第16話 結婚休暇
それからどれ程の時間が経ったか分からない。
ほんの一瞬だったのだったか、それとも思いのほか長い時間が経ったのか……。
いきなり僕の周りが明るく照らされ、力強い腕に抱きしめられた。
「アダム様…。」
僕を抱きしめたアダム様は顔色が悪く泣きそうに歪んでいた。
あぁ、僕はまたあなたに、そんな顔をさせてしまったんだ。
ごめんなさい、僕はあなたを困らせてばかりいる。
「マシュー!俺を置いて、どこかへ行ってしまったのかと思った……。」
そう言いながら、さらに強く僕を抱き締める。
「少将殿!」
足音がもう一つ慌てたように駆け込んでくる。
「ジーク、いた……。心配を掛けた」
「良かった、心配しましたよマシュー君」
「ごめんなさい…」
「で、具合はどうですか?」
そう言えば今は先ほどの熱が感じられない。
「一度は治ったと思ったんです。でもその後また苦しくなって、だけど…今は大丈夫です……」
「どうやらようやくお薬が効いたようですね。もう大丈夫でしょう」
「薬?」
僕はいつの間に薬など飲んだのだろう。
気が付けば、部屋にはもう一人の男性がいた。
年の頃は40代だろうか、手には大きな革製だろう黒い鞄を持っていた。
でも知らない方がいらっしゃるのに、アダム様は手を緩めようとしてくれない。
「あのアダム様、手を」
「ん?何だいマシュー、手がどうかしたか?」
そう言い僕の手を取り、その平をじっと見つめる。それだけならまだしも指先にチュッと口づける。
「少将殿、マシュー君は恥ずかしがっているのですよ。その手を解いてあげたらどうです?」
「いやだ」
「まったく…何て大人気のない。マシュー君、すいませんがもう少し付き合ってあげて下さい」
ジーク兄様は笑いながらそう言うけれど、多分アダム様の様子は僕が引き起こした事なんだ……。
「初めまして、私の名はジャック・スミス。この先の総合病院で医師をしております。今夜はジークフリード様の依頼により伺わせていただきました。」
「あ…は、初めまして僕の名前は、マシュー……」
いいのかな、いいんだよね……。
「ギランです」
そう言い頭を下げた。
とたんに僕に降り注ぐキスの雨。
「おや良かったですね少将殿、マシュー君はしっかりと自覚してくれたようですよ」
僕達の様子を横目にそう言うジーク兄様は、既に諦め切っているのかもしれない。
「さて、詳しい話は明日にでもしますが、今夜はもう休まれた方がいいでしょう。」
そう言いながらもスミス先生は、相変わらずアダム様の腕の中にいる僕を、器用に診察をされている。
「アダム様、スミス先生が診察して下さっているのですから、僕を離して…」
「あぁ大丈夫、病気の子供は母親から離れたく無い子も多いのですよ。こんな事はよくありますから慣れています。」
確かに僕は今病気なのかもしてないけれど、子供…子供って……!
「そうショックを受けずとも、子供と仮定されているのは多分少将殿の方ですよ」
スミス先生は反論もせず相変わらず優しく微笑みながら僕の診察を続けている。
つまり先生は、ジーク兄様の言葉通りと思っていられのだろうか。
「何とでも言え、俺は今気分がいいんだ。」
「なるほど、では罵倒するなら今がチャンスですね。あなたにそれを言いたい人は沢山いると思いますから連れて来ましょうか」
「やめろ」
「楽しくご歓談のところすいませんが宜しいですか?マシュー様は取り合えず今は落ち着かれていらっしゃいます。でもマシュー様、現在体が不安定である事には変わり有りません。何と言っても初めてのヒートですから体に変化が有ったら、すぐに身近な人に知らせなさい。まあ状況を受け入れるのはあなた次第ですが、医者としては、もう少し我慢していただいた方が賢明と思いますよ。」
スミス先生はちらっとアダム様に目をやり、アダム様は苦笑いを浮かべながら先生の話を聞いている。
「そういえば過去の記憶を失っているのでしたね。あなたにどれほどヒートの知識が残っているのか分かりませんので、明日もう一度診察に来た時にその事について詳しいお話をしましょう」
よかった、ヒートの事は漠然とした記憶しか無いのだ。
「スミス先生、少将殿は朝一番で役所に出向くと思いますので、出来れば午後お時間を取っていただけますか?何せ明日から1週間は新婚として休暇を取られると思いますから」
「なぜ一週間なんだ!俺は一月取れと命令したよな!」
「なに寝言を言ってるんですか。一月も取れるはず無いでしょう!?」
「だが俺はマシューと結婚したんだ!新婚なんだぞ!それを一週間だと!?お前は鬼か!!」
「人間ですよ。それとあなたの副官です。今この状況を一番冷静に判断出るのは私です。確かにマシュー君には申し訳ないと思いますが、あなたはもう少し自分の立場を自覚して下さい」
「そんな!マシューだぞ、運命の番だぞ!新婚なんだぞ!!」
「はいはい分かっていますよ。だからこそ、それだけの時間をひねり出したんです」
一週間の休み…、思いもよらないジーク兄様の言葉に僕の心は複雑にざわめく。
それは一週間もアダム様と二人だけで過ごせるという事と、そんなに長い時間、アダム様の仕事を僕が邪魔してしまうと言う事なんだ。
スミス先生は急患が入るかもと”楽しいお話の途中で中座するのがとても残念です”と帰って行かれた。
「アダム様、大変だとは思いますが、くれぐれも自分の行動に責任を持って下さいね」
そう言い残して。
僕にあまり理解できない話を、皆は当たり前のように話している。
僕も年を重ね、立派な大人になればその中に入って行けるのかな。
「とにかくだ、一週間など酷過ぎる。せめて二十日」
「無理です、一週間です」
「そ、それなら15日」
「だめです」
必死に訴えるアダム様がかわいそうになってくる。
でも僕の為に仕事を蔑ろにさせる訳にはいかない。
「10日だ!それ以上は譲れない!」
そう叫ぶように言われたアダム様に、ジーク兄様がため息をつく。
「仕方ありません、10日ですよ、今日から10日間です」
「きょ、今日からか!?」
「当たり前でしょ?結婚なさったのは今日なんですから。何か文句でも?」
「いや、無い。マシュー今日から10日間、俺達は二人きりだ。」
「はい」
嬉しい、物凄く。
でも僕は見てしまったんだ。
ジーク兄様がアダム様を見つめ、ニンマリと笑っている所を。
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