七章 「あの日私に起きたこと」

 私が黒瀬諒の未来が見えるようになったのは、今から一年半ほど前のことだった。

 それが全ての始まりだった。

 いつもと変わらない日だった。その日は雨が激しく降っていた。

 梅の花が濡れて、どこか悲しさがある。

 会社に行くために、私は急いで駅に向かっていた。

 ただ私が生と死を同時に感じたこと以外はいつもと変わらない日だった。

 私達は生きていく上でこんなにもたくさん選択肢があるのに、死すらも自分で選べない。

 それは突然やってきた。

 たくさんの偶然が重なったのだと思う。私が何かにつまづいたこと、たまたま急いでいる人にぶつかり吹き飛ばされたこと、駅のホームの落下防止用の柵がないところだったことなどいくつも些細なことが重なり合って起こった。

 私は何も考えることができないうちにホームに落ちていった。

 落ちていく。

 電車が私の方に近づいてくる。風景が次々に頭に突き刺さるように入ってくる。なんだかわからないけど痛い。

 その時、ホームに立っている黒瀬諒と目が合った。

 もちろん、面識なんてなかった。

 死にゆく私にとって、彼は一つの風景のようなものなのに、私はなぜか彼から目を離すことができなかった。

 前に彼に一目惚れと話したけど、それはあながち間違っていない。彼を見た時その目に吸い込まれた。特別な何かを感じた。

 その姿はただとても美しかった。

 彼が最後に見た風景かと思っていると、走馬灯のように黒瀬諒の未来が頭に入ってきた。

 それはまるで私の未来のように、鮮明で静かに入ってきた。

 やがて、光りとなって私を包んだ。

 私は奇跡的に無傷だった。

 生を感じるのはいつも死を感じた時というのは皮肉なものだ。

 目が覚めたとき、生きていることを感じてもっと生きたいと涙が出た。

 会ったこともない黒瀬諒という男に救われたことは確かだ。

 私は今でもそう感じている。

 あのときあの場所で黒瀬諒と目が合っていなければ、確実に私は死んでいただろう。

 未来が見えたから助かったなんて、誰も信じないと思う。でも私は彼のおかげで助かったと言う確信があった。

 人の未来がわかるというのはすごく重いことだと思った。そして痛い。未来がわかっているから、その人がどこかで苦しんだりするのもわかっているから。その時私は何ができるだろうか。何もできずにただ知っているだけかもしれない。

 仮に未来を変えたとしても、未来を変えた先がどうなるかわからないし、そのせいで余計に不幸になるかもしれない。

 そもそも相手の意思を聞かずやっていいものではない。でも見ず知らずの人にいきなり「あなたの未来が変えられるのです」と言われても、変な人だと思われておしまいだ。それぐらいは考えなしの私でもわかる。

 それでも私は諒の未来を変えることを選んだ。変えられない未来の方が多いけど、変えられるものは変えたい。彼の未来はこのままではあまりにも不幸なものだから。命の恩人が不幸になっていくのを知っていて、ほっておくことなんてできなかった。

 最初はそんな気持ちだけだった

 でも未来を変えることはとても難しいことだった。

 黒瀬諒がどこにいるのか知らなかった。さらにどうやって未来を変えていいかわからなかった。

 色々な方法を考えてみた。やっぱり未来がわかるのも楽じゃない。占いなどでいたずらに知っていいものではない。

 そして、彼のそばにいて、未然にそれが起きないように私が新しい行動をしようと思いついた。

 だから彼の未来のために、私達は出会う必要があった。しかも私という今まで彼の人生にいなかった人が加わることで、未来が変わるかもと思った。 恋人という特別な関係になることで効果はなお期待できそうだ。しかし彼が不幸に飲まれてしまう前に、早くに出会わなければいけない。

 だから私は、彼の未来を変えるためにあの日いきなりあんな風に話しかけたのだった。

 初めは恩を返すという気持ちだけだった。

 彼がもし私のことを好きになってくれなくてもよかった。未来を変えられるだけでよかった。

 私は彼を知ってくうちに彼の誠実さと人を幸せにする笑顔に惚れて好きになっていった。

 今は愛する彼のために、彼の未来を変えたいと思っている。

 彼が好きだから、守りたい。

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