1―10 第一章 完

「恵くん、少しいいかな……?」

「ん? どうしたんだ……陽子?」


 次の日の朝、ホームルームの前に陽子が声をかけてきた。


「なんだか、眠そうだね……?」

「いや、まぁな……それで、どうした?」


 昨夜は一晩中、自己嫌悪に陥っていた。精神的に追い詰めてから優しくするなんざ、まんま洗脳のパターンじゃねーか? どの口がそんなクサイ台詞ほざいてんだよ? とか……。思い出すたび、布団の中で悶絶していた。


「今日、帰りに本屋さんに寄っていきたいところなんだけど、一緒にどうかなって……?」

「あー、構わんよ。ところでさ? なんか面白い顔写真アプリ知らない? 今、前島と凝ってるんだけど?」

「前島くん? あー、そう言えば、髪切ったみたいね」


 昨日の帰り、誠意を見せたいから髪を切りたいと言い出し、その意気やよし。と送り出したが、坊主だけはやめておけよと釘を刺しておいた。

 短髪にしてスッキリした頭になった前島は中性的な顔立ちで、意外や意外、新しい髪型がよく似合っており、イケメン指数がアップしていた。特に一部の嗜好をお持ちの女子にはそうだ。勝手にカップリングされないよう気をつけよう……。


「うーん……これなんかどう?」


 陽子が自分のスマホを出してアプリを開くと、ネコ耳やヒゲのついた君はどこのフレンズ? といった、同級生の女子たちとの写真を見せてくれた。


「おー、良いな。あとで前島にも見せてやってくれ」


 なんとかして、まっとうな方法で前島に陽子の写真をゲットさせてやれないかな? そんな思いで、何かのきっかけになればと聞いたのだが、それより、なんでそのスマホの指紋認証使わないで、わざわざパスコードにしてんの? のほうが、気になってしまった。しかし、どうしてだかそれには触れないほうが良いような気がして、その思いはフタをして封じ込める。

 ――なぜか胸に妙な罪悪感のようなものを感じたが、その正体は自分でもよくわからなかった。


「ひゃー! 良かったー! なんとか間に合った、セーフ‼」


 その時、今月、何度目になるだろう? 東咲がバタバタしながら教室に駆け込んできた。


 ◇


「――おい、東咲」

「ん⁉ んぐぐぐ……くっ!」

「おい⁉ 大丈夫か? しっかりしろ! 早くこれ飲め!」

「んぐっ、んぐっ、ぷはー! あーびっくりした! 死ぬかと思った!」


 いきなり声をかけたせいで喉をつまらせた東咲は、俺が手渡したお茶を慌てて飲んだ。


「もー! びっくりさせないでよ! なんなのよ‼ 加賀谷⁉」

「こんなところで体育サボって、隠れて早弁なんかしてっから、声かけられたぐらいでそんな驚くんだろーが……?」


 そうここは、あの裏庭で、またしても体育の時間だった。


「え~⁉ だって、朝ご飯、食べる暇なかったし。こんな腹ペコで体育なんてムリだし。あーこれ、ありがと」


 反省の色の欠片もない東咲が飲みかけのペットボトルを俺に返そうと差し出した。


「いや、もう一本あるからいい。それは最初から東咲に奢ろうと思って買ってきたものだ」


 俺はもう一本のお茶を見せると「ここいいか?」とも聞かず、勝手に隣に腰を下ろした。


「えーっ? なんで、あたしがここにいたのバレてるの? もしかしてストーカー?」

「ちげーよ! 今日、遅刻しそうだったろ? それ見て、またやるんじゃないかと予想したんだよ」


 さらに言えば、更衣室に移動しようとするとき、弁当を入れている巾着袋を持って出たのを見て確信した。巾着袋が弁当入れなのは、昨日、東咲たちが弁当を食べているときに確認済みだ。


「キモっ! なんで、遅刻しそうなだけでわかるわけ~? キモっ!」

「あーっ、わかった、説明するから。ここの保健の先生が俺の親戚で、クラスの女子が早弁しているようだから、あんまり繰り返すようなら報告しないわけにいかないんで、やめさせるようにって頼まれたんだよ。それに、俺も東咲にちょうど頼みたいことがあったんで都合良かったんだ」


