4 台座の間にて
扉の向こうには吹き抜けの空間が広がっていた。
パッヘルが目を覚ました寝室は二階にあり、絨毯の敷かれた回廊をたどってそのまま階段へ。階段の正面は玄関となっているようだった。
大小幾つもの窓があり、そこから確認できるのは背の高い樹木ばかり。
アザミに訊いたところ、この館は森の中に建てられているそうだ。立地さえも悪趣味なのかとうんざりするパッヘルだったが、それが誰の趣味なのかというと……
「パッヘルさま、何も思いだせませんか?」
きょろきょろと建物内を見回すパッヘルの顔をアザミが覗き込んだ。
「うん……」
力なくそう答えると、「そうですか」とアザミは肩を落とした。
部屋を移動しようと提案したのもアザミだった。館の中を歩き回ってみれば何かを思い出すかもしれないし、何より彼女らにとってご主人さまの寝室に長居するのは気が引けるのだと。
ご主人さまねえ……
パッヘルはなんとも複雑な心情だった。
やがて、アザミの先導で一階のとある一室に通された。
「うっ……」
これまた異様な部屋だ。
窓は一つもなく、ドクロ型の燭台の淡い灯火のみが室内を照らしている。そして鼻をつくお香のような匂いが、部屋の中に充満していた。
パッヘルが入室すると同時に、一足先に到着していたらしいグラントとガナール、そしてニョルルン――自分の使い魔だとかいう例の白い大蛇が、一斉にこちらを振り向く。
彼らはパッヘルの通り道を作るように、左右に分かれて立っていた。そこに自然とアザミも加わる。
パッヘルは狼狽えながらも、アザミに促されるまま彼女らの中心を歩いた。突き当たりには仰々しい台座があり、台座の隣にはまた新たな住人の顔があった。
首から下はタキシードを着た人間の男性。しかし、首から上は何やら白い動物の姿。
「パッヘルさま、こちらへどうぞ」
なんとも紳士的な口調で、半獣の男がパッヘルを台座へと誘った。
「う、うん……」
「その方は執事のシープルさんです。この館の様々な雑用を請け負ってくれています」
不安げに立ち尽くすパッヘルを見かねてか、アザミがそう紹介してくれた。
「ひ、ひつじのシープルさん……?」
「執事です」
とシープルはきっぱりと言った。
「それから、私は羊ではなく山羊の半獣なのであしからず」
「あっ、それは失礼……」
言われてみれば山羊の頭だ。まあ、正直言ってどうでもいい。
パッヘルは仕方なく台座に腰を下ろした。
座り心地は悪くなかったが、やはり落ち着かない。この部屋の雰囲気や眼前に並ぶ化け物たちの姿もそうだが、相変わらず寒々しい自身の出で立ちも大いに響いている。
パッヘルは寝室での下着姿に加えて、三角帽子とマント、太腿までの長い靴下とブーツを追加しただけの格好をしていた。
アザミ曰く「それがパッヘルさまのいつものスタイルですから」だそうだ。つくづく、記憶を失くす前の自分はどこかがおかしかったようだ。
――そう。
こんな露出狂のような格好も、悪趣味極まる館の内装も、化け物たちを部下として雇っているのも、全て幻夢の魔女たる自分自身の意向だというのだから頭が痛い。
「パッヘルさま」
ガナールが口を開いた。
「その椅子に座ってみても、やっぱり思いだせないでごわすか?」
「え? うん……」
昨日までの自分は、よっぽどこの台座がお気に入りだったのかもしれない。偉そうにふんぞり返って座る自分の姿をぼんやり想像してみた。
こほんとアザミが咳払いをする。
「これより臨時会議を始めます。議題はもちろん、パッヘルさまの記憶を取り戻すためにはどうすればいいかです。発言の際には手を挙げて――」
「はいでごわす!」
アザミの音頭を待たずに、ガナールが挙手をした。
「……どうぞ」
アザミはやれやれといった調子で彼に発言を促す。
「パッヘルさまはきっと、自分に記憶喪失の魔法をかけたんでごわす」
「どうしてそんなことするニョロん?」
ニョルルンの問いかけに、「それは……」と口ごもりながらもガナールは続ける。
「理由はパッヘルさまにしか分からないでごわす! とにかく、パッヘルさまの魔法ならパッヘルさまにしか解くことができないでごわす!」
「何も覚えてないパッヘルさまに、自分で魔法を解けって言うニョロん?」
「やってみるしかないでごわす!」
ガナールは巨体を揺らしどしどしと台座に近づいてきた。怯えるパッヘルの両肩をがっしりと掴む。
「パッヘルさまあああぁぁ! 記憶がなくても、きっと魔法を使うことはできるでごわす! さあ、すぐに魔法を解除するでごわす!」
「ええっ!? そんなこと言われても!」
「パッヘルさまならできるでごわす!」
ゆさゆさと肩を揺さぶられる。
「レッツトライでごわす! おいどんもできると信じておねしょを克服したでごわす! さあ、早く……ぬおおおぉぉっ!」
次の瞬間、巨体が床に倒れ込んだ。その背後にいつの間にかアザミが佇んでいた。
「パッヘルさまがお困りでしょう! それに、パッヘルさまの魔法をあなたのおねしょと一緒にしないでください!」
先ほども見た例の一撃が炸裂したようだ。
悶絶するガナールを横目に、アザミはグラントに救いの手を求めた。
「グラントさま。何か良いお考えはありませんか?」
「そうじゃな――」
グラントは腕を組み、壁に寄りかかりながら話し始めた。
「ガナールの言うようにパッヘル自身が記憶喪失の魔法をかけたのだとすれば、何も心配はいらんだろう。あやつの魔法はせいぜい丸一日も経てば自動的に解ける」
「そ、それじゃあ……」
「危惧すべきは、原因が別にある場合じゃな。とりあえずは一日様子を見てみるか?」
最後はパッヘルに向けての問いだったようだ。
パッヘルは頷くことしかできなかった。
「会議は終了じゃな。わしは散歩に出るぞい」
そう言うなり、グラントは杖をついて扉を出ていってしまった。
それからしばらく、部屋に重苦しい空気が流れた。何かを思案している様子のアザミとニョルルンに、何を考えているのか分からないが微動だにしないシープル。未だに苦しんでいるガナール。
「えっとさ」
そんな状態を払拭しようとしたのかどうか、最初に口を開いたのはパッヘルだった。
「あのグラントっていうおじいさん、あの人は何者なの? みんな『さま』づけで呼んでるし、私のこともパッヘルって呼び捨てにしてたし……」
ずっと気になっていたことだった。もちろん、一人だけ人間だということも不思議ではあったが、なんとなく人間ではない彼らの前でそれを口にするのをはばかられた。
「いえ」
とアザミがかぶりを振って答える。
「グラントさまも拙者たちと同じ、パッヘルさまの配下にあたります。ただ、グラントさまはパッヘルさまとの付き合いもとりわけ長いので……」
「ふーん」
「確か五十年以上の付き合いだとか」
「は?」
パッヘルは固まった。
「五十年以上って……、じゃあ私はいったいいくつなのよ?」
「えっと確か……」
アザミは困ったように虚空を眺めた。
「シープルさん。パッヘルさまは現在、おいくつになられるのでしょうか」
指名されたシープルは、特に臆するでもなく平然と言い放った。
「パッヘルさまは齢三百七十二歳になられます」
「はあああぁぁ!?」
パッヘルの頭は真っ白になってしまった。
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