バレンタイン編③
結局その日の学校は何ごともなく終わった。
しいて言えば、一緒に昼飯を食べるときに前島が日頃お世話になってるお礼だからとチョコパンを1個奢ってくれたくらいだろうか。なんか江上が頬を上気させて腐った目で見ていたような気がするが、気のせいだと思いたい。
バレンタイン禁止の学校に進学して空振りに終わるかとも思ったが、まったく無しでもなかったのでひとまず良かったといえる。だが今年はまだ陽子からのチョコが貰えていなかった。
バスケ部がないなら帰りは一緒に帰れるのかな? なんて思ったが、何か用事でもあったのかそそくさと帰ってしまった。なんか今日は一日中眠そうにしていたな。朝練で朝が早かったせいだろうか?
陽子からはなんやかんや言いながらも毎年チョコが貰えていたので家に帰ってからもなんとなく落ち着かなかった。普段から幼馴染、それ以上でもなくそれ以下でもない微妙な距離感を大切にしてきた俺たちは、相手がどんなふうに想っているのかは言葉に出したり聞いたりはしない。だからバレンタインは俺にとって唯一、間違いなく陽子が俺に好意を持ってくれている、少なくとも嫌われてはいないことを確かめることができる日だったのだ。
特に今年は去年に新條に振られてしまったこともあり、変に心に操を立てることもなくなっていた。バレンタインのようなイベントをきっかけで心が揺れちゃうかも〜? って乙女か? なんて期待もあってか余計に落ち着かない。
学校は禁止だったから家に帰ってから渡しに来てくれるんだろうか? 以前もそういうことがあったことを思い出していた。確かあの時は学校でからかわれるのが嫌だったからと言ってたっけ。
―― ピンポーン ――
そんなことを考えていると呼び鈴の音が聞こえた。
慌てて玄関まで下りてドアを開けると、
「やっほ~、恵一くん。こんばんは~」
「さとみ姉さん!」
海浜南高校で保険教師を務める俺の従妹のさとみ姉さんだった。
「今日はね~、恵一くんのお父さんとお母さんとで二人でイチャイチャご飯が食べたいからって、代りに恵一くんの晩ごはんを作ってくれるようにお願いされたの~」
「な⁉ なんだと~? 聞いてねーよ。あの二人!」
見るとさとみ姉さんの片手にはスーパーで買った食材がたんまりと入っている。
「どうせ一人で寂しくしているだろうからってね~。相手してやってよって頼まれたのよ~。今日は鍋よ! 鍋! あと食後にデザートもあるからね」
そう言うとさとみ姉さんはもう一つの手に持っていた洋菓子店の包装箱を掲げてニカっと笑った。
◇◇◇
「それで~、今日はチョコとか貰えたの~?」
「えーっと、まぁ、義理チョコとか少し貰えましたかね」
台所で食事の支度をしているエプロン姿のさとみ姉さんが訪ねてくる。家庭的な後ろ姿も魅力的である。海の家でお世話になったマスターにも見せてあげたい。
「へぇ~、一応校則では禁止なのにやるじゃない~。結構、結構。それであの子からは貰えたの? 確か陽子ちゃんだっけ?」
おっと、さとみ姉さん。今の俺にそれはクリティカルですよ?
「いや貰ってないけど......なんで?」
「え~だって、叔母さんから毎年貰ってるって聞いたわよ~。それなのに恵一くんがはっきりしないって、ぼやいてたわ」
くっ、お袋のやつ余計なことを!
「いや~、それが今年はまだなんだよね~。もう貰えないかも? アハハ......」
自分で言葉にすると急にそれまでもやもやしていた不安がはっきりと自覚できた。そうか、俺やっぱり不安だったんだ。
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