第8話 幸せな忘却 4
「まず一つ目は、マシューが誰かの養子に入る案だ」
「養子…。僕がどなたかの子供になると言う事ですか?」
「ああ、マシューに相応しそうな家は既に幾つか目星を付けてある」
養子に行くと言う事は、僕はやはりこの家を出て行くと言う事ですね……。
「そして、その家で体をしっかり癒し、マシューの体がちゃんと治ったら、
改めてその家から俺の所にお嫁においで」
「アダム様……僕を…お嫁さんにして下さるのですか?」
「マシュー?もしかして、俺の妻になるつもりは無かったのか?」
「プッ、ククク………。少将殿、あなたのそんな自信なさげな顔は初めて見ましたよ」
「空気は黙っていろ。」
「はいはい。」
僕はアダム様の背に腕を回し、その胸に顔をうずめた。
「アダム様、嬉しいです。僕、とても幸せです。」
「ああ、だがもう一つ俺の考えている案が在るのだが、聞きたく無いか?」
「いいえ、僕にはもうそれだけで十分です。」
こんなに幸せなのに、これ以上何を望むのだろう。
「そうか?だが俺はもう一つの方法の方がお勧めなんだが。」
えっ?お嫁さんになる以外の方がお勧めなんですか?
「マシューが養子に入らず、直に俺の妻として戸籍を作る事だ。」
「ア…アダム様………。」
「本当はどこかしらに養子に入った方が、マシューにとって後ろ盾が出来ていいのだが、少々手間と時間が掛かってしまうからな。どうも俺としては勧められないんだ。」
「つまり”待て”をするのが辛いと。」
「ジーク、口を挟むなと言っているだろう!
いやマシュー、もちろん俺は早くお前が欲しい。だがお前の体を気遣う常識ぐらいは備えているつもりだ。だからマシュー、ゆっくり休んで早く体を直しておくれ」
「それは当然の心遣いですよね。養子に出すとは、少しの期間あなたから離れると言う事。あなた一瞬でもマシュー君を傍から離す事が嫌なんですしょう?変なかっこなど付けず、はっきりと言ってあげればいいのに。ほらマシュー君が泣き出してしまいましたよ」
「だから、空気はうるさい。マシューどうした?もしや俺の妻にはなりたくないのか?」
いいえ、違うのです。嬉しすぎて涙が止まらないのです。
「僕はアダム様のお嫁さん?」
「ああ」
「妻?」
「そうだ」
「嬉しい、幸せです、夢みたいだ。もう死んでもいい」
「それだけはだめだ」
「そうですね…」
ただの言葉の綾だとしても僕はまた迂闊な事を言ってしまった。
「さあ、本当に今日は此処までにしましょう。お疲れになったでしょう?私は退散しますよ。そうだ少将殿、お話が有るのですが少しよろしいですか?」
ジークフリードさんは、先ほどから持っていた書類ケースをすっと持ち上げ、
アダム様に示した。
「分かった。マシューすぐ戻るから、横になって休んでおいで」
そう言うと、アダム様はまた僕を抱え、ベッドに戻してくれる。
「そうだマシュー君。神からの贈り物です」
「はい?」
「あなたの名前の意味ですよ」
えっ、えぇ~~~~!
「名前の意味など気にしなくていい、今はもう俺のマシューだ。
さっ、少しでも目を瞑って休んでおいで」
そう言って僕のおでこにキスをし、肌掛けをきちんと直してからアダム様は出ていかれた。
どうしよう、とんでもない名前をいただいてしまった。
でも、僕はアダム様のお嫁さんになるんだ。
お嫁さん……。お嫁さんになる…………。
何故だろう、急に心臓がバクバクしてきた。
もし裏切られたら今度こそ生きていけない。
何故かそんな考えが溢れてきて止まらない。
それならば、いっそ裏切られる前に消えてしまおうか。
考えれば考えるほど、これが不自然な出来事のように感じられる。
滲み出る冷汗をぬぐい僕はベッドから足を下ろした。
見れば窓の外には、海鳥が飛び交っている。
「君たちは自由なの?幸せ?僕は今度生まれ変わったら君たちの仲間に入れてもらえるといいなぁ。」
僕はベランダに裸足のまま踏み出し、両手を空に差し伸べた。
「マシュー!?」
いきなりテラスから引き戻され、アダム様にきつく抱き締められる。
「アダム…様…?」
「いったい何をしているんだ!マシュー‼」
僕を抱きしめながら、アダム様が震えている。
僕は一体何を……。
「ご…めんな…さい」
アダム様は僕を掬い上げると、無言のまま足早に僕をベッドに横たえた。
その後、ベランダへの扉の鍵をしっかり閉めに戻り、
それでもまだ安心が出来ないとでも言うように、部屋中のカーテンを全て閉める。
どうしよう、僕はまたしくじってしまった。
アダム様の顔を見るのが怖くて頭の上まで肌掛けを引き上げた。
やがて、ギシッとベッドの軋む音とともに、僕は肌掛けごとアダム様の大きな体に包まれた。
「マシュー、何がお前をそんなに苦しめているんだろう」
怒らないの?僕を責めないの?
「もし、結婚が嫌ならばしなくてもいい。そんな形に捕らわれずとも俺にはマシューしかいないし俺はマシューのものだ。傍らから絶対に離れない」
そう言うアダム様の体は、まだ微かに震えている。
貴方をそんなに不安にさせてしまったのは、僕なんですね。
「ごめんなさいアダム様。僕、怖いんです。なぜか無性に怖くなってしまったんです」
そう言いながら肌掛けから抜け出し、アダム様に縋り付く。
「この幸せが失われてしまったら、僕は壊れてしまう。もう生きていけない。そんな気がするんです」
「いいかいマシュー、約束してくれ。もし我慢が出来なくなって、生きていくのが辛くなったら、必ず俺に教えてくれ」
「アダム様?」
「その時は、俺も一緒に逝くから。一人では絶対逝かないでくれ」
「駄目です!そんな事!」
「だが、辛いのだろう?俺たちは運命の番だ。お前が一人で逝ってしまったら、きっと俺は抜け殻になってしまう。生きる意味すら無くなって、辛いどころでは無くなるだろう」
「そんな訳…」
「自惚れる訳ではないが、もし俺が先に死んだらマシューはどうする?」
アダム様がいなくなってしまったら…もし死んでしまったら…………。
そんな事は考える事すらできない。
いや、僕はきっと狂ってしまう、そして死すら選べなくなってしまうだろう。
「ダメ!ダメです!死んでは嫌です!アダム様!」
「少しは俺の気持ちが分かってもらえただろうか」
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
「いいんだ、分かってくれればいい。マシュー、マシュー」
アダム様は僕に口づける。
唇に、目に、首筋に、胸元に……。
「だめだ、すまないマシュー我慢できなくなる…」
アダム様は一息つき、ほんの少し離れてから僕を真直ぐ見つめる。
「マシュー、忘れてしまいなさい」
「えっ?」
「きっとマシューには、過去に何かしら辛いことが有ったのだろう」
「そうなのでしょうか…」
「多分マシューは、ほんの少しだけ残っている記憶を鍵に、
過去を思い出そうとしているんだ。
だが、これからはもう俺だけのマシューだ。忘れてしまいなさい。
不要な過去などイラナイ」
「そう…ですね」
僕は微笑みながらそう答えた。
マシューに、こんな苦しみを植え付けた奴を、俺は絶対許さない。
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