第7話  6

 長方形に並んだテーブルの、短い一辺の主座テーブルに座った田丸さんが立ち上

がって、打ち上げ開始前のお言葉のようなものを滔々と語っている。

 その後で、来賓の人のお言葉。昔に劇団に入っていた人とかが語り始める。

 僕はすみっこの席に座って、稽古場の中央、長方形の真ん中にあるテーブルに目をやった。テーブルの上には、いろいろな人がお祝で受付に持ってきた日本酒の一升瓶が並んでいる。アアあれは店で出してる結構イイ酒だなぁ。あれは安いのだ。あっちは知らない銘柄だなぁ。こんだけあれば足りるのか? そう言えばビールは冷えてんのか? となんだか頭が仕事モードになっていた。

 「じゃマアみんな早くしろって目で見てるからよ。それでは、グラスを持って。

  おつかれさまぁ。かんぱーい!」

 という田丸さんの掛け声でみんなカチャカチャとグラスをぶつけ、おつかれーと声を掛け合っている。誰もの顔が、ひとつの事が終わったという解放感にあふれて、そんな気持ちを他の人と共感したい、と上気していた。最初に座っていた席なんか本当にその瞬間だけだったかのように、乾杯の後は何人もワラワラと立ち上がって、自分の共演者だったりお世話になった人だったりというお目当ての人に近寄って話している。そんな雑然としている中でトラックを戻しに行った増井さんが戻ってきて、二度目の乾杯が行われた。

 「奥村君、あんた、お疲れさんね」

 という声に横を向くと、菊池さんが瓶ビールを持って立っていた。アすいません、と言ってグラスを差し出すと、トクトクと注いでくれた。

 「どうだったの? 初舞台は?」

 ああそうか初舞台だったなぁと思い出しながら、「ハア、まああんまりうまく出来なかったと思います」と答えた。

 「そう? でも警察官に見えてたよ。」

 コレは・・・・はげましのウソだ。初舞台だったから自信つけさせようとあえて

上手く出来たかのように言う的な・・・

 「あ、アリガトウゴザイマス。」

 菊池さんは、自分の言葉に納得したので満足したのか、うんと頷くとがんばんなさいよと言葉を残して、ビール瓶を持ったまままたのっしのっしと他の人に近づいて行った。コップに入ったビールを飲みながら、自分の周りをぐるりと観察してみた。この時の演技は良かったとか小道具大変だったねとかあちこちで語り合っている。みんなやり切ったとかがんばったとか思っているんだなぁ。俺は演技って言えるほどのものじゃなかったんだろうし、建て込みとかの作業も釘打ち失敗ばかりだったし、満足とかよくやったみたいな充実した気持ちなんかには到底なれないなぁ。それに職業病なのかもしれないけど、飲んでもどんどん頭が落ち着いてきて、お酒は足りてるかとか誰が酔っ払いだしたのかとかを考えてきている。でもまあ、全部が終わって、このビールを口に運んでいる瞬間、「なんだか気持ちがいい」事だけは確かだった。

 

 宴が進んでいくと、もうイスに座らずに床に直座りして車座になって熱く演劇論のようなものを語りだす人たちが出てきたりした。しかしまあ、名前もよく知らない「打ち上げ」だけに来る人って多いものだ。バラシをちょっと手伝いましたって人もいるが、中には、何の作業もやらずに声をかけられたから来ましたってのに堂々と酒飲んで酔っ払って、劇団員よりも偉そうにしている人までいる。こういう人はあまり関係のないにぎやかな酒の場にタダで来れて楽しめるんだ。落語の「居残り」みたいな人だな。とか思っていたら、赤い顔をした松岡さんが近づいてきた。

 「奥村君。おつかれおつかれ。ろうでしたか? 初めての舞台は」

  ↑酔ってるだろ。

 「いやー。いろいろ勉強になりました。」

 「べんきょ! えらい! 若い人はそうじゃにゃいといけませんよ。」

  ↑酔ってるよね?

 「すいません。全然戦力にならなくて。」

 「そんにゃことありませんよ。君たち若い人が、これからがんばってもらわにゃいといけないんだから。」

  ↑絶対酔ってるって。

 「はい。じゃあ、今度はもうちょっと働けるようにがんばります」

 「そう! たのむよ! ペンキ屋モウつかれた! だからちゅぎもね、よろしくおねがいしましゅヨ」 

  ↑ハイもう酔ってる確定ね。

 「・・・分かりました。」

 松岡さんは手を水平チョップにして、おでこにトントンと何度か当てている。何だ?と?マークの表情で眺めていると

 「これがわかりましぇんか? ダメだなぁ警官の癖に。これはねぇ、敬礼ってものなんでしゅヨ。敬礼。」

 ↑ああ・・酔っ払い。

 はあ、と一応やんないといけないのか?とで、とりあえず同じようにおでこに手を当てると、松岡さんは焦点の合わない目でもう一度敬礼して返すと、どこかに行ってしまった。

 「奥村。オイ!」

 今度は誰だと思い声のする方を見ると、田丸さんが主席に座ったまま呼んでいる。近寄って「なんですか?」と言うと、いつもは厳しい顔なのに、妙にニコニコした

えびす顔で

 「あんた、今回初舞台だったけどな、でも最後は警察官に見えてたよ。」

 と褒めてきた。普通はこう言われたら「やった」「俺の役者の才能が認められた」とか喜ぶべきなんだろう。なのに悲しいかな職業病。笑顔の田丸さんの目線は泳いでいて、グラスに入っていたのは日本酒。これまた酔っ払って気分が良くなったからあいつにも一つくらい言っておいてやるか。的な発言なんだろうと分かってしまった。

