完全版 03

「かんにんな八重垣やえがきさん、鍵、探させてもらうで」

 11階建てのマンションの10階でエレベーターを降りた銀子は、エレベーターの中でおんぶから降ろし、改めて正面から自分にもたれさせて支えている八重垣環やえがき たまきにそう声をかけると、スカートのポケットに手を入れる……ハンカチしかない。あれ?と小さく呟きながら、続いてブレザーのポケットを探り、あれ?ともう一度呟いて、一瞬ためらってから環のブレザーの胸元のボタンを外し、内ポケットを探る……あった。セキュリティの高そうな最新型のそのキーをドアノブのキーホールに差し込み、ドアロックを解錠する。気を利かせた浩子がドアを開き、ホールドしてくれる。

「おおきに……おじゃましますー」

 一言断って、環を抱えたまま銀子は玄関に入った。


「え?ワンルーム?」

 銀子の後から部屋に入った浩子が、部屋の中を一目見て、言った。

「……ちゃう、けど……」

 浩子より少し奥に居る銀子は、目の前のLDKリビング・ダイニング・キッチンの右奥にもう一部屋あるのを見て取っていた。だが、環が一人っ子だとしても、家族が住むには手狭だし、第一……

「……一人暮らし、してはるんやろか……」

 LDKには、家族の存在を思わせる家具、複数の人数分のテーブルやソファがない。あるのは、小さなテーブルと、スツールが一つ、あとは折り畳みの小さなパイプ椅子が一つだけ。

「……とにかく、八重垣さん横にしたらんと。山田さん、すまんけどタオルか何か探してくれへん?このままやと多分、スカートとか汚してしまいそうやし……」

「……スカート?……あ!」

 その時になって、浩子も気付いた。女子として、微かだが、その匂いで。

「……かんにんやで、八重垣さん」

 もう一度、銀子はそう言うと、寝室と思われる隣の部屋のドアを開けた。


「……あれ……ここ……うち……」

 八重垣環やえがき たまきが目を開けたのは、それから三十分ほどしてからだった。

「あ、八重垣さん、大丈夫?」

 ベッドサイドに居る山田浩子やまだ ひろこが、ほっとした顔で環に微笑むと、

すばるさん、八重垣さん、起きたよ」

 振り向いて、自分の鞄から何か出そうとしていた昴銀子すばる ぎんこに声をかけた。

「お、目ぇさめはったんか、良かった……八重垣さん、起きられるか?」

 片手に水を汲んだコップを、もう片方に何やら粉薬らしきオブラートの包みをつまんだ銀子が、安心した顔でベットに近付き、環に声をかけた。

「へえ、起きれますけれど……そや、うち、気分わるなって……あ」

 ゆっくりと半身を起こした環は、制服のブレザーとスカートを脱いだ状態でベッドに横になっていたことに気付く。

「そしたら、これ飲んで」

 銀子が、包みと水を差し出す。

「これ……何どすの?」

 受け取った環が、怪訝そうな顔で銀子を見上げる。

「それな、ウチの田舎の婆ちゃん特製の万能煎じ薬やねん。めっさニガいねんけど、何にでもよう効くねんで」

 得意そうな銀子に笑顔でそう言われて、環はしばらく逡巡したが、覚悟を決めたらしく、ぽいと包みを小さな口に放り込むと、コップの水で一気に流し込み、そして。

「……いやぁ、ほんま、えらいニガおすなぁ……」

 本当に苦かったのだろう、顔をしかめてそう言った環をみて、緊張が解けたのか、銀子と浩子は吹き出した。


「そうどすか……昴さんがうちを運んでくらはって……お二人にはえらいお世話になってしもて」

 秘伝の薬とやらを飲み、一息ついた環は事情を銀子と浩子から聞き、二人に礼を言う。

「ええねん、気にせんといてな」

「うん」

 即座に言い切る銀子に、浩子も同意する。

「そやけど、二人とも、あんまり寄り道したはったら、お家の人に怒られたりしやはらへん?」

 環が、そんな二人を心配して、聞いた。

「あー、うん、今日は真っ直ぐ帰るって言っちゃってあったから……」

 浩子が、ちょっと困った顔で答える。その浩子の肩を軽く叩いて、銀子が言う。

「せやったら、山田さんは先に帰りはって。八重垣さんの様子、ウチがもう少し見てるさかい」

「え?でも……」

「ええねん、ウチ、お父ちゃんもお母ちゃんも仕事で出ててな、家帰っても誰もれへんねん」

「あ……うん、じゃあ……」

「何かあったら電話するさかい」

「うん。じゃあ、また明日。八重垣さんも、お大事にね」

「はい、おおきに」

 少し後ろ髪を引かれつつ、浩子は部屋を出た。

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