1―2

「失礼しまーす」


 ノックをしてから保健室に入ると、机に向かっていた保健室の先生がクルッと椅子を回転させて俺たちのほうを見るなり嬉しそうな笑顔を向けてくれた。


「あ~、恵一くん~! いらっしゃーい」


 若い女性の先生はセミロングのブラウンの髪を緩くウェーブにした、まごうことなき美人で、白衣を羽織っていてもウエストのキュッと締まったスカートにより胸の辺りや腰の辺りのふくよかさがより強調され、なんとも大人の女性としての魅力に溢れていながら、快活な感じのする明るい声で親しみやすい雰囲気を醸し出してくれているお姉さんだった。


「あっ、さとみさん。どーもっす」

「えっ……?」


 俺の後ろにいた陽子が明らかに男子高校生と保健の先生との一般的な距離感とのいきなりの違いに戸惑っていた。


「あっ、さとみさん、こいつは同じクラスの吉澤です」

「えぇ……っ、こいつって……」


 こいつ呼ばわりされたことにジト目で抗議の意を伝えてきた陽子に、俺は内心「許せ、年上の女性に虚勢を張りたい年頃なのだよ」と思いつつ、


「この人は、ここの学校の保健の先生は……、俺のいとこで、加賀谷聡美かがやさとみさん」


 と、ここでようやくネタばらしをした。


「よろしく〜! いつも恵一くんがお世話になってま〜す!」


 人懐っこい微笑みで両手をフリフリさせる。

 そう、さとみ姉さんは俺の親父の兄にあたる伯父さんの娘さんで、この学校で保健の先生を務めている。

 俺よりも八つ年上で俺がまだ小学生の時にはもう女子大生だったから、俺にとってはかなりお姉さんといった感じであるのだが、親戚の集まりでは子どもが少数派になることもあり、昔からよく可愛がってくれていた。妹が1人いるが兄弟はおらず、弟が欲しかったというのもあるらしい。

 

 今回、俺が自分の勤めている高校に進学したことも大そう喜んでくれ、絶対に顔を出せ! と言われていたので、ちょうど良い機会だった。


「は、はじめまして……、吉澤です……」


 まだ緊張が解けない感じで陽子が挨拶する。高1にしてはあざといドギマギさのようにも見えるが、本人は実はこれが天然である。童顔のため異性からは守ってやりたいように可愛いく見えるが同性からは……?


「こんにちは〜、吉澤さん。どっか気分でも悪いのかな〜?」


 どうやら親戚である俺はともかく、陽子を連れてきたことで、さとみ姉さんに違う方向で余計な心配をさせちゃったらしい。覗き込むようにして陽子に顔を近づけてきた。


「いや、さとみ姉さん、陽子はどこも悪くない。ちょっと聞きたいことがあってきただけなんだ」

「はっ、はい……、なんともないです、大丈夫です……」


 慌ててフォローすると、さとみ姉さんはホンワカした口調で、


「あ〜、そうなんだ〜。よかった〜! なんか顔色が良くなさそうだったし〜」


 そう言って手を伸ばして両手の指と指を胸の前で合わせた。

 ――天然のようでいて、やっぱ、よく気がつくなぁオイ。


「それで、どういったことが聞きたかったの?」


 気持ち姿勢を正して、さとみ姉さんが尋ねてくる。その仕草は場の空気を整えようとして気づかったようにも思えた。


「実は、俺たちのクラスは、4限が体育だったんだけど、そのときに、誰かうちのクラスの奴が、保健室にきたりしなかったかな?」


 生徒手帳のことは触れず、俺は前島や東咲が保健室にきていなかったかを聞いた。


「うーん、お昼前はずっとここに、いなかったからねぇ〜、でも、恵一くん、確か1年A組だったでしょ? 確かねぇ……、同じクラスの子で、江上さん? って子が、ベッドで寝ていったと思うよ。気分が悪いって」


 なんと、ここにきてさらに可能性が広がってしまった。

 聞いてねーよと、ジト目で陽子に抗議の意を伝えると、ぷいっと顔をそむけられた。


「他には……、他には誰もきたりしなかった?」


 念のため確認するよう食い下がると、


「うーん、あとはそうだねぇ〜、なんか職員室から保健室に戻る途中で裏庭のほうから体操服の背の高い女の子が歩いてくるのを見たかも……?」


 ――確か東咲はバスケ部で女子にしては背は高めだ。それにその時間に体操服なら、まず東咲で間違いないだろう。


「その子は教室の校舎に向かってたりしてなかった?」

「うーん、どうだろう? この時間に変だとは思ったけど最後まで見てなかったからな〜」


 まぁ、さとみ姉さんは保健の先生だからそこまでの責任はないよねー。そういうのは生活指導の先生にまかせておけばいいよー。


「あと、男子で授業中にケガした奴がいたんだけど、治療に来なかったかな?」

「うーん、さっきも言ったけど、ずっといなかったからね〜。いたときは来なかったけど、みんな勝手に絆創膏とか持っていくからね〜」


 そう言いながら少し困り顔で苦笑いした。

 そういや、不在のときに困らないよう、救急箱や女の子たちには生理用品を常備してあるのだが、勝手に持ち出されて、さとみ姉さんが叱られているようなこと言ってたなー。

 いやいや、いざという時に鍵とか閉められてたら、応急処置とかできないから! さとみ姉さんはなんも悪くないから! 俺が許す!


 ――はっ! 気がつけば、すっかり聡美ワールドの罠にはまって、何を言われても甘々の判断しか出来なくなっていた。いかん! 正気にもどらねば! でも、少し離れているのに、ええ匂いがするんじゃ〜。

 特に耳もとの小さめな黄金色ゴールドのイヤリングが……イイね!


「でも、どうして、そういうことが聞きたかったの?」


 ほどよく惚けてると、核心に迫る質問をされ、危ないところで我に返った!


「いや、なんでもない。ゴメンね、さとみ姉さん。訳はいずれ話すことを前向きに検討したいなとは思うけど今日はゴメン! 失礼しましたー」


 そう言って陽子にアイコンタクトで退散の意を告げると、俺たちは逃げるようにしてそそくさと保健室をあとにした。


「も〜ぉ! それって絶対、話す気ないって奴でしょ⁉ 今度、絶対、吐かせるからね!」


 ノリの良いさとみ姉さんのテンプレな台詞が最後に聞こえてきたが、廊下まで追いかけてくるようなことはなかった。

 やっぱ、大人だ……。

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