 「奥村君さ。土曜日の昼の公演の時、いっとう最初に出る時に笑ってたよね?」

 と鋭く言ってきたのは川村さんだ。そうかこの人プロンプで舞台袖に常にいてずっと観ていたから気づいたんだ。

 「そうスね。笑っちゃいました。」とココは認めた。川村さんはどうもマジメ色が強く、深夜の居酒屋で働いている僕とは住む世界が違う感じがしてなんだか関係が一歩踏み込めない。反論するよりは相手の言う事を聞いておく方を選んだ。

 「警察官が容疑者の所に踏み込む時に、笑っちゃダメでしょ? プロンプで見ててさ、警官何笑ってんだとか思ったよ~。」

 「すません。」と謝りながら、ちょっとぐらい笑っただけでグチグチ言うんじゃねえよ。と全く反省していない自分がいて、それはそれで自分にちょっと笑いそうになってしまった。

 「初めてだったんで、今度気をつけます。」

 「俺より初舞台早かったんだからさ。今回サ、初舞台、入ってすぐ出来て、良かったね。」

 少しの喋り言葉の中に初舞台って単語を二個も入れてきた。なんだやっぱり自分より後輩の癖に先に舞台立ちやがってって思ってたんだな。しかしまあ、最後の「良かったね」は全然「良かった」って気持ちが入ってなかったぞ。うー、怖いねぇ。


 夜の10時を回る頃に、ゆっくりと田丸さんが立ち上がり、「オーイそれじゃみんな」と号令を出した。ざわついていた喋りや笑い声が「オーイ」と言われるたびに次第にボリュームが落ちていき、やっとのことで静寂となる。

「まあ宴たけなわのトコだけど、時計は止まっちゃくれねぇからよ、じゃあそっちの方に集まってみんなで記念撮影して、一回締めとします。」

テーブルを出来るだけ端に寄せて、全員で壁の方にギュッと詰まって写真を撮った。にぎやかにパシャリパシャリと終えると、田丸さんを中心に丸くなる―。

「・・・それじゃあ何とか今回の公演も無事終わって、また次回という事で、今回の成功と次回の公演の成功を願いまして、三本締めで締めさせて頂きます。じゃあいいか?それでは皆様! お手を拝借! ヨーオォ!」

 パパパン、パパパン、パパパンパン。

 イヨ!

 パパパン、パパパン、パパパンパン。

 モいっちょ!

 パパパン、パパパン、パパパンパン!

 稽古場の中のいろんな気持ちが合わさった三本締めが響くと、あちらこちらからパチパチとした拍手とお疲れ様の声が飛び交う。じゃあ一回目の締めだから、残りたい奴らはまだ残ってても構わないからよ。という上機嫌な田丸さんの声が聞こえた。

 他の人に混じって、簡単な片づけを手伝っている時、座ってイカのするめを齧っている増井さんと目が合った。増井さんの口が動く。

 「た・・し・・・た・・・ヨ」

みんながざわついてるし、ちょっと距離があるしで聞こえない。「ハ?」という表情を見せると、また口が動く。

 「た・・しか・・・た・・・ヨって・・てんだ」

やっぱ聞こえない。もう一度、「エエ?」て顔をした。

 「たくもぉ・・・がねぇなぁ。・・・・たかよって聞いてんだヨ!」

わからん。しょうがないので近寄っていき「何ですか?」と聞いた。

 「・・・ったく何度言っても分からないんだもんなぁ。嫌になっちゃうよ奥村ちゃぁん。」

 とぼやきながらまたするめをクチャクチャしている。増井さんは下戸なので、いつもと同じ顔だ。またこのおっさん怒んのか?とちょっと身構えた。

 「あのな―」

ア来るなこれ。釘打ちの事か? 演技の事か?

 「・・・楽しかったのかヨ?って聞いたんだヨ。」

 あ・・・はい。楽しかったです。と答えながら、打ち上げが楽しかったって事か舞台に出て楽しかったって事か装置の大工作業が楽しかったって事か公演の為の何か月かが楽しかったって事か分からなかった。

でも、増井さんがどれを指していても関係なかった。

どれもすげえ楽しかったから。

増井さんは、そうか、それならいいんだ。とまた悪そうにニヤリと笑って、また新しいするめに手を伸ばした。

 こうして、僕の最初の公演は、涙のドラマチックな展開も最後のどんでん返しも愛の告白もなく、イカのするめで幕を閉じた。


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