2 大蛇に巻かれて

 途端に少女の心は激しい動揺に支配された。


「嘘? 嘘でしょ? だって昨日まで……」


 そう口にするものの、昨日のことなどまるで覚えていない。


「それなら一ヶ月前は? 一年前……いや、子供の頃の思い出は……?」


 少女は頭を抱えた。すでに頭痛は治まっていたが、そうせざるを得なかった。

 少女は焦りからか、どたどたと床を踏み鳴らし扉へと向かった。まずはここが何処なのかをはっきりさせねばと思ったからだ。

 真鍮でできたドアのノブに手をかけ、それを回しかけたところで踏みとどまる。


 じっと視線が下方へスライドしていく。最終的に下着姿の貧相な自分の身体へと行きついた。

 扉の先で誰かと出くわしたらどうする? 家族ならまだいいにしても、ここが自分の家なのかすらも分からないのだ。


「家族……家族……?」


 家族の顔すらも思いだせない。

 そもそも本当に自分に家族なんてものがいるのか? 兄弟は? ペットは?


「ああ、もう!」


 少女は疑問を振り払うかのように、ぶんぶんと頭を振った。

 とにかく着るものが必要だ。服を着て部屋の外へ出てしまえば、あっさりと何かが見つかるかもしれない。失った自分の記憶も、意外とその辺りに落ちているのではないか。

 そんなわけで少女は箪笥に飛びつき、一番上の引き出しの取っ手に手をかけた。


「パッヘルさまあ?」


 少女はビクッと肩を震わせた。おそるおそる背後を振り返る。

 そこにはベッドがあるだけで、ベッドの上にはもちろん誰もいなかった。

 今、確かに声が――


「パッヘルさま。こっち、こっち」

「え……?」


 やはり声はベッドから聞こえてくる。

 もしかして、ベッドの下に何者かが潜んでいるのか? そんなことを考えながら、少女はベッドにじり寄った。


「誰? 誰なのよ?」

「ボクですニョロん!」


 次の瞬間、ベッドの飾り板の大蛇がフレームからするするとその身を解き、ベッドの上へと這い出てきた。


「えええええっ!?」


 少女は驚愕し、腰を抜かした。

 声の正体は、ただの装飾とばかり思っていた白い大蛇だったのだ。


「パッヘルさまー」


 親しげに名前を呼びながら、大蛇はベッドから床へと降りてきた。そして少女のもとへにょろにょろと這い寄ってくる。


「ちょちょちょっ! こないでってば!」

「んー、パッヘルさま、どうかしたニョロん?」


 尻もちをついたまま後ずさりする少女に、大蛇はいとも簡単に追いついた。今度は股間あたりから身体を這い上がろうとする。


「やだ! 気持ち悪い! どっかいって!」


 大蛇はピタっと動きをとめた。うるうると涙目になりながら少女を見つめる。


「パッヘルさま……ボクが嫌いになっちゃったニョロん?」

「え!?」


 そう言われてから、少女は改めて逡巡する。


 私はヘビのことが嫌い? き、嫌いだったような……でも覚えてない。

 ていうか、このヘビ喋ってるんだけど!? いや、それは普通のこと……いやいや、普通じゃないってば!?


 とにかく、これまでの様子からして大蛇が友好的なのは確かなようである。一般的に人はヘビを嫌うものだったはずだが、自分もそうだったとは限らない。

 ならばこちらも友好的になるべきではないか。どうやら彼は自分のことを知っているようだし、この状況を打開してくれる存在なのかもしれない。


「あなた、私のこと――」


 大蛇はいつの間にか少女の上半身に巻きついていた。ニョロん? などと言いながら、顔のすぐ近くでチョロチョロと舌を出し入れする。


「や、やっぱ無理いいいぃぃっ!」

「ニョローーーーん!」


 少女は大蛇の横っ面を思いっきり引っ叩いた。

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