讃えられる桜の雨。

 風などなくとも降り注ぎ続けて。

 太陽の力などなくとも桜に白銀にと光り続けて。

 視界も聴界も触界も味界も嗅界も塞いでいく。

 呼吸を少しずつ、やおら止めていく。


「地面に落ちて、やっとあなたの色に出会えるのにね。下を見る人はどれくらい居るのかしら」


 しゃがんで、一枚のはなびらを手に取る。

 手指の爪ほどの、小さな花びらを彩るのは、深紅の線と、淡い紅と、桜色と、純白。

 紅は木から離されてようようと浮き上がったのだろうか。


 それとも見えていなかっただけか。


 分からないが。

 幾万の花びらよりたった一枚。地に落ちて紅が露わになる花びらを見て、ようやっと人心地がついたような気がした。











(2022.4.8)













「ひさかたの光のどけき春の日に

しづ心なく花の散るらむ」(紀友則)


「日の光がのどかなこの春の日に、なぜ落ち着いた心もなく、桜の花は散り急いでいるのだろうか」


【参考文献 : 新総合図説国語 改訂新版 東京書籍株式会社(高校の時に使っていた教科書)】



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