第8話  7

 夏の焼き場は暑い。

 焼き場の前に立っていた加山さんが、汗を拭きながら振り向いて

 「よぉへいちゃん。ちょっと替われ。」

と命じてきた。狭いカウンターの中でお互いの体をうまく交差させて場所を交代する。パチパチと火が爆ぜる中、ほとんど焼きあがった串を持ち、タレの入った壺に漬けてからまた焼き場に戻すとタレが火元に滴って煙が上がり、周りの温度が上がった。汗を拭いながら焦げつかないように気を付けて見ていないといけない。レバーや皮は火の通りが速いが、鳥モモや軟骨は火が通りにくい。焼き場にも、火が強い場所や弱い場所がある。その火の強弱を把握して、いかに同時に焼き上げられるかが腕なんだぞ。と教わった。

 店の奥に置いたテレビでは、朝7時のニュース番組が流れており、髪の長い女性アナウンサーが原稿を流れるように読み上げている。

 そのテレビの横の壁にかけられたカレンダーは「8月」が、自分の下に日付の数字を従えている―。


 あの「トラップワイフ」の公演が終わって、二カ月以上が過ぎた。

観劇した他の劇団の人が「なんだあの警察官の新人は? いて座はイイ新人俳優が

入ったなぁ」とは言ってなかったようだ。マスターの加山さんは、公演前に「公演がいつなんだ」とは聞いたが、観には来なかった。ただちょっと聞いてみただけみたいだった。

 そんな感じで、何も無かったかのように、今も全く変わらずに「焼き鳥屋の兄ちゃん」をやっている。

 僕の方はそんな感じだが、いて座では・・・劇団を辞めてしまった人が何人かいる。僕と一緒に警察官をやった若い男性も辞めてしまった。警官二人でダメ出しされ続けたのは僕の方なんだけどな、とは思った。辞める理由は人それぞれだが、仕事や家庭が忙しくなって続けられなくなったり、劇団のやり方に不満を持って辞めたり、役者として入ったのに思ったより出演させてもらえないから辞めたり、劇団の活動がつまらなく感じてしまったり、とかが主な辞める理由みたいだ。―確かに、同じメンツで同じことは二度と出来ない。だけど、去る者いれば来る者ありで、何か月か前の僕みたいな新人が緊張した顔で稽古場に見学に来たりもしている。

 公演が終わった時にやっぱり考えた。さあこれからどうしよう? やっぱり目標は「映画監督になって日本映画界の救世主となる」なのだが、芝居作りは映画と通じる所も多いし、まだ学べる部分もたくさんありそうだ。マア楽しかったしなと思いながらズルズルと稽古場に通っているうちに、発声などの基礎稽古の日が何回か続いて、そして次回公演の演目が決定した。

 次回公演は「きれいな口紅」という日本の戯曲だ。戦争中に戦地へ行く兵隊の男性に恋をした女性が、親友もその男性に恋心を持っていると知ってしまう。そして、現代の初老となったその女性に起きた出来事。という昔と現在の二元的なストーリーだ。

 実は、今日の夜の稽古で、誰がどの役となるかというキャストが発表される予定だ。脇役やチョイ役が何人か出る芝居で、誰でもチョイ役になる可能性がある。前回に新人で出た僕がまた続けてキャストになれるかは分からない。でも発表はやっぱりドキドキするものだ。

「僕の俳優としての天性の才能を田丸さんは見抜いて、次回作で異例の主役に抜擢とかあるのか?」

 と妄想をして楽しんでいるが、人に話す度胸は無い。―とか言っているうちに、やっと鳥モモに火が通った。大皿に全部を並べて、「お待たせしましたぁ」とカウン

ターのお客さんに渡す。

 劇団に入って、一個だけ分かったことがある。

 「天性」だとか「才能」だとか「向き不向き」だとか「みっともない」だとかは、どうでもいい。

 人生、やったもん勝ち。という事だ。

 僕自身、今回舞台に立つというのをやってみただけで分かった事がたくさんある。その情報は、いくら机の上で俳優や演技について勉強してみても分からなかった事だろう。どんなに偉そうに知識を並べても、やってみないと分からない。

 やって、こりゃ自分に合わないと思ったら、逃げればいい。逃げた後でどう言われようと、もう自分がいないんだから知ったこっちゃない。そしたら、また別の「何か」を探せばいいだけの事だ。

 と、ラークマイルドの煙を吐き出して考えていると「はいいらっしゃーい」とマスターのど太い声がした。暖簾の方を見ると、もうべろべろの瞳をした男女が「マスター!イエーイ」と入って来た。

 あ、あのお客・・・いっつもトイレでげろ吐くんだよなぁ。

 「いらっさいませー」


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