第35話 幸せの形

「ふっざ、けんなああああ!!」


「あええでああ!!ぎぎぎ!」


手を壁に押さえつけながら、ケツを蹴飛ばす。一瞬だけこいつはよろめいたが、こいつの左手が俺の顎下に滑り込んで来て、爪を立てられて俺の皮膚を剥がす。


行かせはしない!楓のところにはっ!


階段に足をかけようとしたこいつを、前のめりに押しつぶす。


ガタン!


大きな音がして、マズったと暗闇の階段を見上げると、そこには目に光を宿した楓がいた。


「楓!ダメだ!隠れていろっ!」


「りゅーた、その人・・・」


「かえでがあ?いる、のかあ?」


顔を階段に叩きつけてやった。よくわからない・・・血か。こいつは鼻血を出したみたいだ。


なおも、こいつは腕を前に出して楓のほうに手を伸ばそうとしている。


「秀樹おじさん、もう、やめてよ」


びくっ押さえている体が震えた。


―――初めて今、楓から再婚相手の名前を聞いた。悠里から聞いてはいたが、トラウマだろうと思って楓の前では口に出していない言葉だった。


「楓は、秀樹おじさんに感謝してる。頑張って家族になろうとしてるのも、知ってる。だけど、楓はもう決めてるの。どんな高価な物も、何もいらない。わたしは、このおうちと、りゅーたが大好きだから」


光るものが、楓の両頬をつたう。押さえつけていた顔が楓のほうを向くと、こいつは固まってしまった。


「あの女のように、おまえも、そうなんだなあ?勝手に自分のテリトリー作って、逃げるんだなあ!?俺からッ!!!」


「ひっぐ。・・・楓は、早く大人になりたいの。そのために、秀樹おじさんを利用した・・・ひっぐ。もう、わたしが全部悪かったから、わたしのこと、一生恨んでいいから、・・・もう・・・」


「そんな結末のためにいいいい!俺は頑張ったわけじゃねええええええ!」


喉が焼き切れるくらいのこいつの叫びだった。悲痛だった。思わず、考えてしまう。さえ違えば、悠里が最初に出会うのがこいつだったら、どうなっていたんだろうか。


いや、俺は、それでも・・・楓を追い詰めたりはしない。


こいつは悠里とのいざこざがあっただけだ。いつの間にか、楓とこいつの問題になってしまっている。それは違うだろうと。勝手にこいつが楓にスケープゴートを求めただけだ。その時点で、最低な大人だ。


「りゅーた、離してあげて。楓は、幸せになる、権利なんて、無いから」


聞いた瞬間、愕然とした。


おい。


誰が、そんなこと、言った?


誰が、楓を、追い詰めた?


俺かも知れない。こいつかも知れない。


俺は、人並みの幸せ―――子供を作るっていう願いが届かなかったのを、知らず知らずのうちに当たり散らしていたのかもしれない。楓に、『幸せになる』プレッシャーをかけていたのかもしれない。今、漠然と思うのは、そんなことだ。


だって、今俺が口に出そうとしているのがまさしく。


「楓が幸せになるのが俺の夢だ。やめてくれ」


今もなお、俺は楓を縛り付けているのではないか、そんな気がするのだ。


だけど、言うしかない。自暴自棄に一度なった自分が、一番良くわかるから。


「楓が自分を犠牲にしたって、得られるものはない。こいつだって、望んでない」


「じゃあ、どうしたらりゅーたを守れるの!?」


――――――楓、お前は、俺に似すぎたな。悠里に似ればこんなに悩むことも、無かっただろうに。


「おれ、は・・・・・・おで、は・・・」


すっかり戦意喪失した秀樹に俺は言う。


「警察、呼ぶぞ?」


が、俺の見込みが甘かったようだ。思いっきりこいつの後頭部が俺の顔を狙い迫ってくる。俺は間一髪で避けたが、次にひじが来て居間に後退。


「りゅーたっ!!!」


情けなく尻もちをつかされた俺は、あっけなく秀樹の逃走を許してしまう。


「楓は、もう、いい。あの女だ。悠里を守りたかったら、守ってみろ」


そう吐き捨てて、玄関を開け放って出て行ってしまった。

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