冬ながら




 凍雲いてぐもが広がる空を見上げながら、両の手を擦り合わせると僅かに顔を歪めた。

 真っ赤に染め上がり、あちらこちらとある小さな傷から僅かな血が滲む我が手だ。

 触れては痛まぬ部分などありはしない。


 ああ、早く春が来ないものか。


 まだまだ冬は終わらない。

 むしろここからが厳しい冬の始まりと言えようが。

 今までが奇跡的に常より温かかった分、望まずにはいられなかった。


 はやく、早く。はーるよこい。

 莫迦なことを言ってないではやく家に帰れよ。


 声を少し大きくしてしまった所為だ。

 自転車で通りかかった幼馴染が呆れた顔を向けてきた。


 そのまま通り過ぎればいいものを。

 いや愚痴ってないで早く帰れよ、風邪をひくぞ。

 わかっているさ。ただ、お天道様を少しだけ浴びたら帰ろうと思って待っているだけだ。

 莫迦。待っていても、もう姿は見せてくれねえよ。ほら。後ろに乗れ、送ってやる。

 いやだね。

 人の親切を。

 この前派手に転んだのを忘れていないからな。

 この前はこの前。今は今だろ。ほら、転ばないって約束してやるから。

 いやだね。前回は大丈夫だったが、怪我をしたらどうしてくれる?

 あー、わかった、わかった。俺がわるうございました。乗らなくていいから、行くぞ。雲がだんだん厚くなってきた。一雨来るぞ。

 ふん。


 幼馴染へと向いてしまった視線を空へと戻せば確かに、どんより度が増している。

 潮時か。

 しょんもり肩を落として、幼馴染にそっぽを向いて歩き出そうとした時だった。


 ひらひらと。

 凍雲の向こうから真っ白く、小さく、丸っこい花びらが舞いながら、手の甲に落ちてきた。


 やった、春だ。願いが通じたんだ。

 嘘、だろ。


 幼馴染の絶句した顔と言ったら。

 はしゃぎながら、手の甲についたはずの花びらを取ろうとしたのだが、いつのまにか消えていることに気づいた。

 落としたのかと地面を見るよりも、しかし、次々と降ってくる花びらに手を伸ばして、両の手で挟み込んで、初めて異変に気づいた。


 花びらがなく、雫しか残ってないのだ。


 人の温度で消える花びらか、もしくは、空中でしか保てない花びらなのだろう。


 皮膚でも、服でも、地面でさえ消えてしまう不可思議な花びらにそう結論をつけて、もう触らないでおこうと思いながら、走り出した。


 だって、どんなに消えてしまおうが、花びらなのだ。

 春を知らせる、花びら。


 はやく、早く、家族に知らせないと。











 私たちは知らなかったのだ。

 この刻の花びらは雪と言って、春を知らせるものではなく、冬の証なのだと。












「おい待てって!」

「やーだね!」












(2022.1.5)









「冬ながら空より花のちりくるは

雲のあなたは春にやあるらむ」(清原深養父)

「冬なのに空から花が散って来るとは、雲の向こうはもう春なのだろうか。」


【参考文献 : 新総合図説国語 改訂新版 東京書籍株式会社(高校の時に使っていた教科書)】



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