第39話 親父
親父の病室は俺が予想していた総合病院の個室ではなく、緩和ケア病棟のなんてことの無い、6人部屋の一室だった。
母親は、毎日通って親父に笑顔を振りまいているらしい。のだが、いつも午後から顔を出すとのことで、一緒には行かなかった。
「おまえが顔を見せるということは、俺は明日にでも死ぬのか?」
そう悪態をつく親父の目には目脂が溜まり、いや、看護をまともに受けていなく、突っぱねるところは変わっていないな、とどこか安心して、来客用の椅子を引っ張り出して親父のベッドの前に座った。
「今日、知ったんだ。こんなことになってるなら、言えよ」
「おまえにはおまえの時間がある。不思議と、生きてるうちに会えない、なんて思うこともなかった。丁度、良かったんじゃないか?今日、来てくれたじゃないか」
「俺が来なかったら、どうするつもりだったんだよ」
「それはそれで、吹っ切れるんじゃないか?もう、この話は終わりだ」
そう言って天井を見つめる親父は、ベッドの頭を少しだけ上げて、静かに笑みを浮かべた。
なんだよ。怒られるのを覚悟で来たのに、なんなんだよ。
「楓ちゃんは、元気か?」
「元気も元気だ」
「ということは、また一緒に暮らしてるのか?」
「ちょっと事情があってね。また暮らすことになった」
「おまえはすごいよ。普通、出て行ったら戻ってくることなんて、ない。人柄がいいのか、何なのか・・・。母さんみたいに、おまえが悠里さんに利用されてるとは思わんよ」
「それは、親父だけの考えだろ」
「そうだな、でもおまえは、形を作った」
ふぅ、と一息ついて、俺の顔を見る親父。少し、話しすぎたか。ペースを落とそう。
「なんか飲むか?メロンパンとトマトジュース、買ってきたんだ」
「メロンパン?」
「小さい時、料理できない親父がいつも俺に買ってきたのがメロンパンだ。俺は親父の好きなものわからないから、とりあえず思いついたやつを買ってきたんだけど・・・」
「そうか。そうだったな・・・」
「昼飯前だからメロンパンは置いておく。っておお。トマトジュースのストックめっちゃあるな」
「母さんにそれだけは切らすなと言ってあるからな。もらおうか」
とぷんとぷんと濃い液体がコップに注がれると、親父はそれを片手で口に持っていき、一気に流し込んだ。
「元気そうだな。膵臓癌だっけ?」
「胃に転移してないだけマシだよ。好きなものを食べられる」
「今度、悠里と楓を連れてきてもいいか?」
「・・・ほんとによりを戻したんだな。俺を励ますために嘘を言っているのかと」
「そんな悲しい嘘、ついて何になるんだよ」
それもそうか、と親父は窓の外を見る。
「ここは、夜な、痛い痛いと叫ぶやつもいるんだ」
「うるさいなら、個室にしてもらえばいいじゃないか」
「いや、寂しくなくていい。生きている、実感がほしい。あと、俺もいずれそうなる、覚悟をだな」
「そうか」
「俺が死んだら、母さんと暮らしてくれないか?あいつは、強情だが、意外に寂しがり屋だ」
「・・・・・・」
「悠里さんと、喧嘩しそうか?くくっ。喧嘩できることも、今の俺からしたら、羨ましいことなんだ」
「なぁ、母さんから聞いたけど、何で俺の後に子供を作らなかったんだ?母さんは、女の子がほしいと言ってたぞ?」
「おまえがいて、何の不満がある」
「えっ?」
「おまえという1人息子を育て上げたのに、もう1人、とか、女の子が、とか。そんなこと、単に俺達が年を取った後を予想できなかっただけだ」
「そんな、単純なことか?」
「見合いの話を断り、我が道を行くおまえが、俺は羨ましかったよ。どうだ?後悔してるか?」
「まだ、わからねーよ。親父だって、後悔するために、生きてるわけじゃないだろ?」
ふぅ、と溜息をつく親父。だがその顔はなぜだか嬉しそうで、こっちの調子が狂う。
「それで、俺に何の用で来た?」
「いいよ、もう用は済んだ」
「そうか?」
「また来るよ」
2年経った。両親の生活はガラリと変わって、以前のような頭ごなしの説教や拒否感はない。
親父が末期でここまでなっても、助けてくれ、とも言われなかった。
それが何を意味するのか、俺は帰り道、ずっと一人で考えていた。
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