 ――お茶はそのお返しというわけだ。


「ふーん。やっぱよくわかんないけど、加賀谷の頼みたいことって何?」

「……クラスでな、運動部系とそうじゃないのとが、ちょっと距離感があるっていうか、そんな気がするんだよ。で、なんか俺とか陽子とか、あと前島とかも入れるようなRINEのグループ作ってくんないかなぁ? って。 ほら、東咲さん、結構、クラスで発言力あるっしょ? 俺も男子のほうに声かけるからさ」


 東咲は印象的な三白眼の目を開いて少しびっくりしたあと、興味深そうな顔で俺を見た。


「へぇー。でも、あんたが、吉澤を気にするのはわかるとして、なんで前島もなわけ?」

「……いろいろあんだよ。あと、ついでに言えば、江上も入れてやってくれ」

「うーん。まぁいいけどさ? そう言えば、昨日、あんたと江上ち、なんか揉めてなかったっけ?」

「あれは、江上に『なんで江上は委員長じゃないのに、そんな委員長風なんだ』と言っただけだ」

「何それ! それ、みんな思ってるけど、絶対言ったらダメな奴じゃん! あんた何言ってんのよ~」


 江上は目に涙を浮かべて大笑いした。


「俺はそこに地雷があれば、常に踏み抜いて歩いていく男なんだよ」

「ふーん。加賀谷、あんた結構コミュ派なんだ~? 以外~」

「俺はいたってニュートラルだよ。あいにく陰キャぼっちを目指すような予定も野心も今のところねーよ」


 ――そんなの異世界チート転生者の次くらいに、立派にキャラが立ってないとムリな奴じゃん。俺は帰宅部ではあっても奉仕部ではないのだ。


「ところで、こんな中途半端な時間に飯食ったら、放課後まで持つのか?」

「まー、だから、部活んときにパン食べたりして補給してんのよ」


 ――渡り廊下で会った日も放課後パンを買いにいってたのは、その日の体育のときもここで早弁したからで、その帰りをさとみ姉さんに目撃されていたというわけだ。俺は確認したかった最後のピースが埋まって満足した。


「まーそうねー。お茶も奢ってもらったし別に良いけどさ~加賀谷、できれば、あたしの頼みも聞いてくんない?」

「ん……? なんだ頼みって?」

「吉澤がさぁ、またバスケやるように、あんたからも説得してほしいんだよ~?」

「あー、それにつきましては、前向きに検討したいなとは思うけど、今日のところは申し訳ございませんがお約束はいたしかねますってところだな」

「何それー。やんないってことじゃん!」

「とりあえず、それも込みでのRINEグループってことで勘弁してくれ」

「オッケー。じゃあ、これは先にお礼ね。はい、あ~ん」


 そう言って東咲は弁当からタコさんウインナーを一つ摘まむと、俺の顔の前に差し出した。


「えっ? なんで?」

「欲しがってたでしょ? 遠慮すんなし」


 一瞬、えっ? 関節キスとかいいの? とか考えそうになったが、小学生じゃあるまいし、ここは体育系のノリで気にしないことにしよう。俺は遠慮なくパクっと一口でそれをいただいた。大変美味でした! ご馳走さまでした!(byウナ丼エンスー)


 すると、嬉しそうな顔をして東咲が、


「は~い。これで、かがやっちも共犯ね~。RINEは作ってあげるけど、お弁当食べるのはやめな〜い!」


 と、言いながら印象的な三白眼をニャッっとさせて悪戯っぽく笑った。


「なっ……、東咲お前! ハメやがったな⁉ って、それになんだよ? その、かがやっちって……」

「え~? いいっしょ? それともあたしにも、けいく~んって呼んでほしい?」

「……かがやっちで、お願いします……」


 俺は自分のお茶を開けると一口して空を見上げた。呼称については観念することにして、早弁についてはこの劣勢を今からどうやって切り返したものか……? 流れる雲を見ながら思いを廻らせた。


 交渉も今年の夏も俺の高校生活もまだ始まったばかりだ。

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