8 紅い月

 終わったか……


 ミハエルは心の中でそう呟いた。

 キルリーの洗練された魔力を前に、グラントは想像以上の粘りを見せていた。次から次へと繰り出される光の弾を、その見事な技術と勘で打ち消し続けていた。


 しかし、やはり年には勝てなかったようだ。

 疲れがすでにピークに達しているということが、見るからに明らかだった。息も上がっているし、動きもずっと悪くなっている。一方のキルリーは涼しい顔のまま、強力な魔法を放ち続けている。


「ぬおっ!」


 ついに光の弾が肩に直撃する。グラントは苦痛に顔を歪め、片膝をついた。

 息をつかせず次の魔法が彼を襲う。こちらも直撃し、鈍いオーラを放つ光が彼を包み込んだ。おそらく、先ほど話していた封印魔法だろう。


「ふー、よーやく当たったわ」


 キルリーは大きな溜息をついた。


「弱いくせにやったらとしぶとくてさ。こーゆー奴が一番めんどくさいんだよねー」

「お、お見事です……」


 そう言いながら、ミハエルはちらりとグラントを見やった。彼は何も言わずにじっとキルリーを睨みつけていた。


 ミハエルは少しばかり複雑な気持ちでいた。

 ジブナール親衛隊の隊長になって魔女討伐の命を受けて以来、グラントとは何度も刃を交えてきた。おそらく若かりし日の彼なら、こんなに簡単にやられてしまうこともなかっただろうが。


「ねえ、どうやって痛めつけられたい?」


 キルリーはグラントに不敵な笑みを向けた。


「そういえばねー、練習中の魔法があるの。幻夢魔法って言うんだけどー」


 グラントの眉がぴくりと反応する。


「あんたらの親玉が得意な魔法なんだって? でもさー、アタシもそれを覚えちゃったら、もーなんか存在価値ゼロって感じじゃない? 幻夢の魔女パッヘルから無の魔女パッヘルに改名させちゃおうかなって」

「ふん」


 鼻を鳴らし、ようやくグラントは口を開いた。


「あいつの魔法はおぬしに真似できるレベルではないぞい。――なあ、小娘。世界をひっくり返すほどの魔力、というもんをおぬしは知っとるか?」

「はあ?」


 キルリーは途端に不機嫌な顔になった。


「おぬしは知っとるだろう? 無能隊長よ」

「むっ」


 突然話を振られ、ミハエルは閉口した。


 そうだ……確かにあれは人間に真似できるレベルでは……


「もうどーでもいいわ」


 キルリーは肩をすくめ、それからふっと空を見上げた。


「いつの間にか雨、やんでるじゃない。そーだ! あたしねー、太陽の光を超高熱にすることもできるんだよ。それでこいつ、こんがりじわじわ焼いちゃおっか」


 趣味の悪い発言に辟易しつつ、ミハエルも空を見上げた。


「しかし、まだ太陽など……」


 そう口にしてはみたものの、今にも曇天の隙間から太陽が顔を覗かせようとしていた。


 長年のライバルに対して、そのような仕打ちはいかがなものかとも思ってしまう。ただその一方で、魔女の下についた者など悲惨な最後を遂げて当然だという思いもある。


 自身の答えがまとまらないまま、ミハエルは空を見上げ続けた。

 ゆっくりと雲が開けていく。やがて光とともに、この戦場を見下ろしていたものが現れる。


 ――紅い月だった。


「は……? な、なによこれ……」


 キルリーも空を凝視してうろたえている様子だった。


 いつしか周囲は闇に包まれていた。たった今まで昼だったのに、突然夜が降りてきたのだ。

 ミハエルは足を震わせていた。それが武者震いなのか、恐怖によるものなのかは定かではない。 


「や……」


 彼は精一杯息を吸い込み、叫んだ。


「奴だあああっ! 奴が現れたぞおおおっ!」


 紅い月を背負って一つの黒い影がゆっくりと地上へ舞い降りてきた。影が近づくにつれて、その姿が鮮明になっていく。

 つばの大きなとんがり帽子をかぶり、背中にはマントを羽織っている。そして大事なところを布で隠しただけの、やたらと露出度の高い出で立ち。

 一見するとまだあどけないこの少女こそが、紛れもなく幻夢の魔女パッヘルだ。


「随分と待たせたわね」


 彼女は冷たい眼差しでミハエルたちを見下ろしていた。上半身に白い大蛇が巻きついており、その大蛇が口を大きく開けて周囲を威嚇する。


「うわあああっ! 魔女だあああっ!」

「ついに姿を現したぞおおおっ!」


 パニックになる部下たちを鎮めようとそちらを向くが、別のものに気を取られてしまう。

 それは、まるで夢でも見ているかのようにぼうっと魔女を眺めているグラントの姿だった。


 な、なんなのだ……?


「あ、あんた、いったいなんなのよ!」


 キルリーが空に向けて叫ぶ。


「初めまして、魔女パッヘルよ」


 そう言ってパッヘルはキルリーの目の前にふわりと降りた。同時にキルリーは後ろへ飛び退く。


「だって……! なんだって急に、夜になっちゃうのよ!」

「魔法に決まってるでしょ? ま、ほ、う」

「だって! だって!」


 キルリーは激しく頭を左右に振った。初めて見る魔女の圧倒的な魔力が、彼女の中の理解を超えているのかもしれない。


「なんか怖気づいてるみたいであれだけど……」


 パッヘルは不敵に笑い、そしてキルリーの鼻先に指を突きつけた。


「質問するのは私のほうでしょ? 私の仲間を傷つけたのはあんた? それとも、あんた?」


 ぎろりと横目で睨まれる。ミハエルは答えず、ただ震える手で剣を抜いた。


「まあ、どっちでもいいわ。二人とも一緒にきなさい」

「むっ!?」


 突然地鳴りと共に激しく地面が揺れ始めた。

 立っていることもままならず、ミハエルは思わず膝をついてしまった。すると、やがて彼の股の下の地面に裂け目が走る。


「ぐおおおっ! これは……?」

「やだあああっ! 怖い怖い怖い怖い怖いっ!」

「さあ、地獄へ案内してあげる」


 パッヘルのその言葉を合図に、二人は裂けた地面のあいだに飲み込まれてしまった。

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