第2話 その小さな幸せは……

 懸賞金二十億……。


 こいつ、そんなにヤバい殺し屋なのか?

 ふと、キッチンに立つ妹を見やる。


 ——シュッ! タンタンタンッ! シュパンッ!


「~♪」


「うわっ……」


 軽快に刃物がまな板を叩く音が響き渡る。

 そして、時折空をも切る音が入り込む。

 小さくタイトめなステンレスの果物包丁をくるくると右手で躍らせ、華麗なナイフさばきで野菜をカットしているエリィ。


 え、料理であれやる……?

 俺が頬を引き攣らせてドン引きしていると、エリィ不意に振り返った。


「……どうかした?」


「あ、いや、えっと」


 そのナイフさばきは戦場でやるやつだろ、妹。怖えよ。


「あぁ、ごめんなさいお兄さん。手癖なの」


「あ、そう……」


 いやそうだろうけども。


「そんなにびっくりしなくても。お兄さんも殺し屋なんでしょ?」


「まぁそうだけど」


 とはいえだ。懸賞金二十億が目の前で刃物振り回してて平然としてられる奴なんかどこにいるんだ。

 エリィは一度包丁を置いて、エプロンで濡れた手を拭いたあと、なにやらスマホをいじり始める。


「あ、あった!」


「へ?」


 レシピか何かを探していたのか、画面をスクロールしていた指先を止めて何やら表情を明るくするエリィ。

 すると、その画面を俺の方に向け、にっこりと微笑んでこう告げた。


「黛大我、懸賞金二千万——お兄さんもなかなかやるじゃない」


 さっき俺が見たサイトと同じものだった。

 俺は知らなかったけど、この界隈では有名なサイトなんだろうか。


「そ、そりゃどうも……ってか、それがどうかしたのかよ」


 なんだよ。急に嫌味か。お前の百分の一だよ。


「ううん、別に。あんまりにも不思議そうに私のこと見てるから。もしかして部屋間違えちゃったかなーなんて気になっちゃって。人違いだったらまずいし?」


 エリィはポケットにスマホをしまい込んで、またシュンシュンと包丁を回転させながら握り直し、今度は肉塊のカットに取り掛かかる。

 人肉じゃないだろうな、それ。


「人違いじゃない。俺は殺し屋の黛大我だよ……」


 こんな自己紹介が当たり前な人間なんて俺達ぐらいなんだろうなぁ。


「ならいいんですけど、そうじゃなかったら……」


 言いかけたエリィの声色が、一段階下がる。

 肉の筋にずぶりと刃先を埋めながら、エリィは続けた。



「殺してた」



「……っ!」


 異様なまでの殺気に、俺は思わず身を竦めて後ずさる。

 俺より体も細くて女で年下なのに、この威圧感は紛れもないプロの殺し屋のそれだ。

 懸賞金二十億……、一体今まで何人殺してきたらそうなるんだろうか。

 俺はソファに座り直して、一度深呼吸を挟む。

 大丈夫だ、俺たちは同業者で家族。命を取り合うような争いをすることなんか絶対にない。 

 そう自分に言い聞かせていると、何やらいい匂いがキッチンの方から漂ってくる。


「お、ビーフシチューか」


 ソファーから立ち上がって俺がそう声をかけると、エリィが自慢のブロンドを揺らしながら無垢な笑みを湛えて振り返った。


「うん! もしかして、苦手だったりする?」


「いや、そんなことはない。むしろ大好物だよ」


「それならよかった! もう少しでできるから、お兄さんはそこで待っててね」


「おう」


 なんだ、やっぱりこうしていれば普通に女の子じゃないか。

 あまり変に考え込むのはよそう。相手は標的じゃない。家族だ。妹だ。


 気が付けばエリィの両手には刃物は握られておらず、ピンク色のミトン手袋に覆われていた。

 わざわざあんなものまで持ってきているなんて、よっぽど料理が好きなんだろう。

 いい匂いがするし、きっと腕もいいんだろう。

 数分後に運ばれてくる妹お手製のビーフシチューがどんな味なのかと想像を膨らませると、腹の虫が騒ぎ出す。


 こんな当たり前の日常に、俺はずっと憧れてたんだっけ。


 それに手作りの料理なんて、小さい時以来ずっと食べていない。実に久しぶりだ。


「お兄さん、できたよー!」


「お疲れさん。初日からどうもな」


「えへへ、ありがとっ」


 奇麗な、無邪気な笑顔だ。

 つい笑みが漏れて、俺はエリィと二人で食器の用意に取り掛かった。


 突如としてできた義理の妹との、最初の食事。

 

 こんななんでもない小さな幸せがずっと続いてくれればいい。

 そう思っていたのに。そんな想像ばかりが膨らんだのに。





 ——この後俺は、人生で初めて死にかけることになる。








 

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