完全版 04

「……すばるさん、おうち、誰も居たはらへんて……」

 背を向けて、ドアの向こうに去った山田浩子に手を振っていた昴銀子すばる ぎんこの背中に、ベッドの上に半身を起こした八重垣環やえがき たまきが声をかける。

「……んー」

 振っていた手を背中で組んで、銀子が振り向く。

「ウチのお父ちゃんとお母ちゃんな、宮大工やねん。しばらく関東で仕事や言うて、こっち越して来ってんけどな、二人とも荷物もほどかんと、さっさと仕事行ってしもてん」

 笑いながら、何でもないことのように、銀子は明るく話す。

「そおなると、もお、何日も帰ってけえへんねん。もおな、一人娘ほったらかして夫婦で何しとんねん」

 大げさに、ややおどけた口調で銀子はそう続け、急に真顔に戻ると、

「せやからな、ウチ、帰ってもな、晩ご飯一人ぼっちやねん」

 はっと、環は息を呑んだ。

「八重垣さん、間違うてたらごめんやけど、八重垣さんも、ここに一人で住んではるん?」

 環のベッドに腰掛けながら、銀子は聞いた。

「……へえ、うちも一人どす……とおの時から」

 組んだ手を毛布越しの腿の上に置いて、やや俯いた環が答える。

「……そおか……せやったら八重垣さん」

 腰掛けた姿勢から上半身をのばし、銀子は環に顔を寄せる。

「いややあれへんかったらやけど。晩ご飯、一緒に食べへん?」

「え……?」

 意表を突かれて、環は顔を上げる。

「ウチな、こう見えても、お料理得意やねんで?冷蔵庫、見せてもろてもええか?」

 ベッドから腰を上げ、返事を聞く前に銀子は隣のLDKに向かって歩き出す。

「よろしおすけど……あ」

 とはいえ、気になるのか、環はベッドを降りようとする。降りようとして、自分がスカートのかわりにバスタオルを腰に巻いている事に気付く。

「……ああ、それな、ごめんやけど、汚したらあかん思て……せや」

 LDKの方から、振り向いた銀子の声がする。

「持ってるか知れへんけど。もし持ってへんねやったら、これ使こてや」

 冷蔵庫に向かう軌道から急旋回した銀子が、自分の鞄から何かを出して、ぱたぱたと環の元に戻ってくる。

「起きれるんやったら、シャワー浴びてきはったらええ思うで。ぎょうさん汗もかいてはったさかい」

 言いながら、銀子は持って来たポケットティッシュ大の何かを環に手渡す。

「……使い方、わかる?」

 聞かれて、それが何かを理解し、同時に自分の体の不調の原因にも気付いた環は、少し俯いて、答える。

「……多分、大丈夫や思います」


「なんや、八重垣さん、料理作り置きしてはるやん」

 冷蔵庫を覗いた銀子ぎんこが、中身をざっと見ながら言った。

「……それな、うちとちゃいます、週三でお手伝いさんが来てくらはって……」

 着替えを抱えたたまきは、寝室からバスルームに移動する傍ら、銀子の脇を通りすがりにそう告げる。環によれば、月水金で炊事洗濯掃除をしに、ハウスキーパーが来るのだそうだ。そして今日は木曜、昨日作ったとおぼしき煮物炒め物が、冷蔵庫に保存してある。その代わりに、生鮮食品の類いのストックは少ない。

「ああ……そしたら、ウチのする事、あんまあれへんな……」

「あの、無理しはらへんとよろしおすえ?」

 冷蔵庫内の使えそうなストック品を見ながら真剣に考え込む銀子に、環が遠慮がちに声をかけた。だが、銀子は、

「いーや、ウチが何か作りたいねん。なんかあったかいもの、八重垣さんに作ってあげたいねん」

 きっぱりとそう言い切って、銀子は腰を上げる。

「……ゆーても、卵スープくらいしか作れへんか」

 そう言って、苦笑して銀子は環に振り向き、

「そしたら、ちゃっちゃとお米も炊いとくさかい、早よお湯浴びて来」

 言って、冷蔵庫から出した卵その他を持ってキッチンに向かう。

「……はい」

 何か言いたげな視線を、その銀子の背中に向けていた環は、一言そう返事すると、バスルームに向かった。

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