第39話 やるせない心

「さてマシュー、ここからは全て正直な話をするよ。だがもし君が辛くて聞く事に耐えられ無かったら、我慢せずに言いなさい。」


「はい、分かりました。」


つまりこの話は僕にとって辛い話なのだろう。

僕は膝の上でギュッと手を握りしめた。

そんな僕を気遣ってか、アダム様がその手を包み込むように握ってくれる。


「我が家はジークフリード君の家とは親戚と言っても、住んでいる距離のせいかあまり頻繁には行き来していなかったのだ。それでもジークフリード君が我が家に声をかけてきたのは、まず私が君に似ていたことだと思う。」


「はい」


確かに僕とお父様はどことなく似ている気がする。


「それともう一つ、我が家が医療関係の仕事に携わっていた事も大きな理由だろう」


「医療ですか?」


「あぁ、製薬関係から、病院経営まで幅広く経営している」


「凄いんですね……」


「病院に関しては、外科から内科、その他各分野に手を広げている。いきなりで悪いが、マシュー、君は自分の今の状態がどうなっているのか聞いているね?」


「はい、………僕は長い時間海に流され、衰弱していたところをアダム様に助けられました。そして原因は分かりませんが、アダム様と会う前の記憶は全て忘れてしまって……」


「そうだね、私もそう聞いている。そこでだマシュー、実は君のような症例は幾つも報告されているのだ。そして我が家の病院でもその病気の研究はしている」


「本当ですか?」


そうか、これはやっぱり病気で、僕が特殊と言う事では無いんだ。

でも治るなら治るで、それはとても複雑な気持ちだ。


「しかし記憶喪失などの脳神経に関しての研究は難しく、現時点ではそう進んでいないのが現状だ。だから治るとはっきり断言はできない。原因としては様々だ。外的要因、例えば頭をとても強く何かにぶつけた事による記憶喪失。もしくは精神的ストレスが原因で記憶喪失となった人もいると聞く。その後として何らかの切っ掛けで記憶を取り戻した人もいれば、そのまま取り戻さずに一生を終える人もいた」


それからお父様は一呼吸置いて僕を見つめる。


「マシュー過去の記憶を取り戻した場合………記憶を失った時から思い出した期間に起こった事を忘れてしまう人が数多くいる。そういう報告が幾つも有った」


僕の隣で息をのむ音がし、僕の手を握ったアダム様の手に力が入る。


「忘れて…しまう?」


「ああ」


何を忘れてしまうのだろう。

記憶を失っていた間の事?

僕がアダム様に見つけてもらい、一緒に過ごした日々の事?

ジーク兄様たちと出会い、とても楽しかった時の事?

たくさんの人達に助けられ、幸せだった事?

ようやく会えたお父様やお母様やケネス兄様の事?

それらをすべて忘れると言うのだろうか?


「そんなはず有りません。僕はこうしてアダム様の事を知っている。ジーク兄様やお父様達の事も覚えている。そんな大切な人達の事を簡単に忘れる事など有りません!」


絶対に、絶対に忘れる事など有り得ない!


「落ち着きなさいマシュー、私は記憶喪失になった場合そう言う事例が有ったと言ったまでだ。全部の人が記憶を無くしてしまう訳では無いのだ」


お父様が何かを話しているけれど、今の僕は何も理解できず、ただ恐怖で胸がいっぱいになる。

もしアダム様がいなくなったらと考えるだけでも耐えがたいのに、もし全てを忘れてしまうなど、その時僕はどうすればいいのだろう。

いや、アダム様の事を知らない元の僕に戻るだけだろうけれど、それさえも想像が出来ない。

何も無い真っ白い空間の中にポツンと座り込み、何も考える事も出来ず、ただ虚無を見つめるだけ。

アダム様がいないのは、きっとそんな世界なのだろう。

僕はガタガタと震える手で隣に座る人にしがみ付く。

僕を抱しめてくれるこの暖かい胸や力強い腕が無くなってしまうのだ。


「い…やだ……、いやだ、いやだ、いやだ!」


「マシュー大丈夫だ、お前の事は離しはしない……」


耳元で囁くように呟いてくれるこの声も失ってしまうのだろうか。


「マシュー、よく聞きなさい。記憶を取り戻した人全てがそうなるとは言っていない」


「マシュー、もうこの話はここまでにしてお前は皆のところに戻りなさい」


「ア…ダム様も一緒?」


「あ…ぁ、そうだな。だがこの話はマシューにとって大切な話だと思う。続きは俺一人で聞いておくから、とにかく今は戻ろう」


僕にとって大切な話、それをアダム様に任せる。

また僕の面倒事を押し付けてしまう…。


「いえ…大丈夫です。僕一人で大丈夫ですからアダム様は戻って下さい」


何とか笑顔を作りそう言おうとするけれど、いつもの様に笑えない。


「いや、お前を一人などにはしない。クロード…いや父上、話の続きをお願いします」


「そうだな。先ほども言ったが、記憶を取り戻した時それまでの事を忘れてしまう人は確かにいる。値としては半々と言ったところだろう。だが忘れると言っても一部分を忘れてしまう人、一定期間の事を忘れる。又はあるキーワードだけ忘れる人など様々だ。もちろん全てを忘れてしまう人もいる。だが記憶を取り戻した時、全てを覚えている人だっているのだ」


「そうですか」


僕を抱きしめる暖かい人がそう答える。


「それにもし忘れたとしても、後々その間の事を思い出した事例もある。もちろん過去を思い出さず今の生活をずっと送る人だっている。だからねマシュー、そう悲観する事も無いのだよ。ただ、今後こう言う事が起こる可能性を知ってもらい、その時どうするかを考えてほしかっただけなのだから」


「ですが僕は忘れたく無いんです。たとえ記憶が戻らなくてもいい。アダム様から離れたく無い。お父様、そんな薬は無いのですか…」


「残念ながらない。有ればすぐに渡しているさ。マシュー、今は辛くて混乱しているだろうが今後の事をよく考え、二人でちゃんと話し合いなさい。それとね、私は一応医療従事者だ。色々君の話を聞く事もアドバイスする事も出来る。何か有ったら私を頼ってほしい」

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