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★[2021]


 それは突然やった。ひとり暮らしのマンションの部屋に黒光りしたエナメル素材でできたような全身ぴちぴちスーツ姿のバケモノ──頭と顔が長く、緑に輝くふたつの目──が現れたと。

 あたしは叫んでいた。


「なん急に人の家に入ってきようと! 出て行き!」


 そいつは言った。


「やあハルカ。これから地球を征服するよ。OK?」


 こわ……なによこれ、これ現実? もしかしてこいつがビオレッタの言ってた、あたしを狙う侵略者?

 怖かったけどあたしはとりあえず拒否した。


「や、OKじゃあない。帰んな!」


「じゃあYou、私と勝負したまえ」


「じゃあって何。消えな!」


「勝負から逃げると?」


「てか、国連に行って。こんな一般市民になん言いようと?」


「あれ? You、この星で生まれてこの星で育ってきた人類だよね? Youこそ何を言ってるんだい?」


 話が噛み合わずあたしはイライラする。


「勝負ってなんの勝負?」


「最近将棋を覚えてね。一発勝負の将棋で決めよう。君が勝てば計画はいったん休止し五年後にまた来よう」


 勝手なこと言いようが!


「そげん勝手なこつ言われてもルールを知らんのやけど。将棋ならプロ棋士のとこ行き!」


「言ったろ、最近覚えたって。ずぶの素人じゃないと勝負にならない」


 そう言ってそいつはあたしに向けて人差し指を差し、その先端を光らせた。

 不思議だった。頭のなかで何かが破裂したように将棋盤と駒のビジョンが瞬いて、一瞬のうちにあたしは将棋のルールと基本的な戦い方を理解していた。攻めと守りのやり方が頭のなかで駆け巡り、そして一瞬のうちにそれは整理され、ひとつにまとまる。


「これで同レベルになった。これはインドを起源とするボードゲームの歴史が凝縮された競技だ。この星の運命を決めるにふさわしい戦いになると思わないか?」


「はああ? そもそもなんであたしなん? なんであたしが背負わないかんの?」


「あれ? Youってアイドルじゃなかった?」


「いまは歌手。……カテゴリーとしては一応まだそこにいるけど」


「だよね。常人には背負えないものを背負うのが本物のアイドルのはずだ。だからアイドルという称号を得たはずだ。でなければ偽物だ」


 あたしは黙った。返す言葉が思い浮かばなかったから。


「君は本物であり本物であるがゆえに私は君に勝負を申し込んでいる。30にしていまだリアリティを持ってその分野に身を置けている君にね。ふつうはその場所から逃げるか限界が来るかなんだが」


「そのことと人類の代表として戦うことは別の話やろ」


「そう言うだろうと思って」と言ってそいつは後ろから銀色の鳥かごのような物を出してテーブルに乗せた。鳥かごのなかにはうすいピンク色の人形みたいな──ビオレッタだ。


 ビオレッタが閉じ込められている。檻のなかの彼女は口を白いテープみたいなので封じられていた。うー、と彼女は声を漏らしている。


「勝負を拒絶するならこの生命体は消す。受けるなら解放しよう」


「そうまでしてなんであたしなん?」


「受けるのか受けないのか」


「受ける。だって友達やから。その子は」


 ビオレッタが銀色の鳥かごから解放された。出ては来たがそこで立ち止まり口を塞いでいるテープを剥がそうとするが剥がれない。


「ビオレッタのテープを取りなさいよ」


「そいつはキーキーとうるさいのでね。君が勝てば取るさ」


 ビオレッタに向かいそいつは言った。


「お前は黙ってそこで見てろ。動けばこの儀式は無効にする。せっかくのチャンスをハルカから奪うな」


 彼女はへなへなと崩れるようにしてその場にへたり込んだ。あたしと彼女はメンタルで繋がっているから彼女の無念があたしの胸に伝わってくる。自分の無力を詫び、彼女は嘆いていた。ごめんなさいハルカと。

 謝ることはない。あんたのせいじゃないんだから。


 黒エナメル野郎が言った。


「君の先攻でいい。始めよう」


 いつの間にかリビングの床に脚付きの立派な将棋盤が用意されていた。

 人類の命運がかかった一発勝負。あたしはただ全力で対局に挑むだけ。

 盤を挟んで向き合って座り、駒を所定の位置に置いていき、あたしは深呼吸をした。


 何がなんだかわからないけど、勝負は受けて立つ。

 あたしにはわかった。目の前にいる生き物は嘘は言ってない。侵略も、自分が将棋の初心者であることも本当のことだ。


 あたしに食らわせた光はあたしの潜在能力のすべてを引き出している。嬉しさで震えがくる。体の奥から力が湧き上がってくる。

 人間ってすごい。こんな力が眠っているんだ。


 対局が始まった。


──どれほど経ったか、あたしにはわからない。無我夢中であたしは勝負に集中した。序盤から中盤までは互角だった。しかし、あたしはいつしか防御に専念するしかなくなった。


 その防御も力を失っていき、あとは王を逃がすしかなかった。上方に逃げ、さらに王手を上方に回避し、それを繰り返した。やがては相手の陣地にまで入り込み──そこで詰まされる。


「敗けました」


 あたしはそう言ったあと、胸のなかで人類に謝った。

 ごめんね人類。


「さて、命運は決したな。だが安心しろ。この世界は新たな世界になる。この星は生まれ変わる」


 あたしは茫然とするだけだった。


「そもそもこの星の文明の始まりは我々の祖先が火星の人類をこちらへ移植したことが発端だった。その意味で我々には終わらせる責任もあるわけだ」


「何の……」

 あたしは怒りを込めて言った。

「何の権利があんのよ」


「牛や豚やにわとりにそう訊かれたら君は何て答えるんだろうね。ま、我々は君らを補食したりはしないが」


「地球を征服してどうするの?」


「現状の文明を滅ぼし、そのあとは未定だ。私個人が決めることではない」


「あんたは……何なの?」


「我々は試す。観察する。生まれてくる文明からエナジーを得る。これらは精神的な喜びだ。生命体は何のために生きる? 喜びを得るためだ。その点は我々も君らも同じだ」


「勝手なことを」


「台風も地震も洪水も火山の噴火も、そのどれもが勝手だよ。……さて、君は敗けはしても儀式を果たしたのでひとつ願いを叶えよう。可能な願いなら叶えよう」


「ビオレッタはどうなるん?」


「人類の精霊だからね。運命共同体だ。……なぜにそいつの心配を? つい最近知ったばかりだろ」


「ずっとそばにいたのに、あたしは彼女に気づいてやれんかった。守ってくれてたのに」


「ああ……なるほどね」


「それ以外は一片の悔いなし、よ」


「わかった。彼女の処置は考えよう。できるだけのことをすると約束しよう」


 あたしは覚悟を決めた。


 あたしの人生に悔いはなかと!

 いい人生やった。突っ走ってきた、いい人生やった!



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