第35話 クロエ
エリックを失い、主人の本心を知った私は離婚を望みました。
しかし、主人はいつまで経ってもそれに応じてくれませんでした。
私は何度も訴えたましたが、でも本気で向かい合ってくれないのです。
挙句、私の事を含め、最近全てがうまくいかないのは、勝手にいなくなったエリックのせいだと言い、当たり散らします。
私が愛した人は、これほど器が小さな人だったのでしょうか。
とうとう我慢が出来なくなった私は、こっそりと家を出ました。
それでもエリックの事が心配で、ワロキエ伯爵さまにだけは、何か分かった時に教えていただけるよう連絡先を残してきました。
追っ手が掛かることを危惧した私は、実家ではなく叔母の住むルネージュという大きな港町に逃げてきました。
大きな町なら人に紛れることも容易だと判断したからです。
此処に来て暫く経ち少し落ち着ついたある日、叔母の勧めで町に出てみる事にしました。
午後の日差しはまだ暑く、それを避けるよう私は日傘をさしました。
久しぶりの一人での外出です。
何故か何年ぶり、いえ何十年かぶりに、解放されたような気分です。
でも、いなくなったエリックの事を思うと心は沈みます。
あの子は今、何処で何をしているのでしょう。
元気でいるのでしょうか。怪我をしていないか、お腹を空かせていないか。
何と言ってもあの子もΩです。
虐げられていないかとても心配です。
そんな事を思いながら、いつの間にか私は港に来ていました。
そう言えば、エリックも海が好きだったわ。
キラキラ光る波と戯れ、兄弟でふざけ合い追いかけっこをしていたあの頃……。
とても幸せだったあの頃に帰ることが出来たならいいのに………。
ふと気が付けば、大桟橋に軍船が入港したようで、多くの人が船から降りてきました。
叔母の話では月に何度か給油のため軍船が寄港し、その度に多くの軍人さんが休憩していかれるようです。
降りてきたその人達は思い思いに町の中に散っていきます。
きっと特産物や家族へのお土産を求めて色々な店に行かれるのでしょう。
私はその様子をぼんやりと見ていましたが、次の瞬間ある少年から目が離せなくなりました。
「……エリック?」
エリック?エリックでしょ!?
私は何も考えることが出来ず、ただ彼の下に駆け寄ります。
「エリック!!」
でも、私は彼を抱き締めることが出来ませんでした。
突然現れた二人の男性に行く手を阻まれたからです。
「マダム。どういうお積りか」
冷たくそう問われます。
「あなた達こそ何をしてらっしゃるの。そこを退いてちょうだい!エリック!あぁエリック、心配しました」
涙がほろほろと流れ落ちるのも構わず、私は必死にエリックへと手を伸ばします。
しかし軍人相手では叶う事も無く、エリックを求める私の手は空しく宙を掻く。
でも離れた所に立つ当のエリックは隣の男性に抱きかかえられ、まるで怯えたような目で私を見ています。
「エリック!どうしたのです。お母様ですよ。お願いこちらに来て!」
「マダム、何を勘違いなさっているか分かりませんが、彼の名前はエリックでは有りません」
「そんな!エリックです。その子はエリックです!母親である私が間違えるはずが有りません!」
しかし私を遮るその男性は、静かに首を振り徐に口を開いた。
「マダム、彼の名はマシューと言います。マシュー・ギラン様。傍らに立つのはこの船の艦長であり、わが軍の少将であるアダム・ギラン侯爵様。マシュー様は少将殿の運命の番です」
「そんな……」
「そう、そして彼は私ジークフリード・ランセルの従弟でも有ります。彼の旧姓はエイムズ。カシールに住む、私の叔母の次男です。調べていただいてもけっこうですよ。それからこれを……」
そう言いかけ、彼は胸ポケットから一つの封筒を取り出しました。
「これは?」
「マシュー君に渡そうと思って、ちょうど持っていた物です。以前、彼の家で撮った写真です。渡しそびれていたのを思い出したのでね、彼に渡そうと持っていたのです。よろしかったらご覧になりますか?」
中から取り出したのは一枚の写真。
エリックを少し若くした少年が、笑いながら写っている写真がありました。
その少年抱き締めるように隣に居る女性は彼の母親でしょうか。
そして多分この子の父親であろう人と、もう一人の青年が映っていました。
気が付けば、いつの間にか近寄っていた少年が、その写真を覗き込む様にしています。
「ジーク兄様?」
「マシューも見るかい?君の家族を撮った写真だ。」
そう言って、その写真を彼に渡します。
「僕だ……。」
そんな…、それではあなたはエリックではないの?
此処に写っているのが本当にあなたなら、この写真の人達があなたの家族と言うのなら、あなたはエリックでは無いのですね。
こんなにそっくりなのに……。
それなら私のエリックは何処に居るの?
涙がはらはらと溢れてきます。
「あの…、これを…。」
マシューと呼ばれる子が、きれいなハンカチを私に差し出します。
そこには金色の糸で美しい紋章が縫い取りされていました。
きっと名のある貴族の物なのでしょう。
「あなたは……、今、幸せですか?」
私はそう問いかけます。
「はい、とても」
戸惑うことなく答えるあなた……いえ、マシュー様。
そして隣の男性を嬉しそうに見上げ身を寄せる。
エリックに似たあなたが幸せならば、暫くはあなたの事を思いだした時、エリックも今は幸せであろうと勘違いできるかもしれません。
「さて、マダム、私たちは所用が有りますので、これで失礼します」
そう言うと、マシュー様を含めた4人の男性は、町の方へと歩みを進めていきます。
そう…ね。あの子はエリックよりも、もっと艶やかで美しい。
そしてとても幸せそうだった。
エリックがあのような笑顔をしたのは一体いつの頃だったのか。
今となってはそれさえも思い出す事が出来ませんでした。
私はその場で立ち止まり、せめて彼たちの姿が消えるまでと見送ります。
すると、ふいにマシュー様が振り返り、私に向かって大きく手を振りました。
「さようなら!」
そう彼が叫びます。
その言葉を聞き、なぜか再び涙が溢れてきます。
拭っても、拭っても、止めどもなく流れ落ちる涙。
「さようなら。」
私もそうつぶやき、彼に向かって小さく手を振りました。
「ジーク、どういう事だ?」
「彼女の登場は予想外でした。まさか母親が此処に来ていたとは…」
「まあ、マシューと会ってしまったものは仕方がない」
「このあと彼がどういう反応をするのか注意しなければいけませんね」
「あぁ、暫くは不審に思うかもしれない。また気に病まなければいいのだが……。」
「何かある前に、消しておきますか?」
「お前なぁ冗談にしてもきついぞ」
「分ってますよ」
冗談に決まっているでしょう。
私だってマシュー君に嫌われたくありませんからね。
「それにしても、あの写真をよく用意したな」
「絵ですよ。」
「絵?」
「よく見ないと分りませんが精巧に描かれた絵です。あと数種類描かせている最中ですが、全て現在のマシュー君をモデルとした想像画です。そうそう、赤ん坊の頃の絵も描かせていますよ。お守りのつもりで1枚持って歩いていましたが、思わぬところで役に立ちました」
「そうだな。……それらを全部、2枚づつ描かせろ」
「二枚づつですか?時間が掛かりますし、どのみちマシュー君に渡すのですから、あなたの分などいらないでは有りませんか。」
「いいから描かせろ」
「まったく……仕方が有りませんねぇ、では全部3枚ずつですね」
「何だそれは……」
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3枚目は当然ジークの分です。
なお、立ちふさがった二人の男性のうち、もう一人はディック先生です。
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